六
「ふはー、食べた食べた!」
壱子が満足げに腹をさする。
皇都から東に走る新街道である
「行動と台詞がおっさんですよ、殿下」
「む、うら若き乙女をつかまえておっさん呼ばわりするとは何事じゃ」
「よくもまあアレだけの食べ物がその小さな身体に入りますね……」
「入ってしまったものは仕方が無いではないか。そもそも、お主だってそんなに食ってないじゃろうに。私には逆に、お主があれだけで足りることのほうが不思議でならぬぞ」
「私も本当はもっと食べたかったんですけどね……」
「けど、なんなのじゃ?」
「路銀が、その……」
「金が無いのか」
「ええ、普段は皇都で安く纏め買いしたものを少しずつ食べていくのですが、今回は誰かさんが鞄の中に入っていたせいで持ち運べる食料がかなり少なくなってしまいました。その結果、道中新たに食料を購入しなければなりません。ですから、ある程度は節約しなければならないのです」
「それはすまぬことをしたのう……」
「今日はえらく素直ですね」
「腹が満たされておるから機嫌が良いのじゃ」
「……そうですか。しかもですね、私も忘れていたのですが……」
「ま、まだ何かあるのか」
「今回は二人分の食費が必要でした……」
「灯台下暗し、とはこのことじゃな」
「ええ、意外なところに落とし穴がありました」
平間はがっくりと肩を落とす。そんな彼を見かねてか、壱子が口を開く。
「こんなこともあろうかと!」
そう言うと、おもむろに壱子は自らの懐から白い小袋を取り出した。
「これは?」
「私のお小遣いじゃ。今まで特に欲しいものも無いからとりあえず貯めておいた」
「そんな大切なものを使わせていただくわけには参りませんよ!」
「そうでもない。それにお主は私の願いを聞いてくれているのじゃ。これくらいの協力はさせて欲しい」
「しかしですね……」
「私が良いと言っているのだから良いであろう?」
正直な話、壱子の小遣いがあればすごく助かる。銭であるとはいえ、かなりずっしりと入っているようにも見えたから、それなりの金額にはなるのだろう。
仮にこのまま旅を続けたら、行程の半分も行かないうちに所持金は底を着いてしまう。そうなってしまえば何も身動きが取れない。
「そこまで仰るのでしたら、ありがたく使わせていただきます」
「うむ、そうしてくれ。ところで、これで足りるかのう。私は自分で買い物をしたことが無いから、物の金額と言うものが分からぬのじゃ」
「それでしたら、袋の中身を見せてもらっていいですか。私が数えましょう」
「頼む。よし、手を出してくれ」
平間が両の手の平を出し、壱子が袋を逆さまにして振ると、中から六つの塊が落ちてきた。一つ一つが二寸ほどあるそれを、平間は危うく取り落としそうになる。
慌てて平間は壱子を近くの路地裏に引き込んだ。
「……なんですかこれ」
「お小遣いじゃが?」
「これ、宝石ですよ」
「で、あろうな。それがどうかしたのか」
「おそらくですが、これ一つで私が一年間で拝領する金額の二〇倍の値がつきます」
平間が壱子の持っていた宝石の中で燃えるように赤いものを指して言う。それを聞いて壱子は、心底可哀想なものを見るような目をした。
「お主……貧しいのじゃな」
「いやいやいや、皇室の金銭感覚がおかしいんですよ! こんなものを小遣いとして子供に与えるなんて……それにこんな立派な宝石、見たことがありません」
「そういうものかのう」
「そういうものです。しかし困りました……」
「どうかしたのか」
「この殿下のお小遣いですが、違う意味で使うことができません。というのも、普通の人は買い物にこういった銭を使いますが――」
平間が懐から穴の開いた鈍い山吹色の銭を出す。
「おー、お主が持っているやつじゃな」
「そうです。ですので、この宝石を使わせていただくにしても、ものを買うには宝石を一旦銭に換金する必要があります。が」
「が?」
「こんな大きい宝石、滅多に無いのですごく目立つんですよね……最悪の場合、その場で警吏を呼ばれてしまう可能性もありますし、少なくとも足が着くことは避けられないでしょう」
「それでは、どうすればいいのじゃ」
「しばらくは私の路銀もありますし、換金できそうな時にすればいいでしょう」
と言ったものの、そんな当ては平間には無い。
こんな大きな宝石を足が着かないように換金でき、かつそれに見合う銭を用意できる場所など検討も着かない。通常、足が着かないのは裏社会のようなところだろうが、そのような場所に行って今回のような大口の取引が出来るとは思えないし、そもそも襲われて宝石だけ奪われることだって考えられる。半面安全性を重視して真っ当なところに行けば、そういう店の店主は必ずモノの出自を気にするだろう。
壱子も壱子である。こんな価値のあるものを少女が持ち歩いていては危険極まりない。いや、その価値を理解していないのだから、ある意味し方の無いことかもしれないが……。
