コンクール狂想曲 (8)
幸いなことに、夕刻からの来店客数は順調に増えていた。それだけチャンスも多くなる。俺は岡田とレジを代わり、岡田が医薬品売り場で接客する。
俺は、レジをしながらドリンクの試飲をお勧めし、他のドリンクや栄養剤を持ってきたお客様には熱いトークで切り替えをお勧めするという作業を繰り返した。
その甲斐あってか、二箱の販売に成功した。横のレジでも長岡さんが青春ドラマのヒロインのような涼し気な笑顔と、爽やかな接客で一箱切り替えに成功。
長岡さんの接客を見ていると栄養ドリンクではなく、ポカリスエットでも売ってるんではないかと錯覚するくらい爽やかさ。長岡さんが笑顔を見せると、レジ付近に青春と言う名のマリンブルーな風が吹き渡る。いやいやホンマに。俺、見えたし。
時刻は17時。残り7箱。意外と伸びない。
レジから岡田を見ると、スランプらしく、必死に声掛けするがフラれまくってる。これじゃ何時もの岡田やん。もう少しで終わりだ。頑張れ岡田。
俺は、医薬品売り場に行って岡田に声を掛けた。
「岡田さん、不調みたいやけど、もうひと踏ん張り頑張ってや」
「店長。あきませんわ。全然売れない。何か心の拠り所が欲しい。心が折れそうです。」
「心の拠り所が欲しいって...何が欲しいんや」
「……白川さんの笑顔」
「は? お前、諦めたんとちゃんうんか? 未練タラタラじゃねーか」
「い、いやぁ、あわよくばとか、あるじゃないですか」
「ゲバラにでも慰めてもらえ。」
「あー.……ゲバラさんは、ちょっと遠慮しときます」
岡田が俺の肩越しに、俺の背後に位置するレジを見ながらそう言った。俺が釣られて振り返ってレジを見ると、丁度ゲバラが、人を不安にさせるような奇妙な笑顔を浮かべながらドリンクを売っているところだった。
だからゲバラ、無理すんなって。
「なんでやねん、あの笑顔……コ、コケテイッシュ?やんか。年上の女性もええもん?やで。自分、おばちゃん客に人気あるやん」
「なんで疑問形なんすか!? それに歳がうえすぎるのも問題ですよ。ウチに来るおばちゃん客って、オカンと同じくらいの歳ですよ」
「思いっきり甘やかしてくれるで」
「……それは魅力的ですね……」
しょうもない話をしているうちに息抜きが出来たらしい。岡田の眼に生気が戻ってきた。残弾の少なくなった社交性抜群ビームを装填して、彼は再び医薬品売り場で接客を再開しはじめた。
さっきゲバラが一箱売って残り6箱。(一気に伸びて欲しいが、そう上手くも行かない。甘くないなぁ)と、そんなことを考えていた。
時間ばかりが経っていく。俺も二箱販売した後は、全く売れなかった。焦りを感じ始めたその時、岡田が初老の御夫婦相手に接客しはじめた。何やら話し込んでいる。
見ていると、ドリンク売り場から三箱掴むと、お客様が持っていたショッピングカートにそれを入れる。まとめ売りに成功したようだ。
これは大きい! やったね。息を吹き返したな。岡田くんっ!(急に君付け) 目標達成まで、ついに3箱。時刻は17時50分。俺は少し早いが軍曹に電話報告を入れた。軍曹は、37箱販売を聞くと「絶対、40行けよ」とだけ言うと早々に電話を切った。達成の目途が付いた店舗はもうどうでもいいのだろう。つまり長い時間、色々話したい店舗があるということだ。……あの自爆買いしようとしていた店長、大丈夫かな?
