利益確保の大号令 (2)

 話がずれた。本部からの指令で冷房温度を厳守せよ!という業務命令。冷房温度28度って、店舗の自動ドアの開閉も多いし熱いやん!そんなの守ってられるかッ!

と、俺は憤然としていたが、キャバ店長から軍曹の恐ろしい情報を入手した。


 話の内容はこうだ。同じブロックの某店の店長は、若くて少し気弱なところのある子だった。彼は生真面目な性格でもあったので、本部の指示通り冷房の温度を28度に設定して、「許可なく温度変更を禁じる」という紙を貼った。

 そして朝礼夕礼でも伝達したのだが、ある年上のベテランパートは店長を軽く舐めていて(ありがち)、指示を無視して「お客さんが暑がるから」(というのは嘘で自分が快適に過ごしたい)と、店長の許可なく驚きの「16度」に設定した。いやむしろ寒いやろそれ。


 そして肌寒いから(ほら、ね)と薄手のカーディガンを着るという、会社に対して明確に立ち向かう反権力的、パンキッシュな姿勢を鮮明に打ち出した。

たぶん彼女は若いころ、セックスピストルズとかクラッシュを聞いてたに違いない。アナーキー。

 若い店長は彼女に注意しても無視されるので、「寒い」と感じたら温度設定を確認して28度に戻す。ということを繰り返していたが、遂に地球最後の日が来た。


 軍曹が訪店した時、運悪く温度設定が16度のままだった。そしてそれが見つかった。バックヤードのエアコン制御盤を見て驚愕した軍曹が怒りで身体を震わせて売り場に出たとき、例のベテランパートがカーディガンを着て「あ、ブロック長ぉー、お疲れ様でぇーす」と年甲斐もなく語尾を伸ばして挨拶した。(軍曹は仕事中に語尾を伸ばす人間が大嫌いだった。……!! まずい! ウチの不思議ちゃん……)


 軍曹はカーディガン姿の彼女を見て怒りが沸騰して、もうだれにも止められない、自分でも止められない状態で、売り場にいた店長を倉庫に引きずり込んで(売り場で怒鳴るのはなんとか制御できたらしい)滅茶苦茶に叱りつけた。


ボクたち店長の拷問部屋は何時も倉庫。在庫も置けるし便利やで!


 しかも、その話は続きがあった。スタッフを指導できなかったという管理責任は店長にあるのは確かだ。しかし例の年上パートが店長指示を無視したのが原因。という事実も当然把握した。

 次の怒りの標的は彼女だった。ウチの会社には、「パートスタッフは店舗異動の可能性が有り得る」と労働条件契約書の隅っこに目立たないように書いてある。まるで、ちょっと前の携帯電話の契約書みたいに。

 これは、もう当然今回みたいなケースを想定して設定してあるのだ。指示に従わないスタッフを辞めさせるため。という明快なケースだ。


 地区で一年か二年に一回、この最終手段が実行される事がある。流石に会社もよっぽでないと発動させないし、懲罰人事と受け取られても、ある程度納得させられる理由がないとパワハラになるので慎重だった。

 そして、この奥義が発動される時は、当のパートさんがトラブルを起こした結果という事が多いので、本人は察して異動通知を受けた時点で大半が辞めてしまうのだが。

 異動は片道交通費500円。電車で一時間圏内まで。都市交通が発達している大阪だと、梅田駅(大阪駅と同意)から京都駅を通り越して京都の繁華街、四条河原町まで行けてしまう。それでも片道400円。電車乗車時間53分(Yahoo調べ)。

関西圏マジ便利。

 主婦パートが通勤一時間も掛けられる訳ないから、異動を受け入れても、次のパート探しを同時に始めて、次が見つかると退職する。


 確かに会社の『業務命令』を軽く見たパートスタッフは指導を受けなくてはいけないだろう。だが、あくまでも『指導』の範囲であって『辞めさす』というのは無理だろう。ただ軍曹は「こういう行動を取るスタッフは、他にも規則違反をしているはず」と蛇の様な執念を見せて彼女の勤務態度を洗い出し、『店長の言う事を聞かない』、『休憩時間以外に喫煙する』『接客態度が悪い』と彼女のマイナス点を発見すると、最終奥義『パートスタッフの店舗異動』を発動させてしまった。

 彼女は大阪の端から端まできっちり一時間の通勤時間の店舗に異動となり、お約束通り、異動が決まった瞬間、それを拒否して退職した。


「軍曹を怒らすとマジヤバイ」とキャバ店長は囁いた。囁かなくてもええのに。いや、彼は一度怒らせているから身に沁みているのだろう。軍曹の事を話す時は小声になった。

 実は、俺は店舗の冷房温度を28度に『基本的に』設定して、午後の熱い時間は23度くらいに下げるという「状況に応じたフレキシブルかつ柔軟な対応」を行っていた。カッコよく聞こえるが詰まるところ、俺も件のパートさん同様、本部の指示を厳格に守る気は無かったのだ。


 しかし、その話を聞いてからは恐ろしさに震え上がって『28度厳守』し、スタッフにも「勝手に温度変えたら子供みたいに喚き散らして怒る」と通達した。いい歳したおっさんが、子供みたいに喚きちらして怒るのを余程見たくないのか、社員・スタッフ共々、大人しく指示に従った。

 白川さんに夕礼でこの件を伝えたとき、「てんちょーおもしろーい」とケラケラ笑っていたが、白川さん、その口調を軍曹の前で言ったら死ぬぞ。部下への管理責任、指導責任と言う名に於いて俺もほぼ同時に死ぬけど。


 ただ本部の言わんとすることも分かる。店舗の電気代については。真夏の七月、八月の冷房、照明含めた電気代というのは、知らない人だとビビるくらいの金額だからだ。しかも、電気代の一年の基本料金は一年で一番多く使った月を基準にされる(こういうの電力会社セコいよね)、なので七月~八月に節電するというのは理解はできる。


 ただ、「経費削減」の御旗はちょっと細かいところまで突っ込んできた。










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