何も足さない。何も引かない。(2)
俺は、レシートのコピーを持って事務所に戻った。一万円札と五千円札の渡し間違えによる過不足なら、レポートに12回記録されてある一万円絡みの金銭授受のうち、更に5000円以上のお返しが発生した取引が、過不足発生の可能性が高いということになる。
俺は、赤ボールペンを持って、5000円以上のお釣り銭を渡した取引に印を付けていく。……なんだ、意外と少ない。四回だけか。
まずは、この四回の取引を防犯ビデオで確認する事にする。この四回で原因が判明すれば、調査はすぐに終わる。あとは軍曹からの説教を受けて報告書を提出するだけである。
俺はレシートに記載されてある、各取引の最後に書いてある取引時刻を確認しながら、防犯ビデオを巻き戻していく。
一人目。問題なし。
二人目。問題なし。
三人目...そろそろ来てくれ。そう思って、防犯ビデオの中で、大谷さんがレジを打っているのを観察する。商品を全て入力し終わり、表示器を見ながら、お客様に代金を伝えている。お客様が財布から紙幣を取り出し、大谷さんに渡し、彼女はマニュアル通り両手で受け取る。
ちょっとまった。
お客様が渡した紙幣、紫色ぽくないか?
防犯カメラは精度が悪く、紙幣の模様までは判別できない。なので、こういう時は紙幣の色や、レジのどこに紙幣を入れたかで判断する。
いま、大谷さんが受け取った紙幣は、明らかに五千円札を表す、紫っぽい色をしており、一万円札の茶色っぽい色では無かった。
俺は、この取引かも知れない。と思い、目を皿のようにして続きを見る。
大谷さんは、レジの表示器の下にある、一時置きするクリップに紙幣を挟んだ。間違いない。あの高貴に輝く紫色は、絶対五千円札じゃないですか。
大谷さんは、商品を先に袋に詰め始め、詰め終わった商品をお客様の前に置くと、
釣銭を渡そうとした。
その時、お客様が大谷さんに何か話しかける。大谷さんは笑顔で愛想よく応対しながら、レジドロアから五千円札が入っている場所から一枚、千円札が入っている場所から二枚、紙幣を抜いて彼女に渡した。そして小銭を数枚取り出すとお客様にお渡しする。
俺は、レシートのコピーを見る。お買い上げ金額2350円、お預かり10000円、お返し7650円となっている。
お客様がお釣りを財布に入れて、レジから離れる。大谷さんは一礼した後、表示器の下のクリップに挟んだ紙幣を外すと……レジの五千円札を入れる場所にしまった。
俺は、レシートコピーをもう一度確認する。お預かり10000円。ってなってるよね。
……原因究明完了。俺は大谷さんを事務所に呼ぶ。
「え?え? ……なんであたし、こんなことしてるんだろう……?」
顔を引きつらせながら防犯ビデオを凝視する大谷さん。
「お客さんに話しかけられてペース狂ったんかな?完全に一万円札と勘違いしてるね」
「そうですね……。それにしても……なんで……?」
絶句する大谷さん。いつも通りの、流れるような迷いない動作で高額過不足発生したのだから、大谷さん自身、そらショックだろう。
「俺、これから軍曹に報告するわ。PCから事故報告書のファイル開いといて下さい。あと、反省文の書式をプリントアウトしといて」
「はい、申し訳ありませんでした。……あと、私がミスしたので、ブロック長には私が報告します。」やだ、大谷さん健気。でもね……。
「大谷さん、店舗責任者は店長なんで、ウチが報告せんなあかんねん。気持ちだけ貰っとくわ。今後は気を付けてね」
「はい、すみませんでした」
薄暗い倉庫。大谷さんの横で軍曹に電話するのは嫌味だろうと、俺は一人になれる場所で電話することにした。幸い、電話は直ぐに繋がった。
こういうのはさっさと終わらせるのに限る。
「お。お疲れ。店長。なんや」
「申し訳ありません、高額過不足発生しました」
「はぁーあ、お前らの掛けてくる電話はこんなんばっかやな。ナンボや」
「5000円マイナスです」
「お札の見間違いか?誰がやったんや?原因は分かったんか」
