第2話 出会い
蛯原桜子と柴田功の知己を得たのは佐都高校時代だった。
佐都には三校高校がある。佐都高校、佐都女子高校、佐都農業高校である。そのうち、佐都高校(通称佐高)が最も大きな高校で、佐都の中学生の大半が佐高に進学することになる。
なお佐都島は日本海に位置する、楕円形の島である。その面積は沖縄本島に次ぐ広さで、島の周囲に敷設された道路は、約二五〇キロメートルにわたる。北と南に山地があり、この間に穀倉地帯の平野が広がる。その平野部には、佐都最大の繁華街があり、佐高はその繁華街の外れに位置する。
俺が功と知り合ったのは佐高への最初の登校日だった。俺たちは席が隣同士だったことがきっかけで話すようになった。それから数日して、功と同じ南部の中学の出身である桜子と知り合った。二人は寮から高校に通っていた。俺は自転車で自宅から通っていたが、学校帰りに二人といっしょに寮まで歩いた。最初に桜子と話したとき、覚えているのは、趣味についてのやりとりだった。俺は桜子から趣味について訊かれたが、テレビゲームくらいしかなく、それを愚直に言うしかなかった。桜子は「ふ~ん」と言って、どこかがっかりしたような表情をした。俺も桜子に同じことを訊くと、桜子は「本と映画」と答えた。外国の小説や映画(固有名詞を出したが、当時の俺は何も知らなかった)が好きだということだった。俺は大いに驚嘆し、彼女に尊敬の念を抱いた。
俺の高校生活は、恋愛やスポーツといった青春的な事象には無縁だった。その頃、俺は自分のアイデンティティを模索して、悩んでいた。俺は桜子の影響でテレビゲームは止めた。しかし、俺は運動も人付き合いも苦手だったし、他にやることもないからせめて勉強くらいはできないと、と思い、俺は一年の夏休み明けから、ほぼ勉強だけに暇な時間を費やしていた。
そうした生活は、どこか無理があり、息苦しかったが、そのかいあって、二年の一学期の模擬テストでは、難関大学への進学を狙える上位の成績に入ることができた。しかし、それだけで、俺は地味な高校生だった。一方、功は人気者で友達も多く、俺とは対照的だったが、いっしょに試験勉強したりして、友人関係は続いていた。
俺は運動は苦手だったが、マラソンだけは好きで、今から思えば幸いなことに、功と放課後に一緒に川沿いの道をランニングすることになり、それが唯一の楽しい時間になった(功と期末試験の勉強をしているときにそういう話になったのだった)。俺は活発な功を通して青春的な事象の一端に触れることができた。たとえば、功は部活で合宿に行ったり、海で女の子をナンパしたりしていた。俺が「羨ましい」と言うと、「今度いっしょに海に行こう」と誘われた。俺はスクール海パンしか持っていなかったため、まず海パンを買わなければならなかった。
高二の夏休みのよく晴れた暑い日に、俺は買ったばかりの蛍光ブルーの海パンを履いて、功と二人で約四キロにわたり砂浜が続く
俺たちは泳いでは砂浜で寝そべってを繰り返した。ジリジリと照りつける太陽に晒されながら、浜で寝そべっているとき、「お、来た」と功が海の家の方を見て言った。功の視線の先を追うと、水着姿の女子が二人、こちらに向かっていた。功が手を振ると、二人も手を振り返した。
桜子と桜子の友達の多恵だった。桜子は紺と白のボーダーのビキニ、多恵は黒地に花柄のビキニを着ていた。俺は肌を露にした女子を目の前にして嬉しかったが、視線のやり場に困った。「やっぱりビーチパラソルがあった方がよくない?」という多恵を受けて、功は一人で海の家の方に向かった。俺は二人とどう接したものか悩んだ。
「細いね~。羨ましい」
桜子が俺を見て言った。俺は苦笑した。
軽い準備体操の後、三人で海に向かった。俺には二人の体は眩しすぎた。その白いお腹、太腿、そして胸元は刺激が強すぎた。俺は直視できなかったが、背後から一定の距離を置いて二人の体に視線を走らせた。二人は「冷たーい」などと黄色い声を上げながら、身体を海に沈めていった。
