彼女のウワサ ③

 ついに待ちに待った同窓会の日。

 わたしたち『地元残留組』のメンバーは元さんの手伝いに早くから集まっていた。

 ひと通りの料理が準備できたので、本日の参加人数十八人分の御膳おぜんをテーブルに並べていった。御膳には突き出しとビールのコップ、箸と本日の料理のメニューが書いた御品書おしながきが乗っているのだ。

「あれぇー?」

 元さんは並べられた御膳を見て不思議そうに首を傾げた。

「どうしたの?」

「おっかしいなぁー? たしか十八個しか御膳の用意してないはずなのに……今、数えたら、十九個並んでいるんだ」

「あ、ホントだ。私たちも並べる前は十八個ちゃんと確認して並べたのに……」

「不思議よねぇー」

「……まあ、多い分には構わないかぁー」

 みんなの集まる時間が近づいていたので、そのまま十九番目の御膳は置いたままにした。


「カンパーイ!」

 同窓会幹事の挨拶の後、参加者たちで再会を祝して乾杯をした。

 みんな変わったなぁー。スッカリおじさん、おばさんになっている。中にはもう孫までいる人がいた。かつての悪ガキやおてんば娘たちも不惑となり、社会的にもそれ相当の暮らしをしているようだ。

 学校で目立たなかった少年が社会に出て営業でバリバリだったり、カッコ良かったあの男子が今じゃあ、ハゲでメタボなオッサンだったりして……、か弱いと思っていた女の子が肝っ玉母さんみたいに逞しくなって――。それぞれの歩んだ人生が、彼らの今の顔になっている。

 同窓会の話題も家族や仕事の話から、健康の話へと変わっていく。

 コレステロールや高血圧、中性脂肪、がん検診など、お互いの健康について話題が尽きない。そういう年代に入ってきているんだなぁー、と自覚させられた。


 ふと気が付いたら、十九番目の御膳の前に誰か座っている。

 白いワンピースを着た女性だ。なんと、それは紛れもなく、あの“小椋麻耶おぐら まや”だった!

「あれぇー! いつきたの?」

「今きたばかり。みんなで盛り上がってるみたいだから、そっと入ってきたの」

「あれま! 麻耶ちゃんじゃないの」

 知美さんと英子さんも同時に見つけて叫んだ。

「同窓会があることがよく分かったね?」

 驚いた顔のまま、知美さんが訊ねた。

 たしか消息不明の麻耶ちゃんには連絡できなかった筈なのだ。

「ええ、ツイッターで偶然見たのよ」

「ああ、そっか!」

 誠くんが連絡のつかない人たちへ向けて、毎日、ツイッターで同窓会の連絡を流していたんだっけ――?

「それにしても麻耶ちゃんは昔と全然変わらないわねぇー」

「ホント! 美人は年を取らないのかしら……」

 知美さんと英子さんがうっとりした顔で羨ましそうにいう。

 わたしたちと同じ四十五歳にはとても見えない――。すべすべの白い肌、皺ひとつない、どう見ても三十代にしか見えない。着ている服も襟あきの広いワンピースで彼女のデコルテの優雅な曲線を際立たせている。手首にはエレガントなカルチェの時計、爪の先までネイルアートされて、まるで女優のように美しい。