「はい。大谷さんです。防犯ビデオで、お札受け取りの際の勘違いだと判明しました。本人にも見せて確認しています」
「……大谷さんって、化粧品の担当の子やな? ったく、社員が高額過不足出し取ったら示しつかんやろ。ちゃんと言っとけ。あと報告書は本日中にメールで送れ。反省文は、今度の訪店時に回収するわ」
「はい。申し訳ありませんでした」
「おう。頼むぞ。」
心臓止まるかと思った。でもやはりというか説教で済んだ。
俺は事務所に戻る。大谷さんが反省文をプリントアウトしている。PC画面を見ると、事故報告書ファイルが開いてある。
事故報告書は、よくある5W1H形式で、店舗で起こった事故の詳細を報告するものである。これは、PC上で作成して、そのままメールで上長へ送信する。
反省文は、『反省』という意味を明確に示すために、『手書き』で行われる。本部のやりたい意図は分かるけど、昭和風手段。
で、これは大谷さんと、店舗責任者である俺も書かないといけない。大谷さんは、ボールペンを取り出しながら机の前に座った俺を、すまなさそうな目つきで見る。
問題は、この反省文の内容である。自由に反省の意思を記入することは出来ない。
反省文の書式にもう一つ『書式(例)』という用紙があり、これに沿って書かないといけない。
この『書式(例)』、堅苦しいビジネス用語、文語的表現が満載なので誤魔化されそうなのだが、よく読んで見ると酷いのだ。 口語表現、現代風の日本語に翻訳すると、
『今回私は、高額過不足を発生させることによって、お客様、会社に、
大変な迷惑を与え、信用失墜させるという、愚かな振る舞いをした
地球最下等な人間です。もうね、どんな処分だって受けちゃいます。
そんな私は今後……』
こんな感じなのである。確かに決してこのまんま書いているわけではない。ただ、堅苦しく、慇懃な文体には、明らかに上記したような意図が込められているのが分かるのである。
ある気が強い店長が、「これは書式『例』だろ。自分の言葉で反省する」と書式に従わない反省文を提出したが、反省の意思なしとされ却下された。
会社は、どうしても『書式(例)』の文章が欲しいらしい。直筆で。
じゃあ『(例)』って書くなや。リーマン社会の闇。
地球最下等の男女二人は、黙々と反省文を書く。この事務所と言う世界は、日本のリーマン社会と言う名の場所から隔絶された新世界。
大谷さん、この世界で俺と一緒にアダムとイヴになりませんか?あ、嫌ですよね。
知ってますよぉ。
反省文は完成した。最後の締めくくりに「このような事を二度と起こさないよう業務に邁進していく所存であります(キリッ)」と記入する。
『
日常生活で『邁進』って書く機会ありませんよね? 反省文を書く時以外は。
◇
一週間後、悪夢が起きた。閉店前、岡田が真っ青な顔で俺に報告に来る。
「店長、2レジで四千円合いません。マイナスです……」
俺、死んだやん。本気で吐きそうになった。
俺も参加して、何度確認するがお金は合わない。四千円のマイナス誤差確定。
調査報告は間に合わない。明日になる。
こういう時は、取りあえず軍曹に過不足発生の報告をしないといけない。
心臓を悪魔の手で鷲掴みにされてるような感覚を覚えながら俺は電話する。
「ブロック長、申し訳ありません。閉店前のレジ点検で四千円マイナスです」
「あああああ?! お前、この間もだろう? 何しとるんや?」
連続して起こしたので、さすがに説教モードではなく拷問モード。
分かってたんですけどね
「は。申し訳ありません」
「お前、反省文に『このような事を二度と起こさない』って書いたよな!? あれは嘘か!!?」
俺は軍曹に激しい拷問を受けながら、
(でもさ、軍曹。反省文に『起こさないように努力するけど、人間のやる事。またミスは起きるかもしれませんが、そんときはすみませーん』とか書けないじゃないですか...)
と
遠のく意識の中で
ぼんやり
考えていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます