第5話
「…わかったわよ。言うわよ。言っとくけど、行野。長い話になるわよ。」
「時間はいくらでもある。」
行野はゆるりとカップを持ち、構える。そんなところも様になるいい男だと思うのは、惚れた私の欲目なんだろうか。
「この店、うちの学生まず来ないしね!」
井岡がさらりと乱入するが無視する。
「なんでそんな店知ってんの、行野は。」
彼に話したくないにも理由があった。彼はきっとくだらないと鼻で笑うから。私以上に一匹狼を気取る彼には理解できないから。
「こないだの夏、部にずっといなかった子が戻ってきたの…。マナが。」
私の、独善的で、偽悪的な話。
「マナ…北川舞奈。一年の秋に、君たちの元を何も言わずに去って、何も言わずに戻ってきた。理由は…。」
井岡の言葉を強引に遮る。
「待って。言わないで。あんたは知ってるのかもしれないけれど…悪いけど知りたくないの。」
本心だった。彼女の理由がどんなに憐れむべきものでも、くだらないものでも。
「悪かった。」
私が遮ると彼は短く謝って声を引っ込めた。
「どんな理由でも、私は彼女が許せなかった。私が必死にしがみついていた一年以上の時間をそんな簡単に埋めてほしくなかった…。」
「でも、君以外の仲間たち…。内心はどうあれ、優里やリンやトモは、表面上は喜んで受け入れた。」
私は小さくうなずく。
「私は彼女たちほどの余裕はないわ。いくら万年補欠とはいえど、同じポジションんライバルがぽっと出てきて焦らないことはない。」
最初はうっとおしかったけれど、コータの相槌は、私の口をなめらかにしてくれる。こいつといると沈黙が苦じゃない、というのがよくわかる。
「それで?マナが戻ってきたのは夏だろ?今は冬だ。なんで季節を越えた?それだけの時間がおかれているから、誰もその関係性を疑わない。何かほかの理由を探そうと躍起になる。」
「…私だって耐えたのよ。みんなが許すなら私も許さなければって。…それが仲間、ってもんでしょ?でも、無理だった。戻ってきた彼女も。それを認めたみんなも。みんなと同じようにふるまえない自分も許せなかった。憎いと思った。みんなも自分も嫌いになりそうだった。」
「さっきコータが言った”仲が良くて、大切だから”という言葉の真意はそこか。確かに言ってんじゃねえか、コータ。」
やっと話を理解した行野が苦笑いしながら井岡にまぜっかえす。
「どうせ、職員室の時間に追われた大人や脳筋に理解できるとは思えないんでね。」
事実理解できなかったし、と井岡はつぶやく。
「それで、部のやつらには退部の理由を口が裂けても言いたくない、と。」
「察しが良くて助かるわ。バカで、暑苦しくて、典型的な体育会系でうっとうしくても、ずっと一緒にいたの。あの子たちのいいところもたくさん知ってる。傷つけたくないの。それに、彼女たち、この理由を聞いたら頑張るわよ。私のために。そんなうっとうしいのは御免だし、そんなことをされても、私はもう二度とあそこには戻れない。戻らない。」
「俺は反対を選んだよ、俺は戻った。それが俺の過去で、さっきの真意だ。灯さんがそう言ったから。後悔していないとは言わない。俺はその彼を許せていないしね。俺にとってその時の財産は灯さんに出逢えたことだよ。」
「お前がその話を口にするとはな。」
笑うと思った行野は笑わなかった。それは、コータの過去を知っていたからか。だから、私に協力することを選ぼうとしたのか。
「灯さんって一コ上の副キャプテンだった人よね。」
私が確認すると
「この店の常連だよ。コータはアホみたいに慕ってるからもうストーカーまがいだ。」
「失礼な。灯さん公認なんだからいいだろう。…俺の話はいいんだ。つぐな。お前がやろうとしていることは、その大切な存在を失うことになるかもしれないんだぞ。それでもいいのか?その経験をした俺が言うんだ。」
「構わないわ。」
それは覚悟の上だった。否、その覚悟を必死でしたつもりだ。
「拓真。引き受ける気はあるんだろ?」
「俺が適任みたいだからな…。周りからはちょいちょいそう思われていることもわかったし。」
「お前らは距離感が近いんだよ。今日だって放課後に二人でこんなカフェに来る。つぐなも拓真も一匹狼に見えるから余計に。友達いないわけでもないのにな。」
「だって、妹みたいなもんだし。」
「私だって、なんか本性さらされてる都合のいいやつだと思われてる、くらいにしか思ってないわよ。」
「それが周りには伝わってないからな…。お前らの場合、ちょっと意識すれば、明言しなくても、そう見えるだろう…。あと、俺もいるしね。協力するよ。似たような過去を背負う身としてね。」
「あんた、それが分かったうえでずっと立ち会ってたわね。」
軽く睨み付けるが、井岡はどこ吹く風、と言った表情だ。
「もちろん。」
「ほんとあんたは…。拓真、報酬は?」
「今までどーり、お前が得意とする教科の補佐と、あと頼んだ時に暇つぶしに付き合ってくれれば。あと、俺にも協力してな。」
「まあ、何でもいいわ。基本的に無茶じゃなければ、その都度従うわ。」
面倒になった。お互いのことを性格がいいとは思っていないが、そこまで外道だとも鬼畜だとも思っていない。
「…契約はできた?じゃあ、二人の呼び名でも変えなよ。そうしたら君たち十分だよ。多分。」
「私は異存はないわ。拓真は?」
「別になんでも。」
けろりとした顔で拓真は頷く。
「拓真はあんま名前で呼ぶ奴いないし…。」
「まあ、祐輔ですら呼ばねえからな。お前くらいだ。」
本当に少ない。行野の下の名前を知っている人すら少ないのではないだろうか。
「だから、つぐなは”拓真”で十分だろ。お前名前覚えられないやつは下の名前だしな。ついでに俺もコータでどうぞ。…拓真は逆に女の子の名前呼ぶことほとんどないから下の名前呼ぶだけで十分だろ…。拓真何がいい?」
「つぐなとつぐどっちがいい?」
「質問を質問で私に投げないで。どっちでもいいわ。」
正直、好みの顔の整った男に下の名前を呼ばれるのは、結構クるものがある。
「じゃあ、人と同じなのなんか彼氏役として悔しいからつぐで。」
うぐっ。
「じゃあ、呼んでみようか。」
私は一つ息を吸う。柄にもなく緊張した。
「よろしくね。拓真。」
「こちらこそ、つぐ。」
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