夢のまりあ ②

   ― 幻夢 ―


『欠席日数が多いと単位落として卒業できなくなるぞぉー! コラッ!』

ずっと大学を休んでいる俺を心配して、携帯に悪友からメール届いていた。

大学かぁ~もう、どうでもいいや……

そんな俺は毎日ベッドの中でまりあと愛し合っていた。

起きている時間より寝ている時間の方がはるかに長い。

寝ても、寝ても、寝ても……激しい睡魔すいまが俺を襲ってくる。

夢の世界では、いつもまりあが俺を待っている。


その後、悪友からしつこく何度もメールや電話があったので、

俺は仕方なくに大学に登校した。

だが、久しぶりに登校した大学はまるで異世界へきたような

不思議な違和感に包まれた。

ここが現実世界リアルなのに……とても居心地が悪くて、落ち着かない。


「勇介くーん!」

振り向くと、サークルのアイドル優香ゆうかが珍しいことに、俺に声をかけてきた。

「勇介くん、ひさしぶりね。元気だったぁー?」

久しぶりに見た彼女の顔、なんて化粧が濃いんだ! 

まるで男を誘うような、ド派手なファッションに俺は嫌悪感を覚えた。

――まりあの美しさに比べたら、こんな女は大したことないや。

つい最近まで、優香に憧れてサークルまで入っていた俺なのに……

今じゃあ、信じられないほど興味を失っていた。


「ねぇ、今夜サークルのコンパあるんだけど勇介くんも来ない? 

人数が集まらなくて困ってるの、お願い……」

冗談にせよ、あの優香が手を合わせて拝んで頼んでいるではないか?

「悪いけど……俺、バイトが忙しくて休めないから無理!」

適当な嘘で優香の頼みを断った。

「あらっ、そうなの? 残念だわ!」

即座に断られてムカッときたのか、キツイ顔で優香が俺を睨んだ!

男にチヤホヤされて当然と思っている、自分の頼みを断るわけないと……

思い上がった優香の自尊心を傷つけたようだ。

そして俺の顔をまじまじと見て、いきなり、

「あんた顔色悪いわよ! どっか病気じゃないの? 気持ち悪いわるぅー」

そういうと踵を返して、さっさっといってしまった。


ふざけんなっ! おまえなんか、まりあに比べたらブスだ。

俺はそう呟いて、優香の後ろ姿に冷笑をくれた。


深夜バイト中、何度も居眠りをしてヘマをやった俺は、コンビニの店長に、

「体調が良くなるまで、しばらく休んでいいから……」

と、言われた。

そして新しいシフト表には、俺の名前が載っていない、事実上クビである。

最後のバイトを終えて、ロッカーの中を片付けて帰ろうとすると、

深夜バイトの相方が俺を呼び止めた。

「おまえ、ナルコレプシーって知ってるか?」

「はぁ?」

「脳の病気かも知れないから、病院で診てもらえよ」

真剣な顔でそう言われた。

ナルコレプシー? なんか聴いたことはあるぞ。

いわゆる眠り病ってやつらしい。――相方は、医大の浪人生で、

俺なんかより、ずっと病気への知識がある。

「おまえの眠り方は異常なんだ、深いレム睡眠の状態が長く続いている」

相方は心配そうに俺にいう。

「ありがとう」

「絶対に診察してもらうんだぞっ!」

「ああ、じゃあな……」

コンビニのバイトに俺は別れを告げた。


もう何もかもどうでもよくなっていた……

俺にとって、現実世界リアル夢の世界ドリームも変わらない。

てか、まりあのいる世界が俺にとってのなんだ。


――絶対にまりあとは離れられない!




   ― 艶夢 ―


部屋に帰って、荷物を置いて、そのまんまベッドに倒れこんだ。

現実世界リアルは、俺をひどく疲れさせる。


またたく間に夢の世界へ落ちていく……。

まりあは、今日も俺のために美味しい料理を作って待ってくれている。

俺はもう、まりあの作った料理しか口に合わない。

起きていても、ほとんど食べ物を口にしなくなっていた――。

俺のまりあは時々ふざけて、

「勇介、あーんして!」

赤ちゃんみたいに食べさせてくれる。

こんな美人をひとり占めできるのは、夢の世界ドリームだからなんだ。

彼女は素直で逆らったりしないし、俺だけを愛してくれる。

――ここにいる限り、俺は世界一の幸せ者だった!