「残念じゃ、私も役に立てればと思ったのだが……」
壱子が、しゅんと肩を落とす。その時――
「そこまでだ! 神妙にせよ!」
薄暗い路地に、突然、凛とした声が響く。
声の主は町娘の格好をした女である。
「貴様……殿下を
鋭い音と共に抜かれた剣の切っ先が、真っ直ぐ平間の顔に向けられる。
「さあ、丸腰では私には勝てぬぞ、おとなしく投降せよ。さすれば命だけは助けてやる」
平間は不測の事態に弱い。突然の追っ手の出現に今、彼の頭の中では「たたかう」「にげる」「どうぐ」などの様々な選択肢が、次々に浮かんでは消えていた。
女の言うとおり、平間に勝ち目は無い。それは、彼には武器が無いからだけでなく、武術の心得も無かったからである。
すると、壱子がすたすたと女の方へ歩き出した。
「で、殿下!?」
焦る平間とは裏腹に、女へ歩み寄る壱子の表情は冷静そのものである。
女は歓喜の声を上げる。
「おお、姫さま! お怪我はありませんか!」
「うむ、苦しゅうない。ところでお主の名と所属を訊きたいのじゃが」
女のそばに立った壱子がにっこりと笑って言う。
その言葉を聞いた女は、いたく感動した様子で、
「わが名をお尋ねしていただけるとは、恐悦至極にございます! 私、感激です!」
「そうかそうか。で、名と所属は?」
「再三お口を煩わせてしまって申し訳ありませぬ。
「マツリか、賑やかそうで良い名じゃな」
それは褒めているのだろうか。
「そのようなお言葉、ありがたき幸せであります!」
ありがたいのだろうか。
「ところでマツリ、お主、一人で来たのか?」
「はい、隠密任務を拝命いたしまして、一人で任務に当たっております!」
隠密任務なのにそれを公言していいのか、と平間は思ったが、口には出さなかった。
にこにこした壱子が続ける。
「それでは、お主が今ここにいることを知っている者は?」
「おりませぬ!」
それを聞いた壱子が
「なるほどの、良く分かった。危ういところを救ってくれて私は心から感謝しておる。ところで、アレはなんじゃ?」
おもむろに壱子が空を指差す。釣られて茉莉も天を仰ぐ。
「アレとは……? 特に何も見えなぃがひゅ……っ」
肺腑から息が無理やり押し出されたような珍妙な声を出した。壱子が茉莉の背面やや上向きに、見事な掌底を撃ち込んだのである。茉莉が膝から崩れ落ちる。自身へもたれかかる茉莉を丁寧に地面へ横たえた壱子が、平間の方へ向き直って言った。
「大丈夫じゃ、死んではおらぬ。意識を絶っただけじゃからな」
「い、”意識を絶つ”ってなんですか……私、二十年以上生きてきてそんな台詞を聞いたことが無いのですが……」
平間が声を震わせるが、当の壱子はけろっとして言う。
「
ぶんぶんと首を振る平間。
「そうか。まあ、あまり言うことでもないじゃろうし無理も無かろう。それに、そんなに一生懸命習得するものでもなさそうじゃ。実際、私も空拳と
「というか殿下、戦闘要員だったんですね……」
「それほどでもない。師匠は私の五百倍は強かったし、それに今のは不意打ちに過ぎぬ」
壱子は気絶している茉莉を申し訳なさそうに見る。茉莉は、よくよく見れば整った顔立ちをしていたが、今は白目を向いて口は半開きになっており、もとの恵まれた素材が切ないほどに台無しになっていた。
「それで殿下、この女人はいかがするのです。その辺りに押し込めて先を急ぎますか」
「うむ、それじゃがの、こやつ一人できたと言っておったじゃろ? あの様子だと私に嘘を吐くことはまず無いじゃろうから、おそらく本当に一人なのじゃろう。我らに向かって来た時も一人じゃったしの」
「確かに……それで、どうするつもりですか」
「おぬしも思ったかも知れぬが、この女――」
「阿呆ですね」「阿呆じゃ」
綺麗に二人の声が重なる。
「で、あるから、おそらく何らかの使い道はあると思うのじゃ。私への忠誠心もなかなかのモノのようじゃしな」
「殿下、人望あったんですね……」
「何を言うか!……と、言いたい所じゃが、自分でも少し驚いておる。ひとまずお主の荷の中にでも押し込んで一緒に連れて行ってくれぬか。かなり綺麗に
「そこまで考えておられたとは……この平間、お見逸れ致しました」
「苦しゅうない。もっと褒めてよいぞ」
「ですが、この騒ぎを聞いた者がいたかも知れませぬ。早々にここを離れましょう」
「む、それもそうじゃな。よし、私が袋の口を開けておるから、そやつを担いで入れてくれ」
「わかりました」
途中、平間は何か柔らかいものに触れた気がしたが、気にしなかった。
壱子がニヤニヤして言う。
「それにしてもお主、関抜けだけでは飽き足らず人攫いまでやってのけるとは、どんどん悪の道を突き進んでおるのう」
「誰のせいですか、誰の!!」
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