何も足さない。何も引かない。

 ある平日の昼下がり。8月もお盆が過ぎ暑さも和らいだ時期。お客様も減っている時間帯である。俺は、昼食でも摂ろうと思って事務所で白衣を脱いだ時だった。


「店長、レジ点検で高額過不足発生です。」大谷さんが少し緊張した顔で、事務所のドアを開けるや否や俺に報告してくる。

「まじか。幾ら?」

「マイナス五千円です」

「やってもうたなぁ……すぐ行くわ。」

「はい」


 『レジ点検』……小売業、サービス業でアルバイトした人ならお馴染のフレーズだろう。企業によっては『在高ありだか点検』とも言うが、内容は一緒。つまりは時間帯ごとに、レジ内部で計算しているお金の残高と、実際の現金に誤差が無いか点検する作業の事である。

 これは普通にやっておれば、誤差額は『0』、ぴったりになるはずである。

ただ人間のやることである。絶対にミスはある。何故か5円、10円と誤差が出てしまう事がある。 


 この誤差はプラス(店が得する)だろうがマイナス(店が損する)だろうが、お客様には迷惑をかけている事なので、「丁寧に金銭授受を行いましょう!」と朝礼夕礼で周知して終わる。 ただこれが高額になってくると話は変わってくる。

 お客様が、釣銭間違いに気が付いたときに、店舗に対して「あの店、大丈夫なん?」という『不信感を持つ』のでは無いか?という金額のラインである。


 ちなみに、どのラインから話が変わってくるかは、その企業によって変わってくる。当社は過不足±1000円がそのラインだった。

 実際、マニュアルや金銭授受ルールなんかがあり、どのスタッフもある程度は徹底してくれるので、1000円以上の過不足なんてめったに出ない。二か月に一回も出ないことだって普通だ。

 なので、普段は『高額の過不足』と言っても、そんなに気にすることも無い。

気にするのは...発生した時だ。


 1000円以上の過不足が発生した時、報告書の作成とブロック長への報告が義務付けられる。ちょっと前までは、河原ブロック長だった。彼はユルい性格だったので、報告しても、連続して起こしていなかったら「りょうかーい、気を付けてね。報告書だしといてね。」で終わりだった。

 ただ、今のブロック長は軍曹である。高額過不足を出した店舗に対しては、単発であっても、結構・・厳しい口調で説教してくる。

 『本気の説教』ではなく、『結構厳しい説教』という微妙なニュアンスの差、分かって頂けただろうか。軍曹だったら、ここぞとばかりに拷問モードに入るのだが、拷問までには発展しない。

これにはちゃんと訳がある。


 当社でも、高額過不足が発生した時、ブロック長が店長にボロカスに罵倒するという時代があった。確かにお客様の信頼と信用を裏切る行為。厳しい指導を受けても仕方が無い。

 ただ、各店ではレジに入るメインはスタッフであって、店長ではない(店長も勿論レジに入るけど、メインではない)。当然、レジの高額過不足が発生した時、発生させた人間はスタッフの確率が高い。でも、店舗責任者として、ブロック長から罵倒を浴びるのは店長である。組織の原理。仕方が無い。

 ただ、『金銭管理責任』と言われても、自分には全く非が無いミス(スタッフも意図的に起こしたわけではないケースがほとんど)で、ボロカスに罵倒されるとどうなるか。


 単純な事である。ブロック長に報告しなくなるのである。プラスの誤差が出たら隠しておいて、マイナスが出た時にそれで補てんしたり、マイナスを店長が自分のポケットマネーで補填したり、更に『未報告はルール違反である』という意識が希薄になってくると、プラス誤差を店長が着服したり、みんなでお菓子を買ったりする事例まで出てきた。


 こうなってくると「大型チェーン店が命を賭けている、『全店舗のマニュアルによる完全オペレーションの徹底』とか『お客様に信頼される店づくり』の根幹が崩れてきてしまう。しかも、『過不足に関して未報告なだけでなく、店舗こいつらは他の事でも、虚偽の報告をしたり、未報告だったりするんじゃないだろうな?』と疑心暗鬼に囚われてしまう。 


そこで本部が考えた結果がこうだ。

「高額過不足を出しても、ブロック長は余り店長を怒るな。その代わり原因究明をしっかりさせろ」となったのである。

 その指示のお蔭で、俺たちは軍曹から説教は受けても、拷問は受けなくて済むようになった。正直、これは大きい。ミスをしたのだし、自分が責任者だから仕方が無いと分かっていても、厳しい指導を受けるのは、やはり苦痛である。しかもそれが軍曹の拷問だったら尚更である。