いつも、まりあは俺の愛を受け入れて……

優しく返してくれる、最高の女なんだ。

ふたりは快楽の後の脱力感で、全裸のままで抱き合っていた。

まりあは甘美な余韻に浸っているように、深く呼吸をした。


「勇介……」

「うん」

「わたし、赤ちゃんができた」

はにかんだように、まりあが俺の耳元でささやいた。

「えぇー!」

まさか、本当か? 夢の世界ドリームなのに……そんなことがあるのか!?

「触って……」

俺の手を自分の腹の上に持っていった。

「どう感じるでしょう? 赤ちゃんの心臓の鼓動を……」

まりあの下腹部に押し当てた俺の手には何ともしれない……

かすかな心音と胎児のイメージが浮かんできた。

「ふたりの赤ちゃんよ」

「…………」

「勇介、あなたの子供だからね!」

キリッとした声でまりあが念を押した。


「まりあ……俺、俺は……」

言葉が出ない――愛する女性に自分の子供を産ませる。

そんなこと想像したこともない、どうしたらいいんだ? 

なんと答えればいいんだろう、俺は……?

「産んでもいいでしょう? 一緒に育てましょう。ふたりの赤ちゃんをここで!」

俺の手には、ハッキリと胎児の心音が伝わってくる。

「だから、ずっと、まりあのそばにいてね」

まりあは縋るように俺に抱きついてきた。

こんな可愛いまりあを放って、ひとりで現実世界リアルになんか戻れない!

