第10話

「ありがとう。拓真。たびたび迷惑かけるわね。」

「礼には及ばない…。それよりどうするんだ?綾乃サン出てくるって言ってるけど?」

「綾乃先輩知ってるの?驚いた。うちの部の知り合いなんて皆無だと思っていたわ。」

「ウチの常連。あゆと仲いいよ。」

それなら納得。

「綾乃先輩甘いものに目がないから…。」

「まあ、多分綾乃サンは俺のこと知らないけど。俺綾乃サンが来るときはまず店に立ってないし。俺は綾乃サンとしか呼びようがないだけだし。」

拓真の実家はケーキ屋で、拓真のスキルも高い。どうやら、Double Oceanを知っていたのも、そのつながりのようだ。

「それより、つぐ。お前本当に少し具合悪いだろ…。疲れたか?」

「…そんなことない。」

「俺の妹と同じ意地の張り方をするな。顔色が悪い。」

私の額に手を当てる。これだから、この男は…。

「熱はなさそうだから…。少し巧さんのところで休んでいこうか。」

「…ありがと。」


「いらっしゃい…。ああ、拓真君につぐなさん。いらっしゃい。好きな席にどうぞ。」

「こんにちは。巧さん。」

「少し休ませてもらっていいですか?」

拓真が巧さんに尋ねる。巧さんも私の顔色がなんとなく悪いことを察したのだろう。

「もちろん。どうしてもつらいなら上に上がっていいですよ。常連ですし。」

二階には巧さんとリクさんの居住スペースがあると前に聞いていた。入ったことはないが、時々ほかのメンバーも泊まり込んでいるらしく、かなり広いらしい。

「ありがとう。そこまでじゃなさそうだから大丈夫。下でいいや。」

拓真が私が小さく首を振ったのに気づいて、顔色を確認したうえで断った。

「…そうですか、無理はしないでくださいね。」

心配そうに、巧さんは笑ってくれた。

「うん。ありがとう。」

この店は落ち着くけれど、どこか寂しい。

店には大きなピアノが居座っていて、今この店に勤めている巧さんとナツミさんとリクさんが、代わる代わる音を奏でている。澪さんが弾いているのを見たことも聞いたこともないけれど、とても美しい人だから、そこに座っている姿はものすごく様になっている。

いつもどこか物悲しい音楽が絶えず流れていて、穏やかで、甘くて。胸の奥を締め付けられながら慰められている気がする。

巧さんはいつも微笑んでいて。澪さんは中性的で驚くほど美しい。ナツミさんはクールだけど、才媛でかっこいいし、リクさんは、この店の看板のような人だ。

そんな人が並んで、平均以上に美しい空間ができているのに、ここは静かで、寂しい。

時計がないからだろうか。どこよりも穏やかで、孤独だ。

うちの学生もまず訪れない。それ以前に知らない。だから、隠れ場所にはとてもいい。ここには来ないし、もし来たとしても巧さんたちはうまく人を配置してくれる。井岡の姉である朝妃さんと夕姫さんが選び抜いた、というのもうかがえる。その空間に乗せられたのだろうか。私は口を開く。

「綾乃サンはたぶん、全部お見通しなんだ。」

「え?」

「私の嘘も、真実も気持ちも。綾乃サンだけは。それでいてきっと芽衣サンや、礼美サンたちには黙っててくれてるの…。もちろん、リンやトモたちにも…。井岡が灯先輩を慕うほどではないけれど、私もあの人を慕ってるの。」

「そっか…。」

「だから、綾乃サンは私のところに来ないんだよ。私の気持ちも痛いほどわかってるから…。躊躇っているんだよ。この件で私が申し訳ないと思ってるのは、綾乃サンと…あんただけよ、拓真。」

ぐっと拓真を見据える。

「他の人たちは?」

「可哀想だとは思ってるわよ…。でも、私が謝意を持たなきゃいけないのは、あんたと綾乃サンだけだと思ってる…。嫌、それ以外の人にそんな思いを抱くのは。拓真。私は綾乃サンに会ってくる。…謝りたいんだ。あの人だけには嘘をつきたくない。あんたにも、悪いとは思ってるけれど…。」

「とりあえず俺はいいから…綾乃サンウチの店に来たら、伝えておくようあゆに言っておくよ。つぐが会いたがってるって。」

「うん。綾乃サンも受験生だから、時間そんなに取りたくないから、都合のいい時に私を呼びつけてくださいって伝えてくれると嬉しい。」

「それなら、うちの店を使えばいいよ、イートインスペースあるし。…つぐが外で見せられないツラになってもうちならフォローできるし、綾乃サンも家近いし、息抜きにはちょうどいいだろ。」

「ありがとう。」

「じゃあ、綾乃サンには伝えとく…落ち着いたし、ケーキ食べて帰るか。」

「うん。私ブルーベリーがいいな。」

「了解。」

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