ただ、他人を気にしている暇は無い。俺はどの店とも連絡を取らず接客を続けた。
他の店長も同じ考えらしく、散々連絡を取り合ったキャバ店からも電話は無かった。彼も追い込みを掛けているのだろう。何といっても目標は60箱。本人は、目標未達成でも軍曹が納得するであろう45箱を当初の目標にしていたが、午後からの三人娘による巻き返しがあったので、当然行けるところまで数字の上乗せを狙っているのだろう。
だがここで、不運な事が起きた。夕立だ。しかも最近の流行りの言い方をすると『ゲリラ豪雨』か『局地的豪雨』とか言われる、えげつない降りかた。
あ、爽やかな長岡さんなら、きっと『スコール』って言うだろう。(言わない)
夕刻のスコール。ストリートを駆け抜けて。(赤面するほど昭和風)
やめーや。雷神様。もうちょっとで行くのに! 目標達成するのに!
空があっという間に暗くなり、砂と雨水が混ざった、夕立特有の匂いが店内まで漂ってくる。昼間の日差しで熱されたアスファルトが雨水を受けた時の、あの独特な匂いも一緒に。
空を雷鳴が轟く。買い物を終えたが、徒歩や自転車で来店されたお客様は店内に留まって、そのまま雨宿りしている。ごゆっくり~。
そしてごゆっくりついでに。と、雨宿りしているお客様に試飲をお勧めする。正直、やり方がちょっとくどいので、あんまりやりたくなかったが、雷雨のせいで新しいお客様が来店しない以上、出来る事をするしかない。
そうすると……やってみるもんだねぇ。一箱売れた。更に化粧品を買ったは良いが、夕立のために帰れず、雨宿りついでに大谷さんと雑談していたお客様が、大谷さんの巧みな誘導によって、ドリンクをお買い上げ下さった。
あれ?大谷さん、18時までだよね? 残業してくれたのだ。俺は大谷さんに「週末は忙しいだろうから、一時間までの残業は言いに来なくてもやってくれてOK」と当初から伝えてあったのだ。
時計を見る。18時45分。思ったより時間が経過している。
でも……でもですよ!? ついに! ついに! 39箱! ついにリーチ! これで雨が止んでくれれば。
俺はそう願った。ほんと、本当に止んでほしい。
19時。大谷さんが少し疲れた顔をして帰る。いや、ホンマ疲れただろう。お疲れ様。今日の援護射撃、ほんと助かりましたわ。ありがとうです。
同じ18時上がりのゲバラも、レジを少し手伝うために残ってくれていたが、夕立で店内が暇になると、大谷さんより先に仕事上がりをした。ゲバラ、今日はやり慣れない事をして疲れたやろ。ありがとうございます。ゆっくり休んでな。
ゲバラは、相変わらず何にも挫けない意志の強そうな表情を取り戻し、俺たちに挨拶をすると、表面上は疲れた素振りも見せずに帰宅していった。
夕立は止んだ。ただ、長い時間降った夕立のせいで外出を控えた人が多いらしく、客数がグッと減ってしまった。
そして、ドリンクは全く売れずに、なんと20時になってしまった。頑張ってくれていた長岡さんも、少しづつ声掛けの頻度が減ってしまっている。でも仕方が無い
16時から19時まで、ずっと声掛けしてくれていたのだ、売れなくなったのもあって集中力もヤル気も切れているのだろう。ここは彼女を責める事は出来なかった。
俺は、時間は少し早いが、彼女の息抜きを兼ねて、閉店前に行う準備作業を長岡さんにお願いする。
彼女は、やはりレジ業務に疲れていたのか、ホッとした表情を浮かべてレジから離れる。続けて俺は、医薬品売り場の岡田を見る。岡田は白目を剥きながら「いかがすかー」と声掛けをしている。彼の自慢の武器も弾が尽きたらしい。ついでに燃料も。
あと、1箱がな……こんなに苦しいとは。
そう思っていると、いつの間にか岡田がレジに来た。
「お、どうしたん?」
「店長、マジきついっす。売れないっす」
「ほんまやな。あと一箱か……」俺は、さっきから或ることを考えていた。税込み980円。1000円札一枚出せば苦しみから解放される。悪魔の囁き。
「店長……?もしや……?」岡田が、俺の表情が僅かに変わったのを逃さず声を掛けてくる。アンタ、おっさんの顔色覗うの上手くても仕方ないねんで。同世代の女の子の顔色と心を読めるようになりーや!