俺と桜子が浮き輪に体をくぐらせている多恵を押す形になった。こんな楽しいことがあっていいのか、と俺は思った。海水の浮力とは別の浮力を感じた。それは長らく忘れていた感覚だった。
俺は「気持ちいいね」と桜子に向かって言った。
「うん、最高だね!」
桜子はそう言って、大きな笑顔を見せた。
(気持ちいい、なんてもんじゃない。羽でも生えたかのような浮遊感と胸に深く染みわたるこの切なさ。これは――)
「おい、俺も仲間に入れろよ!」
背後で声がしたと思うと、功が俺と桜子の間に割って入ってきた。俺はこのときばかりは、功を睨んだ。功は桜子と話していて、俺の視線に気づかなかったが。
夕方まで、泳いだり、日光浴をした後、俺たちは海の家でラーメンをすすってから別れた。
次の日、功とランニングのために会ったとき、「いい顔になったな」と功は俺を見て笑った。俺の顔は赤く焼けていた。
俺はランニングが終わって、歩いて帰る途中、功に桜子に彼氏はいるのか、と訊いた。
「さあ~、本人に訊いてみれば……。もしかして、桜子にほの字か? 桜子のカラダに魅せられたか?」
「……それだけではない。何というか、もっと全体的に……」
俺は顔に血が上るのがわかった。日焼けで赤くなったことは幸いだった。
「いいこと教えてやるよ」功は共犯めいた笑みを浮かべて言った。「桜子は月・木の午前中に進学希望者向けの補習を受けてる。その日は、アプローチするいいチャンスだ」
俺はそれから桜子にどう声を掛けたものかずっと考えた。デートに誘うのが最初のステップだと思った。それにはデートプランを練らなければならない。お茶やボーリングとか、そういうことだ。相当ハードルが高いが、やらなければならない。しかし、何を話せばいいだろう? 俺は最初に桜子と交わした会話を思い出した。前に桜子が好きだと言った外国の作家の小説を学校の図書館で借りたことがあったが、結局、そのときはテスト勉強で忙しくて読まずに返した。そこで、俺はもう一度借りて読むことにした。
そうこうする内に、桜子にアプローチすると決めていた日が来た。俺はファッション誌を参考にして決めた服装――ブルーのポロシャツにベージュのパンツ――に着替えてから、髪をムースで整えて、うだる暑さの中、いざ学校へと向かった。
俺が玄関で桜子を待っているとき、功が先に現れて、「桜子か? がんばれよ」と声を掛けてきた。俺は緊張のあまり逃げ出したくなっていたが、功に目撃されたことで退路を絶たれた。
それからほどなくして、桜子が他の女子といっしょに現れた。俺は他の女子の前では恥ずかしいから、別の機会にしようかと思ったが、桜子が俺に話しかけてきた。
「こんにちは~。何してるの? こんなところで」
桜子は珍獣でも見るような目で俺を見ていた。
「うん、実は……、あの、桜子さんに用があって……」
「わたしに?」
俺は俺たちに好奇の視線を向けている女子が気になったが、もう言うしかなかった。
「今度、お茶してもらえないかなと思ってるんだけど」
「……お茶。ふ~ん、もしかしてデートに誘ってる?」
俺は頷いた。
「う~ん、いいよ! じゃあ、明日〈ラ・メール〉でお昼食べない?」
「あ、はい! 是非!」
俺は急き込んで言った。
「じゃあ、明日一時に〈ラ・メール〉で」
俺は嬉しくて、思わずニヤけた。さっきまでの不安から解放され、達成感に満たされた俺は駆け出さずにはいられなかった。
(すごい! 案ずるより産むが易しとはこのことだ)
俺は家に帰ると、明日の計画を練った。まず、本の話、学校のこと、進路のことなど想定される話題を紙に書き出した。服装もまた考えなくてはならない。白いパンツにチェックのシャツにするか、それとも……。
俺はすっかり恋の虜になった。何度も桜子のビキニ姿が、笑顔がフラッシュバックした。もっと桜子のことが知りたい、と俺は思った。しばらく勉強が手につきそうになかった。
(勉強などどれほどのものか。今は将来のことなど考えられない。それよりもこの甘美な感覚に身を委ねるべきだ)
