第3話 人生の岐路
高校卒業後、皮肉なことに桜子と功が東京の大学に進学し、俺は佐都島の本土の玄関口である新潟市にある予備校に通うことになった。二人はこれからも連絡をよこすと言ったが、実際はもう疎遠になることを予感していた。実際、離れ離れになった後、功から一度連絡があっただけだったので、帰省シーズンであるお盆を前にしても二人に会えないだろうと高をくくっていた。だから、お盆前に桜子から「時間があったら、新潟で会えないか」と電話があったときは驚いた。
俺は桜子が都会の色に染まったのではないかという不安と期待を二つながらに抱いていたが、半年ぶりに会う桜子は、あまりにも変わりなくて少し意外だった。相変わらずのボブの髪型。服もTシャツにジーンズというカジュアルな服装だった。俺たちは、船の出航までの時間を利用して、新潟駅近くの喫茶店に入った。
「大学は楽しい?」
俺はお互いのオーダーが終わると訊いた。
「……わたし、大学辞める予定なんだ」
「えっ! 嘘でしょ!? 理由は?」
俺はびっくりして手に持っていたグラスから水をこぼしそうになった。
「……実は、わたし妊娠したの」
俺は驚きのあまり言葉が出なかった。「ニンシン」って、まだ一八なのに!? 桜子は父親が功であること、大学を辞めて、実家に戻ることを話した。
「だけど、桜子はそれでいいの? 功は何て言ってるの?」
俺はなんとかそう言った。
「功とはもう別れた。功は中絶を希望したから」
「そんな……」
俺は何と言っていいかわからなかった。
「わたしは産むことにためらいはないよ。大学なら、子どもが大きくなってからでも行けるし」
「そうかもしれないけど……」
「まあ、わたしだって悩んだよ。一番楽しい時期を子育てに費やさなければならないんだから。だけど、せっかく授かった子どもだし。ここで産まなかったら、一生後悔するかもしれないし」
「……なるほど。そうかもね。そういう強い思いがあるなら……、いいんじゃないかな。俺もできるだけ応援するよ」
「ありがと。実はこのこと、親以外には誰にも言ってないんだ。樹くんに話して、少し楽になったよ」
桜子はそう言って、今日、会ってから初めて笑った。俺はその笑顔にひとまず安堵した。
俺は桜子が新潟港行きのバスに乗るのを見送った後、桜子と自分との間に深い溝ができたことを思い知った。桜子はこれから母親になるのだ。今後桜子とデートできる日が来るだろうか?
俺は予備校の寮に戻り、物思いに耽った。大学に入ることは重要なことだが、妊娠に比べたら、どうだろうか? 育児など自分には想像もつかない話だ。俺が功と同じ立場だったら、功と同じことを言うのではないだろうか? 功も辛いはずだ。俺は手帳を開いて、功の電話番号を調べた。だが、自分に何が言えるだろうか? 桜子と一緒に佐都島に戻れ、と? そんなことを言える立場ではない。それに自分が助言できる話ではない。それでも、知った以上は……。
三コールで電話がつながった。「はい、柴田ですが」という声は俺が知っている功の声よりも低かった。
「樹だけど……」
功は「オオッー」と声を上げた。「元気か?」
俺たちはお互いの近況を話した。功はバイトが忙しくて、今年の夏は帰省できないと話した。俺は予備校の名物教師の話をした。その後、沈黙ができた。そこで俺は言った。
「今日、桜子と会ったよ」
「……そうか。会ったか。なるほど。それで……俺に電話してきたのか。なんかそんな予感がしたよ。いやー、まいったよ。実は、ここ一週間ほど家で死んでた。俺のこと軽蔑してるよな。当然だ。そうだ、樹にも謝らないとな。樹も桜子のこと好きだったから。本当にすまん」
「……避妊したのか?」
「した、つもりだった。だけど、細かいことは言えないけど、結果として失敗した」
「正直、言葉が見つからない。ただ、悩んでも解決しないから。あまり悩まないで、桜子の力になるようにしなよ」
「そうだな。俺も腹をくくるしかないか。それだけのことをしたんだから。正直、学生生活を楽しめる気分ではないよ」
「……俺は力になれないけど、話なら聞くよ」
「ありがとう」
電話を切った。俺は功と話したことに満足を覚えると同時に、抽象的な毎日が一挙に生々しい現実に彩られた気がした。しかし、自分の方こそ足元を掬われないようにしなければ。数字が一生を左右するなんて、飛んだ思い込みだ。俺が数字に踊らされている間に、彼らは図らずも現実に、生活に向き合う羽目になったのだ。現実は、生活は、いつだって側にある。そのことを忘れないようにしなければ。俺は寮内に夕食のアナウンスが流れるなか、そんなことを思った。
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