仇 ― Adauti ― ⑦

 二日目の夜、俺は木のほこらを見つけた。

 大人が膝を抱えてやっと入れた広さだが、四方を木に囲まれているので、何だか少し安心できる。周りは茂みになっているので敵に見つかりにくい。

 食糧は失ったが、ポケットに入れていたチョコレートを舐めながら休むことにする。――真夜中、カシャカシャと鎧甲冑の音を立てながら、黒い戦国武者が歩き回っている。

 俺を探しているようだが、茂みに隠れて、このを見つけられないのだろう。

 小雨が降り出したようだし、敵は諦めて帰っていった。


 夜が明けたら、俺はまた移動を始めた。

 昨夜のほこらの中は安全だったが、同じ場所に居たのではいずれ見つかってしまう。とにかく歩く、ただ歩き続ける。――だが、空腹が苦しい。後、もう一日、持ち堪えられるか?

 沢におりて水を飲んでいるところを敵に見つかった。

 黒い戦国武者は日本刀を振り回して追いかけてきたので、俺は慌てて逃げ出した。高校の時、陸上部でインターハイにも出場したこともある俺は逃げ足だけは自信があった。案の定、重い鎧甲冑の敵は追いつけず、とうとう見失ったようだ。

 俺の武器はこの脚だけなのか。こうなったら、逃げて逃げて……最後まで逃げ切ってやるさ!


 三日目の夜がきた。

 漆黒の闇の中で月と星が輝いている。なんて静かなんだ――時おりふくろうの鳴き声が聴こえるが、夜の闇は深く、静寂が重たい。

 あの事件から初めて、俺が命を奪った被害者たちのことを考えていた。

 妻――結婚して半年だった。行きつけのカフェバーで働いていた彼女を見染めて、一方的に好きになった俺は、押しの一手で結婚にまでこじつけた。

 きれいな女だった。

 いつも俺の気持ちばかりを押しつけて……一度だって、妻の気持ちを訊いてやったことがあっただろうか? 自己中な俺に妻は幻滅していたのかもしれない。 

 アイツ――大学の先輩で俺のよき理解者だった。

 大学卒業して俺が起業したら、働いていた一流企業を退職して、俺のパートナーになってくれた。

 いい奴だった……すぐに暴走する俺をいさめてくれていた。だから、妻もアイツを信頼して、俺のことでいろいろ相談していたようだ。

 俺たち夫婦はお互いの価値観の違いから口げんかが絶えなかった。激昂した俺は妻に暴力も振るっていたし、息抜きだといって風俗でも遊んでいた。

 それでも俺は妻のことを愛していたし、アイツのことも好きだった。信頼する二人に裏切られた俺は、逆上して、完全に自分を失っていたんだ。

 怒りにまかせて復讐したが……今となっては、大事な者をうしなった喪失感しかない。あんな凶行を起こす前に、冷静になって話し合うべきだったと悔やまれる。


 ――あの二人を責める資格が、この俺にあったのだろうか? 


 アパートに放火して罪のない住人まで、巻き添えに殺してしまった。

 その中には女子大生や単身赴任のサラリーマンもいたという。彼らには家族や友人や恋人もいただろうし……その人たちから、俺は大事な者を奪ってしまった。

 関係ない人たちが、他人の痴話げんかの果てに焼き殺された。それが彼らの運命だったとしても、あまりにも理不尽だろう。

 なんて、俺は罪深い人間なのだ――。

 すまない許してくれ、みんな俺が悪いんだ。

 この手で命を奪った妻とアイツに無性に会いたかった。

 あの世にったら、二人にゆるしを乞いたい、胸をむしるような後悔で俺は泣いた。――その夜、俺はスピリチュアルな気持ちになっていた。

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