第57話

例えば、拓真の机の上にある、伏せられた写真立て。

例えば、拓真の持っている、キャラクター物好きのあゆちゃんの趣味ではない、可愛らしい何か。

それを拓真が捨てずに置いている時点で、その痕跡を残す人を今も大切に想ってることは分かっていたんだ。

そして、それを見る拓真の瞳は、見たことのないくらい優しかった。

一人で乗る電車の中、ついさっき拓真が千葉さんに向けた笑顔が、瞼の裏にこびりついて離れなかった。

「終了条件、その2。拓真に好きな人ができる。…か。」

周りには聞こえない小さな小さな声で呟いてみた。できるとは少し違う。もともといたんだ。私の設定した終わりは、引退。その引退は過ぎてしまっているのだから、私に引き留める権利はどこにもない。

きっと拓真は、今頃見たこともない笑顔で千葉さんといるのだろう。あゆちゃんやコタ君とも。そこには私の居場所はない。

私の駅に着いて、ふらふらと本屋に突入して、どれだけの時間が経っただろう。いつものようにイヤホンを耳に突っ込んで歩き始める。しばらく使っていなかったが、何も考えたくないときは、音楽を聞くのが私のやり方だ。

音楽プレイヤー代わりのスマホを握りしめて歩いていると、バイブレーションが伝わってくる。

私の携帯は基本的に通知を切っている。鳴るのは電話だけだから、慌てて電話を取る。

「はい、もしもし。」

「もしもし、私!あゆ!」

「…驚いた。どうしたの?」

あゆちゃんに連絡先は教えていなかったはずだ。別に理由はなかったが、教える機会を失っていた。

「ごめんねー。お兄ちゃんのケータイからかけてるの。」

画面を見ると、表示されるのは確かに拓真のケータイ。

「長々使ってられないから、つぐちゃん、番号教えて!」

勢いに押されて自分のケータイ番号を口にする。

「わかった!」

一度電話が切れて、慌ただしく違う番号から電話がかかってくる。

「これが、あゆの番号!登録しといて。」

「了解。どうしたの?あゆちゃん。」

あゆちゃんは少しためらった様子で

「つぐちゃん…。」

「ん?」

あゆちゃんの言いたいことも、心配してくれていることもわからなくもない。それでも、拓真の妹のあゆちゃんに晒すこともできなかった。

「…明日暇?」

「…?ええ、特に用事はないけれど…。」

「明日、つぐちゃん家行ってもいい?」

「え?」

「話したいことがあるの。ダメ?」

電話の向こうであゆちゃんが可愛らしく首をかしげている姿が簡単に想像できた。

「うちは大丈夫だけど…。あゆちゃん平気なの?」

「うちはバイトがいないわけでもないし、一人来てるしね。」

あゆちゃんの言わんとするところはわかった。

「オーケー。明日ね。何時でもいいわ。駅まで迎えに行くから連絡してくれる?」

「ありがとう。」

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