俺は小学五年生の頃の由佳ちゃんと付き合ったときの感覚を思い出した。しばらくいっしょに帰ったり、公園でデートまでしたこともあった。そのとき、「将来は結婚しようね」などと、まだどうやったら子どもができるかも知らないうちから、マセた話をした。由佳ちゃんの転校で俺たちは離れ離れになり、それで終わってしまったが、由佳ちゃんとの初恋は俺の恋愛観を形づくるものになった。以降、恋愛できなかったのは、由佳ちゃんとの初恋を基準にしていたからだった。俺はそのときのような完全な楽しさ・快楽を恋愛に求めていた。
デートの日、俺は結局、白のパンツに黒とグレーのチェックのシャツという、考えられる限りで、最もおしゃれな服装で出かけた。親には友達と勉強すると言っておいた。俺は、佐都島で最も賑わっている商店街の路面店の喫茶店〈ラ・メール〉に入った。俺はまだ一回しか来たことがなかったが、〈ラ・メール〉は佐高の生徒もよく行く店だった。「カランコロン」と鳴るドアを開けて、おそらくは島で最も垢抜けている空間に足を踏み入れた。ちょっと薄暗い店内。音楽は耳あたりのよい洋楽がかかっている。制服のウェイトレスの案内で、俺は四人掛けの丸テーブルに着いた。マガジンラックには、『POPEYE』などの文化系の雑誌が常備されている。約束の時間の一五分前だったが、桜子は来てなかった。客の中には知っている顔もいたが、幸いクラスメートはいなかった。
桜子は時間に十分ほど遅れてきた。俺は安堵とともに桜子に笑顔を向けた。
「ごめんね。ちょっと補習が長引いちゃって」
桜子はブラックウォッチのプリーツスカートに白のポロシャツという制服姿だった。
「ぜんぜん。俺も来たばかりだし」
「そうなんだ。ところで、顔、焼けたね。いい顔になったよ」
「この前は本当に楽しかった。海に行ってあんなに楽しかったのは初めてだよ……」
俺はそれ以上は言えなかった。
「海はいいよね。佐都島に生まれたことに感謝しないと」
俺は必ずしも同意できなかったが、「そうだね」と返事をすると、メニューを手に取って、桜子の方に向けた。
俺たちはお互いにランチメニューのナポリタンとコーヒーのセットを注文すると、進路について話した。高校二年生にとって、進路は最大の感心事の一つだ。桜子は仏文科か哲学科で迷っていることを話した。どちらもおもしろそうだ。できれば、両方学びたい、と。俺は理系だったが、文転を考えていることを話した。それは最近再読したサガンの小説に大いに興味を惹かれたからだった。
「
「桜子さんの影響だよ。桜子さんがサガンの名前を出さなかったら、サガンを読むこともなかったかもしれない。俺もこういう文学の世界をもっと早くに知っておけばと思ったよ」
「私は親の影響で読んだんだ。何にしても樹くんが本当におもしろいと思うんなら、文学部もいいと思うよ」
俺は桜子と同じ東京の私大でドストエフスキーとかの小説を読むことを想像した。それはすごく甘美なイメージだった。
「文学部は就職が難しいかもしれないけど」と桜子は付け加えて言った。
就職はまだ俺には遠い話だった。それよりも何かおもしろいことが勉強できれば、楽しいキャンパスライフが過ごせればそれで良いのではないか、と思っていた。しかし、そのために高校生活を犠牲にして良いのか? 俺は男女交際の可能性に大きく揺らいでいた。先日の海水浴は俺のこれまでのどちらかと言うと勤勉で禁欲的な生活を根底から揺さぶるものだった。いや、正確には目の前の桜子だ。桜子の健康美、明るさ、そして知性と感性。今までの自分では桜子のように人として優れていると感じさせるものを得ることはできそうもなかった。俺は桜子のような人から承認を得られるだろうか? 功もまた魅力があったが、俺は功には勉強を教えたりしてある程度は相互承認があった。しかし、桜子からはたぶん無理だ。ただ、ペーパーテストができるだけでは、承認されない。大学入試はペーパーテストで決まるが、ペーパーテストができても女にモテないようでは、つまらない人生を送ることになるだろう。
「俺はただ数学ができるからという理由で理系を選んでいた。本来なら勉強したいことや、やりたい仕事が先にあるべきなんだろうね」
「そうだね。でも、私たちの年でそこまで決めるのはなかなか難しいかもね。わたしもまだやりたい仕事まで決めてないし」
