爆買い (6)

 その後も、中国人グループによるおむつ争奪戦は続いた。俺は、例の彼に入荷日

のヒントを告げたが、当店には第一次と第二次グループが同時遭遇する事は無か

った。相変わらず、第一次グループが去った後に入店してきた。

 ただ、今までとは違うのは、おむつを二個購入するとすぐに店を出てくれる事だ

った。そして駐車場の彼らの軽トラやバンを見ると、今までは荷台が空に近い事が

多かったのだが、今ではおむつがそれなりに積まれている。


 どうも、第一次グループの動きを観察して、入荷日を完全に特定したらしい。

そして、彼らが回るルートの逆から購入しているようだ。そうすれば、彼らとカチ

合ってトラブルが発生することもないし、確実におむつを購入できるので、グルー

プ内の内輪揉めも起こりにくくなる。店舗側にとっても、店で喧嘩されたり、中国

人が一般のお客様に声を掛けるという事案が無くなったので嬉しい限り。


 第一次グループだけが若干損をした感じだが、彼らだって、『いつかは自分達の

行動パターンを真似るグループが出てくる』と分かっていたのだろう。 相変わら

ず淡々とおむつを買い付けていた。


 例の彼は、一週間に一回くらい店に顔を出して、「あいつらルール、マナーを

守ってるか? なんかトラブル起こしてたら声を掛けてくれ」と声を掛けて来た。

そして、彼は必ず情報を一つくれる。


「おむつのMサイズのパンツは今後減っていく」とか「テープ式のLサイズは、ま

だ必要」とか。

 そして、彼は必ず質問をしてくる。取引なんだろう。そんな彼が熱心に聞いてきたのはフラワーキング社ではないが、メジャーな製紙会社のおむつ工場が大火災に見舞われた時だった。

「店長さん、Z社のおむつ工場が火事になったらしいやん。店長さんとこも影響

ある?なんか知らへんかな?」


 相変わらず柔和な表情だが、いつもと違って眼には真剣さが宿っていた。この件

に関しては、本部からメーカーによる社告と、内部事情が記載されたメールが

届いていた。もちろん内部事情なんてホイホイ言えるわけない。

 俺は社告についてのみ答えた。これはZ社から二~三日前に公式に発表済だから

彼に伝えても全く問題ない。

「Z社から社告が発表されたって事しか知らないんですけど」

「あ、そうなん? 社告ってどんな事書いてあったんかな?」


 彼はホッとした顔で聞いてくる。新聞に掲載される社告は、見落とすくらい小さい

場合がある。ただ、Z社のホームページに行けばすぐに分かるだろうに。

 ……?日本語が苦手?やっぱり、中国人なのかな?この人。俺は、彼と出会った最初の好奇心が、またもや蘇ってきた。


「火災が鎮火したって事と、生産ラインの損害は少なかったみたいですが、原料

が結構燃えてしまったみたいなんで、それの確保に時間かかりそうですね。

社告では『早急に回復を目指す』としか書いてませんが」

「なるほど。原料が値上がりするかもしれへんね。店長さんおおきに」

彼は社告の情報だけで引き下がってくれた。いつも思うが、この人は絶対に

こっちの心を見透かしているはずなのに、あっさり引き下がる。


 素人を刺激して警戒心の塊にするのは愚策と考えているんだろう。素人なんて

警戒すると全く話さなくなる。そうなるより、少しでも情報を引き出した方が

良いと思っているのだろう。

 