「まりあ……俺は……俺は、まりあと赤ん坊とここで暮らすよ」

「勇介、愛してる」

俺の体に、まりあが裸体を絡めてくる。

ああ、なんて甘美な世界なんだ。


口下手くちべたでブサメンの俺は、今まで女の子にモテたことなんかない。

たとえ、夢の世界ドリームであっても俺のことを愛してくれる人がいる。

それって、現実世界リアルでは一生望めない幸せかもしれない。

もうどうなってもいい、このまま目覚めなくてもいい……

まりあとは絶対に別れられない。


「ずっと、ずっと、ここで愛し合っていこう!」


――俺は、まりあのとりこだった。

この世界から出られなくなっていく……夢の世界ドリームから……永遠に……。




   ―念夢 ―


「勇介、勇介、勇介!」

男は大声で何度も呼び続けた。

「おいっ! 勇介、目を覚ませ!」

耳元でさらに叫んだ。

「――なんで、こんなことに信じられねぇ」

変わり果てた友人の姿に彼は絶句した。

病室のベッドの上には、痩せ細った若い男が昏睡状態で横たわっている。

「危なかったです!」

白衣の医師は患者の脈を取りながら言った。

「後2~3日発見が遅れていたら……たぶん命はなかったでしょう」


「患者は田沼勇介たぬま ゆうすけ、22歳大学生ですね」

警察官が手帳にメモを書き込みながら事件を説明する。

「目立った外傷はなし、胃の中に内容物はなく、3週間程度の絶食状態による

衰弱かと思われます」

「俺が発見した時、こいつベッドの中で餓死がししかけてた……」

発見者の友人は、そのときのことを思い出して声を震わせた。

「部屋は内側から施錠され、外部からの侵入形跡はなく、争った様子もない。

事件性がないので、自殺未遂もしくは、なにか事故の可能性があります」

冷静な声で警察官が説明した。


「それにしても絶食自殺というのは信じられません」

現在の日本で、餓死状態の患者など滅多に診ることはない。

医師は信じられないという表情だった。

「金がなくて食べ物が買えなかったんですか?」

「いや、財布や部屋の中には現金で5万円近くあり……

冷蔵庫には冷凍食品やインスタント食品が入っていました」

「――不思議な話ですね。急な病気で動けなくなったとか……」

医師が首を捻る。

「それがベッドのそばには携帯電話が置かれていました。

充電もまだ残っていたし、何かあれば助けを呼べたはずなんだが……」

警察官もまた首を捻る。

「それじゃあ、勇介は自分の意思で餓死しようとしたんスか?」

とてもに落ちないというと、友人はふたりに訊ねた。


「夢みたっス。――こいつが、俺の夢の中に出てきて……

そっちの世界には戻らない。今までありがとうっていって、フッと消えたっス」

友人は昨夜の夢の話をした。

「それがすんごくリアルな夢で……俺、めっちゃ胸騒むなさわぎがしたっス!」

大学を無断で休んでいて、電話してもメールして連絡が取れない。

そんな勇介のことを彼は心配していた。

聴けばバイトも辞めてるし、少し前から勇介の様子が変だった。

「それにもしても絶食自殺なんて、長く苦しむ死に方だよなぁー?」

患者の様子をみながら、不思議そうにいった。

「その割りに安らかな顔して眠ってるっス、こいつは……」

友人が勇介の顔を覗きこんで呟いた。




   ― 永夢 ―


病室のドアが開いて、ワンルームマンションの管理会社の社員が入ってきた。

「田沼さんの家族に連絡取れました、今から病院に向かわれます」

「こいつの家族は驚いたでしょう?」

発見者の友人は家族には連絡せずに、管理会社に友人の部屋を、

開けてくれるよう、強く頼んだのである。

「しかし、またあの部屋だ……」

管理会社の社員がポツリと呟く。

「ああっ! そういえば、前にもたしか自殺未遂があったな?」

思い出したように警察官が応えた。


「半年ちょっとなるかなぁ? 女子大生でしたよ」

「ベランダで首吊り自殺しかけて、紐が切れて……

命は助かったけど、可哀想に脳死状態になった」

現場を思い出しながら警察官がいうと、

「私がね、部屋案内して賃貸契約したんですよ。可愛らしいお嬢さんで、

年は21だっけ? ホント気立ての良い子でしたよ」

初老の社員はため息まじりで話した。

警察官は手帳を閉じながら、

「今もどこかの病院に入院していると聞いたけど……」

さらに続けて、

「婚約者が交通事故で亡くなって、後追い自殺を図ったらしいですが……

じつは、あの娘は妊娠してました」

その話題に彼らは、しばしベッドの上の患者のことを忘れた。


「先生、こいつ、勇介はいつ目を覚ますんですか?」

いきなり訊かれた医師は、しばらく考えてから、ゆっくりと説明した。

「3週間近く絶食で脳に栄養がいき渡らず、かなりダメージを受けています。

命が助かったとしても、脳が元通りに機能するのは難しいでしょう、

――このまま寝たきりになってしまう可能性もあります」

気の毒そうに、医師が説明する。

「寝たきりって……まだ22だぜぇー。こいつは……勇介……」

「お気の毒ですが……」

「チクショウ! 勇介――――!!」

医師の言葉にショックを受け、堪えきれず、友人は声を上げて泣いた。


                    ◇


「まりあちゃん、生まれたわよ!」

病院の分娩室に乳児の泣き声が鳴り響いた。

「こんな状態で、よく頑張ったわねぇー!」

妊婦は21歳の若い女性で、脳死状態のまま帝王切開で、

2500gの男児を産み落とした。


「あら? 今笑った?」

点滴を付け替えながら、看護師がポツリといった。

「ほんとだ、口元が笑ってる、まりあちゃん……」

「どんな夢みてるんだろう?」

産婦人科の女医が、まりあの顔を覗きこんでいった。

「きっと夢の中で婚約者と赤ちゃんと幸せに暮らしているかもしれない」

「……いつか目覚めるのかしら? それにしても綺麗な人だわ」

「ホント、まるで聖母マリア様みたい」

そんな話をしながら、ふたりは病室から出ていった。


――点滴の針を刺されて、ベッドに横たわる聖母は微笑んでいた。

                         


                  ― 完 ―

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