この原因究明、、4000円とか5000円なら、こっちも必死になるし、そのくらいの金額だとレジ付近の防犯ビデオを拡大モードにして、必死で監視すれば原因が判明する場合が殆どである。

 ただ、1000円だと意外と分からない。買い物なんて1000円札が飛び交うし、買い物金額も1000円前後が殆どだから、『過不足が出てないレジ点検から、過不足が発生した点検まで』の時間(だいたい二時間くらいが多い)のビデオを全部チェックしないといけない。しかも、そこまでしても結局原因が分からないことも多い。


 俺の店で、軍曹がブロック長に着任した直後にマイナス1000円の誤差を出してしまったことがある。しかも、人出が少なくビデオを確認する時間も取れそうに無い日だった。報告するブロック長は『軍人のような厳しさ』から『軍曹』と綽名を付けられている、『あの軍曹』。

(ああ、面倒くさい。調べるの。かと言って隠して露見したら、もっとややこしいことになる。電話報告も軍曹相手だと、うっとおしいし正直やりたくない……)


 その時だった。スタッフの一人が、

「店長、店内に一円落ちてました。一応お渡ししときます」と持って来てくれた。

これは拾得金扱い。レジに入るとしても『拾得金入金』というボタンを押してから入金しなくてはいけない。ただ、ボタンを押さずに、ただ一円をプラスするだけだと……


過不足 マイナス 999円!


 やったね!報告しなくてもOK!これは、ルール違反だけど報告しているのと同然やん。本部様……見逃して……! 今日、忙しいの……。

 ところが、これが露見した。こういうしょうもない事をする店長は俺だけでは無く、全国のお馬鹿さんな店長が行う手法らしく、経理部とシステム部は協力して、毎日、不自然な過不足データをリストアップして、各ブロック長に報告していたらしい。やめて。


 当然、軍曹から電話が掛かってくる。

「おー、青野店長、昨日の999円の過不足な。あれな、適当に一円拾って999円にしたやろ。」口調は怒っていたが、あまりにも下らない行為に半笑いで詰問してきた。

「お前、嘘ついてもしゃあないで。正直に言え!」

ここで嘘ついたら、折角の半笑いモードが鬼モードに豹変するだろう。

「はい。申し訳ありません。」

「やっぱりそうか。もう、そんなしょうも無い事すんなよ!今回、報告書はいらんみたいだから、二度とするなよ!」

 軍曹は、そう言い捨てて電話を切った。助かった...が、もうこの手口は二度と出来ない。というか、全国の店長も考える事一緒なんやな。


 軍曹が着任してからの高額過不足は、その999円...もとい1000円だけだった。今回、初めて5000円という金額を出してしまった。

 軍曹は、「高額過不足は、原因調査をしてから報告してこい」という考えだったので、まずは調査開始である。 5000円のマイナスと言う事は、可能性として一番考えられるのは、5000円札をお預かりしたのに一万円札と勘違いして精算したというケースだ。買い物金額 4500円の時、5000円札だとお釣り500円。1万円札と見間違えると5500円お釣りを渡してしまう。 結果、5000円マイナスの誤差が発生してしまう。


 ビデオで確認する前に、レジから取引詳細のレポートを出す。一万円をお預かりした時は、『万券キー』というのを押す。その回数がレポートに表示される。

 つまり万券ボタンの押した数が、現在レジに入っている万札と同じ数と言う事である。(押し忘れるスタッフがたまにいるんですがね...)

俺は、レポートに『12』と表示されているのを確認すると、ドロアの実際にある万券をカウントする。11枚しかない。


 やはり、予想通り5000円札を1万円札と間違えて、入力してしまったようだ。

あとは、点検から点検までの二時間分のジャーナル(レシート)をプリントアウトして、『お預かり金額 ¥10000』と書かれた取引を防犯ビデオで、全てチェックすれば、恐らく原因は判明するだろう。


 良かった。早々に原因の『アタリ』を付けることが出来た。これが分からないと、虱潰しにビデオとレシートを見比べて調べて行かなくてはならない。

その間に、レジの周りでは大捜査線が敷かれ、ゴミ箱まで徹底的に調べることになる。



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