「いや、まだ閉店まで45分ある。自爆買いなんて安易な事はせーへん。後輩の店長にも自爆買いはするなと言った手前もあるし」
「あの店長の場合は、予算未達で二万円でしょ?自爆買いの意味が違いますよ。こっちは予算達成が980円で実現するんすよ?」
例の会話の事を岡田に話していたので、彼は知っていたのである。岡田は、『ウチの店と彼の店のケースが本質的に違う』と力説しはじめ、更に、「閉店前に軍曹に報告ですよね? もうすぐ20時30分です。さっさと達成しちゃいましょう! そしたら堂々と報告できますよ!」 うーん、確かにその通り。達成してしまいたい。
「店長! このドリンクはですね! タウリンがリポDより多く含まれていてっ!」
「やめーや、分かっとるちゅうねん、俺が今日、どんだけそのセリフ口にしたと思ってんねん」血迷った岡田は、俺にドリンクを勧めだした。
「てんちょぉぉ、楽になりましょう! かわいい部下を楽にさせてあげようって気は無いんですかぁあああ」自分で言うな。
「分かった分かったわ。買うわ。達成してしまおう。金持ってくるからレジに入っといて」……お父さんお母さん、俺頑張ってん。一箱位いいよね。ほんと正直疲れてん……楽になりたいねん。事件を起こしたあの若い店長くん、偉そうなこと言ってごめんな。俺自身が嫌気差して戦意喪失したわ。
「ありがとうございますっ!」岡田は嬉しそうにレジを操作する。
40箱達成。予算達成。本当に長い一日だった。
「店長、試飲分のオマケ、多く付けときますよ!」
「いや、いらん。ていうか、このドリンク自体いらん。岡田さんあげる」
「いや、いらないっすよ」
「遠慮すんなって。飲みーや。俺はこのドリンク、もう見たくもない」
「そんなん、俺も同じです。このパッケージ見るとドリンク剤のはずなのに、元気が出るどころか、なんか疲れるんですよ」
「いやいや。そう言わずにここは素直に貰っといてくれや。岡田さん一人暮らしやろ? 牛丼ばっかり食べてるらしいやん。栄養偏るで」
「いやぁ、無理っす。大丈夫です」
「岡田さん。ええか?このドリンクは、タウリンがリポDより多く含まれていてっ!」
「店長。そういうの、もういいっす……」
結局、このドリンクは「皆さん御自由にお飲みください」のメモが貼られて、事務所の冷蔵庫に置かれることになった。みんななかなか飲まず、しぶとく残っていたが、2か月くらいでやっと無くなった。
そうそう、岩倉店長のキャバ店は三人娘の活躍もあったが、やはり夕立で売れ数が伸びず、50箱まであと3箱の47箱でフィニッシュ。ただ、午後の三時間で32箱を一気に積み上げた実績が軍曹を大いに満足させ、また、60の目標について、軍曹は「まぁ、60箱はアレやしな」とアレで誤魔化したが『45箱が分水嶺』という岩倉店長の読みは当たっていたようで、未達でもそれほどお咎めは無かったようだ。
例の若い店長は、きっちり30箱販売。こちらも俺の読み通り、軍曹に説教は受けたらしいが、軍曹の予想範囲の売れ数は達成していたらしく、拷問は受けずに済んだらしい。
彼が自爆買いしたかどうかは……知らない。
大変なコンクールは、これで暫くないしな。と思っていた数日後、俺は店舗PCが、軍曹からのメールを受信している事に気が付き開封した。
そこには赤い太文字で
「前回は、みなさんの頑張りを見せて頂きました!さて7月第3週日曜日に
『第二次 A社ドリンク戦争』開戦です! みなさん頑張ってください!」
俺はメールをそっと閉じた。
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