 洗練されたファッションセンス、上品で知的な雰囲気だった。自分たちとは持って生まれた世界が違うって感じだった。

 先日のウワサ話でソープ嬢だの、極道の妻だの、すべて一笑してしまうほど、彼女は凛として清純な感じだった。


「今、なにやってるの?」

「夫が演奏家なので今はイタリアで暮らしているの。世界中を旅しているわ」

「うわー、すごい! セレブな生活ねぇー、羨ましい!」

 英子さんが心底羨ましいそうに叫ぶ。

「ねぇ、旦那さんは日本の人? 子どもは何人?」

「アメリカ人よ。子どもは残念ながらいないの」

 矢継やつばやのふたりの質問にも、麻耶ちゃんは微笑みながら答えていた。『地元残留組』の男メンバー酒屋の旦那も役人の誠くんも、麻耶ちゃんに見惚れている。

 おおよそ、この界隈かいわいでこんな美人は身近にはいない。


「麻耶ちゃん、久しぶり! 飲みもの何にする?」

 元さんが注文を訊きにきて、麻耶ちゃんを遠慮なくジロジロと見ている。 

 昔、水商売をしていたので女性を真近まじかで見てもあがったりしないのだろう。だけど胸元を覗きこむような、あの目線がいやらしい。

「ワインをくださる。辛口の白」

「うちは高級ワインなんか置いてないぜぇ」

「構わないわ」

「じゃあ、国産のドンペリ持って参りまーす。あははっ」

 国産の安いワインでも、麻耶ちゃんが飲んでいたら高級シャンパンのドンペリニヨンに見えることだろう。彼女が居るだけで華やかな雰囲気が店内に漂っている。


 同窓会も終盤しゅうばんに近づき、遠方からきている人たちがそろそろ帰り始めた。『地元残留組』のメンバーは、店の外まで出て、その人たちにお別れの挨拶をして見送っていた。

 店の中に戻ったら、あれ、麻耶ちゃんがいない……いつの間に帰ったんだろう? 

 なぜか十九番目の御膳も消えていて、ワイングラスだけが置かれていた。

 きた時と同じように、麻耶ちゃんはまるで風のように消えてしまった――。

 

 翌日の早朝、私は飲み過ぎたせいで、二日酔いでダウンした。

 吐き気と頭痛に堪えながら、近所にゴミ出しにでて帰ってきたら、家の電話が鳴っていた。

 こんな早い時間から誰だろう、いぶかしげに受話器を取ったら、

春奈はるな、大変なことよ!」

 いきなり、名乗りもしない興奮した知美さんの声がした。その甲高い声が頭にキーンと響いた。

「な、なによ? どうしたの!?」

「信じられないような話で……ビックリしないでね! 今朝の新聞読んだ?」

「ううん、まだ。何があったの?」

「麻耶ちゃんが死んでた」

「えっ? どういうこと?」

「麻耶ちゃんの死体が発見されたのよ」

「嘘? まさか……昨日会ったばかりなのに……」

 ――ショックで言葉を失くしてしまった。

 だが、本当に驚いたのは、この後の話の方だった。

「あのね、麻耶ちゃんの昔住んでいた家が空家になっているでしょう? その中で彼女が死んでいたのよ」

「ええっ! あの気味の悪い廃屋の中で……?」

「そう、しかも死後一週間経っていたらしい」

「そ、そんな……じゃあ、昨日、私たちが会った麻耶ちゃんはいったい誰?」

 真剣な知美さんの声に冗談とも思えない――。新聞店を営む彼女はお客よりも一足早く、新聞の情報を知るのだ。

 その後、私は茫然ぼうぜんとしたまま電話を切った。


 リビングのテーブルに置いていた新聞を捲ってその記事を探した。地方欄の端っこに小さく記事が載っていた。


    OO町の廃屋から女性の変死体が発見される。

    近所の高校生数人が建物に侵入して、遺体を発見、警察に通報した。

    遺留品から東京都足立区に住む、無職・小椋麻耶さん(45歳)とみられる。

    遺体に目立った外傷はなく、死後、約一週間経過していた。

    死因は自殺、病死の両面から警察が捜査中である。 

            

 この新聞記事になってる人が本物の麻耶ちゃんだったとしたら、昨日の同窓会にきていた人は、いったい誰なの? 廃屋で死んでいた人と、どっちが本物の麻耶ちゃん?