 こうして、おむつを巡る中国人グループの戦いは続いていたが、遂に終焉を

迎える時が来た。

 そもそもフラワーキング社は中国での販路拡大に熱心で、おむつに限らず日用品

は、中国での知名度は抜群である。『陽気』が大人気になったのも、それが理由で

ある。フラワーキング社は、中国現地にも自社工場を作り商品を流通させていた。

もちろん赤ちゃん用おむつ『陽気』も。


 ただ、小さいお子さんを持つ中国の富裕層は、日本製の『陽気』でないと、

商品の品質を信用出来なかった。なので、市販されてる金額の『2倍』までなら

(一説によるとそれ以上でも)支払うんで、どうしても手に入れたい。


 最終購入者は中国の富裕層。つまりお金持ちである。子持ちのご家庭なら分かる

だろう。おむつなんてびっくりするくらい毎日消費する。お金持ちなら、そんな

消耗品でも、子供が育ち切るまで確実に買い取ってくれる。つまり換金率が高い。


こういった事情が、おむつ戦争勃発の原因だった。

 ちなみにネット通販で日本製のおむつを購入する事は出来なかったらしい。出来て

いたら、こんな騒ぎにならなかったろうし。

 ところが、この『ネット通販』が出来るようになったのだ。詳しい事は知らない

が、フラワーキング社が、中国のネットに『日本製の『陽気』を中国向け専用に

通信販売する』という販売サイトを立ち上げたのだ。勿論適正価格で。

 こうなると、手数料がタンマリ乗っかっている今までのおむつは見向きもされ

ない。店じまいの時間である。


 第一次グループはプロ集団である。ある入荷日から、ぱったりと来なくなった。

 まだ、通販サイト立ち上げまで数か月先なのに。彼らの上位グループは在庫を

大量に抱えているのだろうか?毎日消費するおむつといっても、数か月後には確

実に価格が半分になる。富裕層も組織からの購入は続けても、買いだめはしない

だろう。そう言ったことを見越しているのか、早くも買い付け部隊は解散したらし

い。引き際までもプロらしく鮮やかだった。

 第二次グループは来店したが、人数は5人、車2台といつもに比べて減っている。

彼らは淡々と買い物すると、すぐに去って行った。なんか寂しいな。普通のお客様

と一緒だ。例の彼も来店頻度が減ってしまった。当然だろう。


 サイトが稼働を開始した。もうそのころになると、第二次グループの来店頻度も

めっきり減った。そして『陽気』の配荷制度も撤廃されて、自店で発注出来る

通常モードに入った。 遂に日常に戻ったんだ。ブームって去るもんなんだな。

俺は感慨深かった。 


 そんなある日、久しぶりに例の彼が来店された。相変わらず柔和な表情を見せて。

「店長さん、儲からなくなったね。あんな対応になるとは思わなかったわ」

「そうですね。まさかネット販売するとは」俺は答えた。

「こっちは、在庫の目途がやっと付きそうで。危なかった。旧正月までは、まだ

ちょこちょこ買いに来るから、よろしくね」

「分かりました。…旧正月までに何かあるんですか?」俺は彼に初めて質問を

投げた。今まではそういうアクションをかけたことが無かった。


 もし、向こうが質問に答えてくれたら、代わりに彼の質問に答えなくては

ならないだろうし、それが嫌だったからだ。ただ、もう終戦間近。こっちには

情報は無いし、向こうも欲しい情報は無いだろう。なので質問をしてみたのだ。

 彼は、相変わらず例の軽い笑顔を浮かべながら、「いや色んな事情があるんで

そん時は頼みますわ」と、こちらの質問を軽く躱すと店を出て行った。


 旧正月前、例の第二次グループが、おむつを購入してきた。ただ、最盛期の

ような購買意欲は見せずに、一人二個を遵守して行儀よく購入して退店して

いった。

 その後、彼らも、例の彼も来店する事は無かった。

 

 終戦後、俺の心には二つの疑問と一つの問題が残った。

 

『結局、おむつ一つを、いくらの手数料で引き取って貰ったのだろう?』

これは、彼や彼らに尋ねても、絶対に答えてくれないと分かっていたから、当時

訊く事すらしなかった。1480円のおむつ。ボスは幾ら上乗せして買い取ったんだ

ろうか?


『彼は日本人なのか中国人なのか?』

これは、本当にどうでも良い話だが、彼と実際に接していると、この疑問は常に

頭をもたげていた。店長会議の後の飲み会でも、彼の話が話題になったが

(当然だが、彼は他店も廻っていた)、中国人派と日本人派で意見が割れて

決着がつかなかった。


そして一番切実な問題が、

『現在、当店の「ベビー用品カテゴリのおむつ用品部門」の売り上げ前年比が


38%


なんですが、どうしてくれましょうか? 他店も同様でウチだけでは無いんです

が、露骨に足を引っ張っているんですが…。

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