五百年の楓 其の三
― 2013年 京都 ―
東京の理科系大学の研究室に勤務していた僕は、亡き祖父の住んでいた古い寺を処分するために京都へ帰ってきた。
僕の両親は現在海外転勤中で日本にはいない。元々、母の実家にあたる寺なのだが、京都でも辺鄙な場所にあって、観光の目玉になるような国宝や文化財クラスの仏像や庭園もない、檀家だけで細々とやってきたような寺で、跡を継ぐ者もいないので廃寺にすることになった。
祖父の寺は歴史だけは古く、建立されたのが室町時代の中期1500年頃だというのだから、五百年もの歴史がある。
数年振りに訪れたお寺は檀家のみなさんが掃除をしてくれていたので、すっきりと片付いていた。処分するといっても、こんな古い寺を買ってくれる者もいないし、結局、地元に寄付するような形で、今後の管理を任せることになっていた。
どうやら寺を壊して公民館として利用する案があるようだ。――そのための事務手続きがいろいろあって、委任状を渡された僕が書類に記入捺印することになっていた。
僕は理数系脳なのでお寺や仏像といった歴史的な物には全く興味が湧かない。元より、こんな古い寺なんぞ相続しても仕方ないと思っていたのだ。
久しぶりに誰も住んでいない母の実家へ休暇を兼ねて戻ってきた。
もう長い間、空家同然だったので寺の中には私物は何も置いていない。母の父の住職が亡くなって五年になる、小学生の時には毎年夏休みになると帰省するのを楽しみにしていたものだが、大きくなると法事くらいにしか寄ったこともない。――今回の帰省は祖父の葬儀以来である。
子供の頃の思い出が詰まった、この寺を最後によく見ておこうと僕は山門から法堂や
最後に本尊を祀ってある仏殿に入る。ここは長年焚き込んだ線香の香りと、カビの臭いが鼻孔を
本尊の前に立つと、読経を上げていた祖父の後ろ姿を思い出して、しんみりした気分になった。
あまり入ったことがないが、本尊の裏側に古い仏具や仏像などが仕舞われている納戸があって、そこは壁一面が戸棚になっていた。
僕はなに気なく……一番下の戸棚を開けて、奥の方に手を突っ込んでみたら、戸棚の奥に、更に隠し戸棚があって、古い布に巻かれた観音像が出てきた。
それは全長30㎝ほどの木彫りの観音像で、誰の作かは分からないが、ノミ一本で彫ったような荒々しい作風だが、顔の部分だけは細部まで丁重に彫ってあった。まるで、モデルがいたかと思うほど、妙に艶めかしい女の顔であった。
僕は手に取って、その観音像をしげしげと眺めていたが、振ってみたら、カラカラと音がする。
あれ、何だろう?
裏返してみると蓋が付いていた。それを外すと空洞になっていて、中から櫛が出てきたが、残念ながら……それは真っ二つに折れていた。
こんな物が観音像の中から出てきて、僕は背中に
もしかしたら、この櫛の持ち主だった人の御霊を祀るために彫られた観音様なのかもしれない。――と僕は思い、そっと棚の奥に観音像を戻した。
その夜のことだった、僕は不思議な夢を見た。
見知らぬ男が夢枕に立って、僕にどこかにある山に櫛を届けてくれと頼まれた。
朝、目が覚めて、妙にリアルな夢だったが不思議と怖いという感覚はなかった。真剣に、この僕に頼んでいるのだという気持ちが伝わってきたからだ。
その次の夜にも、また、その男が夢枕に立った。
顔などが少し鮮明になってきた、自分よりもずっと若い男だった。手に櫛を持ち、これを女に届けて欲しいと真剣に頼んでいた。
三日間同じ夢を見たが、段々とハッキリと見えてきて、その場所の地形やそこに楓の木があるとか、こと細かく説明された。
最後に、夢の中の男が『血染めの楓の木の元で女が待っている』と不気味なことを言って消えた。
さすがに、三日目の夢を見た時には、そこに行かないと祟られるのではないかとさえ思えてきた。夢に出てきた男の真に迫った表情から、これは無視することができないことだと悟ったからだ――。
何かしら、得体の知れないモノに引き寄せられるようだった。
パソコンで、夢の男が言ったことを検索したら、山梨県にある山が分かった。多分、そこに行けば手掛かりが掴めるだろうと、何の根拠もなく僕はそこへ行ってみようと思った。
旅行鞄には木彫りの観音像と折れた櫛を入れて持って行くことにする。
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