仇 ― Adauti ― ②

■ 事件ファイル №1(練馬一家惨殺事件)


 会社員に佐野裕之さの ひろゆき(35)は、出張中に家族を皆殺しにされた。

 深夜、勝手口のドアをバールのような物でこじ開けカギを壊して犯人が室内に侵入、一階で寝ていた裕之さんの両親が犯人によって殺害された。まず、父昌之まさゆきさん(65)がナイフで心臓を一突きされて死亡した。隣室で寝ていた母芳恵よしえさん(59)が気配に気づいて起きてきた所を犯人に腹や胸など数カ所を刺されて失血死。

 その後、犯人は二階に上がり、子ども部屋で寝ていた長女里奈りなちゃん(6)の首を刺して死亡させた。隣室で子どもと添い寝をしていた妻の沙織さおりさん(32)の肩やわき腹、大腿部など数カ所を刺して動けなくした。隣で寝ていた長男絢人あやとちゃん(3)が目を覚まし激しく泣き出したため首を絞めて殺害する。

 そして瀕死の重傷で苦しんでいる沙織さんを強姦した後、電気コードで首を絞めて殺害した。

 事件後、犯人はシャワーを浴び、佐野さんの服に着替えた。

 台所で冷蔵庫を物色して腹ごしらえをすると、室内にあった現金、貴金属、カード類を持ち出し、亡くなる前に沙織さんから聞き出していた暗証番号で、銀行のATMから一回で下ろせる限度額五十万円をおろしていた。


 翌日、出張から帰った裕之さんが事件を発見、警察に通報した。

 銀行のATMに設置されたカメラによって、犯人の人相が分かると該当者がすぐに割り出された。

 窃盗など前科三犯の西田武司にしだ たけし(38)である。

 捕まるまでの一週間の間に、盗んだ金で西田は派手に遊びまわっていた。競馬、競輪、パチンコなどギャンブルや風俗やギャバクラなどで散財をした。西田は風俗嬢とラブホテルで連泊れんぱくしているところを、手配書を見たホテル従業員によって通報された。

 逮捕時、西田の所持金はわずか二千円ほどであった。


 犯人の西田は警察の供述で「一人殺したら、後は何人殺したって無期懲役までしかないんだから、バレないように皆殺しにしたまでさ」と取り調べ室でうそぶいていたという。

 一夜にして、家族全員を惨殺された佐野裕之――全てをうしなった悲しみと怒りと憎悪、この絶望は想像するに余りある。


 しかし、死刑制度が廃止された現在、西田を無期懲役までの罪でしか裁けない。

 無期懲役といっても、服役中の態度が良かったり、恩赦おんしゃなどがあれば、二十年ほどで刑務所から出て来られるかも知れない。

 五人もの尊い命を奪い、子どもたちの未来を奪って、たった二十年の懲役……これでは死んだ者が浮かばれない。

 何よりも被害者の遺族、佐野裕之の憎しみが収まらない。


 裁判の日、家族の遺影を手に佐野裕之は傍聴席の前列にいた。

 案の定、判決では『無期懲役』言い渡された。犯人の西田はそれを聴いた瞬間、傍聴席の佐野裕之に向かってニヤリと不敵な笑いを浮かべてVサインをした。

 突然、法廷内に銃声が鳴り響いた。

 被告席に向かって数発の銃弾が撃ち込まれた。頭部に命中した西田はもんどりうって倒れた。止めを刺すようにさらに撃ち込まれる銃弾は憎しみの深さを物語る。

 何事が起ったのか分からず、法廷内は悲鳴や怒号で騒然としていた。


「これは仇討あだうちだ――――!」


 佐野裕之はそう叫ぶと、自らのこめかみに銃口を当て発砲した。


 前代未聞ぜんだいみもんの大事件、法廷内で被告が被害者の家族に殺された。

 犯人の佐野裕之は、遺影の裏に隠し持っていた銃での西田を撃ったのだ。しかし、どうやって凶器の銃を法廷内に持ち込んだのかは謎のままに、被疑者の自殺によって幕を閉じた。

 ただ、事件後に西田武司の弁護に当たっていた、緒方彬おがた あきらという三十代前半の若い国選弁護士こくせんげんごしがその姿を消した。

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