「俺は大学で何を勉強するかもまだだし、本当にそろそろ決めないと」
「進路相談してみるのもいいかもね。まあ、最終的には自分で決めるしかないけど。わたし今、進学コースの補習取ってるでしょ。それがなかなか難しくてね。樹くんは取らないの?」
「俺は通信教育があるから」
それから、勉強の話になった。いかにも高校生らしい話でそれはそれで悪くないが、俺はこの真面目くさった話を脱線させて、より男女を感じさせる話がしたかった。注文したランチセットが来たところで、俺たちはしばらく無言でランチを食べた。
「ところで、桜子さんは彼氏いるの?」
俺はずっと暖めていた質問で頭がいっぱいになって、ついに言葉に出した。
「フフ……。秘密」
桜子は顔を上げて、いたずらっぽく笑って言った。
「いない」という答えを期待した俺にはあまり嬉しい答えではなかった。
「どんな人がタイプなの?」
「やさしくて自分のことを思ってくれて、それで何かを頑張っている人かな。樹くんは?」
「俺は……。そ、そんなタイプなんてわからないよ」
「好きな人はいないの?」
俺は一瞬、告白しようかと思ったが、できなかった。時期尚早というか、もう少し距離を縮める必要があると思った。しかし、俺には自信がなかった。こうして話すだけでもいっぱいいっぱいで、実のところ、一人になりたかった。桜子とどう接したらよいか俺にはわからなかった。遠くから見ていると、もっとくっつきたいという思いが募るが、彼女との会話よりは、数学の問題の方がはるかに簡単だった。数学の問題ならなんとかして解を見出す自信はあった。しかし、桜子との会話をどう導けば、交際にたどり着けるのか見当もつかなかった。
「俺も秘密」と答えるのが精一杯だった。
進学のことに話が戻り、「やっぱり東京に出る口実になるのがでかいよね」と俺がと言うと、桜子が答えて言った。
「だけど、佐都島もいいじゃない? わたし今はそう思うようになったよ。都会もいいけどね。樹くんはどう思う?」
「俺は……、あまり佐都島での暮らしが好きじゃなくなった。特にここ最近は。高校生になっていろいろなことが見えてきたせいかな。だけど、そんなこと言っても始まらないしね。海はきっとこっちの方がきれいだと思うよ。でも、東京には出たいとは思う」
俺はできるだけ率直に答えた。
「佐都島に生まれたことって結構大きいよね。良くも悪くも。不便なところだけど、東京で生まれ育ったら、田舎に憧れるかもしれんし」
「……そうかもね」
食事の後、コーヒーをすすり、「デート」は三時頃でお開きとなった。俺はここまで長く女子と二人で時間を過ごしたのは中高を通じてはじめてだった。しかし、これで二人の距離が縮まったわけではなく、むしろ離れたように感じた。俺は彼女が大人で、自分にはとても彼女の相手をできないと感じた。しかし、どういうわけか彼女から大きな提案があった。俺は「うん、うん」と思わず大きく頷いた。
翌週の月曜日から、俺と桜子と功の三人で走ることになった。十月のマラソン大会に向けての練習という名目だった。俺はこのラブコメ的な展開に満足した。功もいっしょとは言え、桜子と毎日会えるのは天国だった。俺は桜子の後ろ姿を見ながら走った。そこに水着姿を重ねずにはいられなかった。俺は桜子の揺れる尻を見ながら、そこにいつか触れたいと強く願った。
九月半ばの爽やかに晴れた日に、功に用事ができたため、桜子と二人で走ることになった。そのとき、俺はどこか偏執病的な精神状態に陥り、今日こそ告白のまたとないチャンスだ、という思考にとらわれた。俺は恋に恋していたのだ。告白という行為で彼女に自分を印象付ければ、彼女を振り向かせることができるのでは、という淡い期待があった。会話が難しくても、桜子の体に触れたかった。そのためにはどうしても告白する必要があった。
