隴を得て蜀を望む 其の一

 劉操りゅうそうは貧しい村で生まれた。

 兄弟たちはたくさんいたが貧しさゆえに皆、幼くして死んで逝った。こんな貧しい村で、一生を終えたくないと思っていた劉操は、十三歳の時に、長安ちょうあんの都を目指して旅に出ることにした。

 劉操は大変利発な子どもで、青雲の志を抱いて故郷を捨てたのだ。


 途中、いろんな仕事につきながら、ようやく長安の都に辿り着いた劉操は、馬屋で働くことになった。ここには軍隊の馬たちが大勢預けられていた。次の戦までに休養させて、餌を食べさせ、肥らせ、手入れをするのだ。

 軍隊の馬たちは気の荒い馬が多い。身分の高い武将の馬に怪我でもさせたら大変なことになる。しかも、手入れの最中に馬に蹴られて落命した者もいるほどで、気の荒い馬の手入れは、まさに命懸けであった。

 ――不思議と劉操は馬に嫌われることなく、仕事がはかどるので馬屋の主人に気に入られていた。

 将軍の馬で『黒兎こくと』という名馬が預けられている。たいへん気性の荒い馬で、誰も怖れて近づこうとしなかったが、劉操だけは黒兎に触っても平気だった。


 その日も、黒兎に飼葉かいばを与え、藁束わらたばで身体を拭いてやっていたら、持ち主の将軍がやって来た。劉操に身体を撫でられ、大人しくしている黒兎を見て将軍は驚いた。

「黒兎は気性が激しく、わしにしか懐かぬはずだが……」

 突然の将軍の来訪に驚いた劉操は慌てて地面に平伏へいふくした。

「馬は『人の器』を測ると言う。目下めしたと思う者には絶対に懐かない。馬は気位の高い生き物じゃ。その黒兎が認めた男というのなら……」

 平伏する劉操を見て、

「そこの者、おもてをあげよ」

「ははーっ!」

 恐る恐る劉操は顔を上げると、そこには威厳のある将軍が立っていた。

「そなた、名は何と申す?」

「劉操と申します」

「そうか。劉操、明日より我が軍で働け!」

「はい、将軍様!」

 黒い瞳でしっかりと将軍の目を捉えて答えた。

「おぉー、なんと利発な目をした奴よ!」

 将軍は劉操をひと目で気に入ったようで、馬屋の小僧から、劉操は兵士になった。


 将軍、李硅りけいの元で働くようになった劉操は、武術より、聡明なので軍師が向いていると言われて兵法の勉強を始めた。最初は文字も読めない劉操だったが、すぐに覚えて読み書きが出来るようになり、どんな難しい書物もすらすら読めるようになった。

 知恵者の劉操はすぐに軍の中でその頭角を現し出した。彼が綿密に考えた戦法で将軍の兵は幾度も勝利の旗を掲げた。そして李硅は劉操を『頼もしき軍師なり』と、我が子のように可愛がってくれた。


 ――季節が廻り。

 劉操も立派な青年になっていた。春、梅林にて『春の宴』が行われて、梅の木の元でうら若き乙女たち四、五人が舞いを披露していた。その宴に劉操も招かれて、酒を呑み、ご馳走に舌鼓を打ち、舞いを観ていた。

 梅林で踊る乙女たちの中に、ひと際、目を惹く美女がいた。薄桃色の衣を羽織り、優美に舞う姿はまるで天女のようだった。――劉操はその娘に心惹かれた。

「あの薄桃色の衣の美しい娘は、どの家の者であろうか?」

 うっとりと魅入った顔で、何気なく将軍に訊ねた。

「あれか? あれはわしの娘の惷蘭しゅんらんだ」

「えっ、将軍の姫君でしたか」

 将軍の娘とも知らず、不躾なことを訊いたと内心恥じた。

「劉操、その顔つきだと……惷蘭が気に入ったようだな?」

 酒を飲んで上機嫌の将軍はにやにやしている。

「そ、そんな、滅相めっそうもない!」

 顔を真っ赤にして答える劉操に……。

「気に入ったのなら、惷蘭はそなたに嫁がせようぞ!」

 そうして将軍の娘、惷蘭は劉操の元に嫁いで来た。翌年にはふたりの間に世継ぎの男児も誕生した。生まれた息子は劉鳳りゅうほうと名付けられた。貧しい村の出身者だった劉操は、将軍が義父となり李硅の一族になった。

 嫡男劉鳳は父劉操に似てたいへん利発な子どもであった。その後、惷蘭は子どもをふたり産んだが、いずれも女児であった。


 将軍、李硅は勝ち戦の勝利品として、小さいながらも領土を与えられ一国を治める君主となっていた。娘婿の劉操も軍師だけではなく、大臣の職も兼任していたのだ。

 ここまでは順風満帆に運んでいたのだが……。

 大恩のある将軍が、はやり病に罹り三日三晩高熱に侵された後、あっけなく他界してしまった――。

 李硅亡き後、国は嫡男である李郭りかくが継ぐことになったが、この李郭という男。無類の酒好き女好きの放蕩者で……生前は父李硅からも『うつけ者』と疎まれていたが、父が亡くなり、自分が君主の座に着いたので、すぐさま、やりたい放題にとなった。

 国費を使い、毎日『酒池肉林しゅちにくりん』の日々で、政治などまるで無頓着。説教する家臣がいれば『うるさい』とすぐに処刑してしまう。

 このままでは国が滅びてしまう……家臣たちは皆、国を憂いていたが、暴君李郭が恐ろしく口にも出せずに悶々としていた、李郭は自分にとって煙たい家臣を全て解任した。

 劉操も亡き父のお気に入りというだけで疎まれて『謀反を企んでいる』という理由で屋敷に幽閉された。門には外から大きな錠を付けられて、常に見張りの兵士が立っている。

 ついに劉操も、いつ処刑を言い渡されるか分からない状態になった――。


 そんな悶々としていた、幽閉中の劉操の元に隣国の君主から密使が訪れた。彼は自国の君主の密書を携えていた。――それを受け取って劉操は読んだ。


『貴殿の軍師としての才覚を高く評価している。

 是非、我が国に来て、その腕を揮って頂きたい。

 その為なら、我が軍の兵を出して

 貴殿とその家族の命をお助け致しましょう   』


 手紙を読んで大いに悩んだ。このまま、ここで幽閉されていても、あの李郭の気まぐれで、いつ処刑されてしまうか分からない。あの酔いどれ君主のことだから、惷蘭や子どもたちの命だって危ない。この国も李郭が君主ならば……いずれ隣国に攻め込まれて、領土を失うことは時間の問題だ。

 たとえ『国を裏切る』ことになっても、隣国の君主に付いた方が利口かも知れない。そう判断した劉操は家族と、数人の腹心の部下を連れて、護衛の兵士たちに守られて、隣国の君主の元へ下った。

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