 ああ、二日酔いの頭の中が混乱して、余計にキリキリ痛んできた。

 もう我慢できなくなって、寝室にいって、そのまま、ベッドに倒れ込んで私は眠ってしまった――。



 ひと月後、麻耶ちゃんの死んだ家の前に『地元残留組』のメンバーが集まった。

 事件の捜査もひと通り終わったようで、いつものように、ここは森閑とした場所だ。やはり、廃屋で死んでいた女性が“小椋麻耶”本人だということだった。


 死因など詳しい事情は、知美さんが新聞のお客さんで夫が警察官をしている主婦に訊いてきた。それに依ると……死因は覚せい剤のショック死らしい。遺体の傍には覚せい剤の注射器が落ちていた。

 麻耶ちゃんの腕には無数の注射針の痕があり、身体はガリガリに痩せて、肝臓も悪くなって皮膚の色はどす黒く、歯も抜けていた。遺体は実年齢よりも二十歳は老けて見えたということだ。胃に内容物はなく、所持金はたったの五百円だった。

 発見したのは近所の不良グループで、シンナーを吸うために建物に侵入して、偶然発見した。リビングルームの壁にもたれるようにして彼女は死んでいたらしい。

 発見時、身元は期限切れの免許証を持っていたので分かった。その後、指紋で確認したので、この人が“小椋麻耶おぐら まや”本人に間違いない。

 彼女には覚せい剤所持の前科があり、警察で指紋採取されていたのだ。麻耶ちゃんの遺体の引き取り人はなく、無縁仏として葬られた――。


「麻耶ちゃんが、こんな所で死んでいたなんて……」

 英子さんが花束を門の壁に立てかけた。

「どうか、成仏してください」

 知美さんがりんごを置いた。

「南無阿弥陀仏」

 酒屋の旦那が念仏を唱えながら、缶ビールを供えた。

 それぞれ手に持ったお供え物を壁の前に並べると、線香立てに元さんがお線香を差した。それを合図に『地元残留組』全員で合掌して冥福を祈った。


「不思議なこともあるもんだ。俺たちの同窓会にきてたのは、いったい誰なんだ?」

 役人の誠くんがせない顔つきでいう。

「私たち六人は、麻耶ちゃんの姿を見ていたけど、おかしなことに他の人たちに訊いたら……そんな人きてた? て、言われたのよ。あんな目立つ格好していたのに……」

 知美さんも解せぬ顔だ。

「もしかしたら、私たちにしか見えない幽霊だったのかなぁー?」

「南無阿弥陀仏」

 英子さんと酒屋の旦那が脅えている。

 みんなの話を黙って聞いていた元さんがボソリと話し出した。

「……幽霊かどうかは分からんけどね。あの同窓会の麻耶ちゃんも本物だった。左の肩甲骨のくぼみに小さなホクロがあるんだ。昔、ソープで抱いたときに、『こんな所にホクロがあって色っぽいなぁー』と思った、だからハッキリ覚えている。同窓会の女にも同じ位置にホクロがあったんだ」

 ああ、それを見るために――あの日、元さんは無遠慮にジロジロと覗き込むように麻耶ちゃんを見ていたんだ。

「やっぱし、おぐらまやを抱いたのかっ!」

 酒屋の旦那が叫んだ。

 その声に、みんなでどっと笑ったが、その内、しんみりして黙ってしまった。

「あんなに美人に生まれてきたのに、ちっとも幸せじゃなかったんだ」

 美人の麻耶さんに憧れていた英子さんがいうと、

「麻耶は美人だから、あの顔と身体には値打ちがある。だからロクでもない連中があの子を喰い物にするのさ」

 かつて新宿で働いていた、水商売の世界に詳しい元さんが応えた。

「美人だからって幸運とは限らない。顔は十人並みでいいよ」

 夫婦で自営をいとなむ知美さんがしみじみという。

「彼女はツイテナイ人生で、独りぼっちで、ヤケッパチになってしまったのかなあー。この町に住んでいたら、少しは相談に乗ってあげられたのに……」

 残念そうに誠くんが呟くと、

「やっぱり東京は怖いところだ!」

 恐妻家の酒屋の旦那が独り合点がってんしてうなずく。なぜ、その結論に達するのかという突っ込みを入れる者もいない。


 麻耶ちゃんの人生って何だったんだろう? 彼女の足跡そくせき辿たどってみる。

 深窓の令嬢だった麻耶ちゃんは、高校二年生のとき、父親が事業に失敗して自殺する。借金取りから逃げるために、東京に夜逃げしたが、親戚に冷たくあしらわれて、運送会社の寮で働くが、美人母娘なので男たちに何度も襲われそうになった。そこから逃げ出し、母親は水商売に出るが身体を壊して亡くなった。

 独りぼっちになった麻耶ちゃんは、工場や深夜喫茶のウェイトレスしながら生活をする。その頃に知り合った男と同棲するが暴力をふるわれて、また逃げ出す。たぶん、それが私の学生寮に来訪したときかもしれない。

 その後、新宿で探した仕事というのがソープ嬢だったのか。それで稼いだお金で高級ブランドバッグを私に贈ってくれた。新宿のソープでは元さんとも会っている。もしかしたら、やくざの親分に見染められて、愛人になったのはソープ嬢時代だろうか。

 極道の妻として羽振りが良かった時分、銀座で英子さんと偶然会ってフレンチをご馳走したり、こっちの町では酒屋の旦那がマヤ姐さんのウワサを聴き、知美さんの店で新聞を五部もとってくれた。市役所に勤める誠くんに土地の件で電話をかけてきたのもこの時期だったようだ。

 その後、覚せい剤所持で逮捕され懲役になる。そこから麻耶ちゃんの転落の人生になった。ドラッグとお酒に溺れる日々で身体を壊し生活も貧窮する。年を取って容貌も崩れてきたので水商売も無理になってきて、熱海の観光ホテルで住み込みの仲居をやっている。そのとき、知美さんの旦那に目撃されたみたい。

 ついに……自分の死期を悟った麻耶ちゃんは、この町に密かに帰ってきて、あの屋敷で誰に見看とられず、独りぼっちで死んで逝った。

 麻耶ちゃんは、美人ゆえに女たちには嫉妬されて嫌われる、男たちにはその肉体を喰い物にされてきた。あんなに美人に生まれてきたのに、ちっとも幸せな人生じゃなかった、なんて……悲しすぎる。

 ――私には麻耶ちゃんの冥福を祈ることしかできない。

  


 自治会の集まりで、麻耶ちゃんの屋敷を取り潰して、児童公園にする案が決定した。

 あの土地の持ち主が、高齢で管理できないので町に寄付してくれたのだ。あの廃屋はいろいろと青少年の犯罪の温床おんしょにもなっていたし、極めつけは麻耶ちゃんの変死体事件だろう。気味が悪くなって占い師に診て貰ったら、あの場所は不吉だと言われて、持ち主が怖くなって寄付したのだと、後ほど知美さんから聞かされた。


 そう言えば、同窓会の一週間前に麻耶ちゃんが亡くなったとしたら、あの日、自転車の帰り道、ここで会ったあの女性は……ずいぶん変わり果てた姿に分からなかったが、あれが生前、最後の麻耶ちゃんの姿だったとしたら……。

 彼女は死に場所として、自分の育った家に戻ってきていたんだ。

 

 きっと彼女は帰りたかったのだ、この町に……。そして同級生たちにも会たかった。だから現実の自分と違う、理想の自分になって、わたしたちに会いにきたのだろう。

 彼女の心の中には、いつもがあって、いつの日か、この町に戻るつもりだったのかもしれない。

 この町で家族と幸せに暮らしていた、あの頃の自分を死ぬまで忘れられなかった。そんな彼女の心情を思うと……可哀相で涙が零れた。



 ――あの場所が児童公園になるのなら、桜の木をいっぱい植えてほしい。


 毎年、春が巡りきて、桜を眺めるたび、きれいだった麻耶ちゃんを思い出せるように、公園の敷地には、いっぱい、いっぱい桜を植えてください。

 ずーっと、私たちの側に居てね。もうどこにもいかなくていいんだから……。


 麻耶ちゃん! 


 あなたも、『地元残留組じもとざんりゅうぐみ』の仲間入りだよ。



                  ― 完 ―

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