俺は折り返し地点の近くの食料品店の前でちょっと休もうと提案した。二人で店の前まで移動して、自販機で清涼飲料水を買った。俺は桜子の分も買って、桜子にドリンクを手渡した。桜子は学校のことでいろいろと話題を振ってきたが、俺は生返事しかできなかった。ちょうど薄暗い秋の夕暮れどきで切ない気持ちにさせるのに一役買っていた。沈黙が続き、淀んだ雰囲気になったとき、俺はついに口を開いた。
「あのさ……、俺、桜子のこと好きなんだ。俺と付き合ってくれんかな?」
俺はどこかで聞いたセリフを吐いた。他にどう言えば良いのか、これで良かったのか俺にはわからなかったが、もう後の祭りだった。俺は桜子の表情に全神経を集中した。一瞬、桜子が見せた笑顔に期待が高まったが、桜子の反応に俺の期待は打ち砕かれた。
「え~と、とりあえずごめんなさい。気持ちは嬉しいんだけど。わたし好きな人いるんだ」
「……そっか。わかった。俺もOKしてもらえると思わなかったし。こっちこそ、急でごめん。じゃあ、そろそろ行こうか」
俺はすっかり暗くなった川辺の道は走りながら、そこはかとなく漂う絶望の中で夏の終わりをその空気の中に感じていた。これまで桜子に対して抱いていた淡い希望は、今やぼんやりとした絶望に変わり、この闇へと流れ出ているような気がした。海で桜子が見せた笑顔を振り払うように俺はピッチを上げた。気づくと一人で走っていた。俺は出発点に戻ると、桜子を待つことなく帰路に着いた。
それから俺は放課後のランニングに行かなくなった。やがて功と桜子が付き合っているという噂を小耳に挟んだ。実際、俺は二人が放課後いっしょにいるところを目撃した。それは十月初めの衣替えしたばかりの頃だった。俺が帰宅時に高校の近くのスーパーに寄ったとき、二人が店のお菓子売り場にいるところに出くわした。二人はばつが悪そうに俺を見た。俺は慌てて目を逸らし、その場から遁走した。俺はその翌日から不登校になった。
それから三日後、功が俺の家に来た。功は部屋に入るなり、ビニール袋から炭酸飲料を取り出して、俺に手渡した。
「毎日何してる?」
功が訊いてきた。
「勉強したり、読書したり」
「学校はどうするの?」
「退学して、大検受けようかと思ってる」
「……桜子のこと黙ってて悪かった。すまん」
「いつから?」
「夏休みの終わりからだよ。もちろん相談受けたときは付き合ってなかった」
「……おめでとう、と言うべきかな」
「やめろよ。俺がおまえの立場なら桜子を諦めない」
「俺は功とは違う。これ以上、辛い思いをしたくない」
「まあ、お前の自由だ。……とにかく、学校来いよ。で、放課後またいっしょに走ろう」
「冗談だろ。どの面下げて二人といっしょに走るんだよ!」
「失恋のたびに引きこもるつもりか。それじゃあ、社会生活送っていけないぞ!」
「ほっといてくれよ。もう帰ってくれ!」
俺は一人になると、功の言ったことがもっともだと思うようになった。俺はあまりに弱すぎるのかもしれない。もっと図太くならないと人生を生きていけないのではないだろうか? 俺は功からもらった炭酸飲料を飲みながら思った。
次の日、俺は登校した。さらに放課後のランニングにも参加した。功と桜子は何事もなかったかのように俺を迎えた。俺もまたそんな二人に応えられるようできるだけ笑顔をつくった。
マラソン大会の日が迫っていた。三人のランニングもその日までだった。俺は桜子との時間を慈しんだ。もはや付き合うという希望が潰えたとはいえ、相変わらず桜子は眩しく、言葉を交わしたり、目が合ったりするとドキドキした。その一瞬には、バラの花のような刺付きの甘美さがあった。彼女が海で見せたような微笑みをくれたとしても、もうそこに希望を見出だせない。それは辛かったが、無理のある恋愛に身を焦がさなくてもよいのは楽でもあった。さらにたとえあからさまではないにしても、ラブラブなカップルに混ざって走ることはどこか気持ちが良かった。カップルの幸せが俺にも波及しているようだった。桜子とも少なくとも表面上は普通に話せるようになった。そして、不思議なことにマラソン大会後も試験勉強や文化祭など高校のさまざまなイベントを三人で過ごしたのだった。
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