ミクロマン(2)
梅雨終わりかけの7月上旬、気温が上がっているのに湿度が上がりムシムシした不快な夜、礼儀正しい新人の女子大生アルバイトの長岡さんが急な用事で欠勤したた
め、白川さんと18時ごろから閉店まで二人で店舗運営をすることになった。
気温が上がると閉店間際までお客様が来店されるので二人だと大変なのだが、突如として雨が降り始めたため、その心配はなくなってしまった。
かなり激しい雨のためか、客足はぱったりと途絶え、ついには店内には俺と白川さん以外、誰もいない状態になってしまった。
「だれもおきゃくさんいませんねー。こんなこともあるんですね」
「雷まで鳴ってるから、雨が止まないと、このまま閉店までこんな感じやね」
「そうだてんちょー、じかんあるなら、なんかくすりのもんだいだしてくださいよ。
いまがっこーのいっぱんきょうようで、くすりとか、びょうきのじゅぎょううけてるんですよ」
「あぁ、そっか白川さんの学校は3年で少し長いから実務以外の授業もあるんだ」
「そうなんですよー」
「じゃぁ、ヒスタミン反応はどうやって起こるの?」
「ええっと、血液中のアレルゲンにIグロブリンE抗体が結合して、それに付随した肥満細胞から遊離したヒスタミンがヒスタミン受容体と結合してヒスタミン反応が起こります」
!!!なんか日本語が普通になった!
「せ、正解、ちゃんと勉強してるんや」
「あたりまえですよー」と白川さんが得意げな笑顔でこちらを見る。すごい綺麗。
やっぱ美人だわ、この子。岡田が取り乱すのも分かるわ。
「じゃぁ、いわゆるピリン系の解熱剤はアスピリンの事?」
「ちがいまーす。ピリン系はイソプロピルアンチピリン製剤の事です。」
「正解、では15歳未満の小児に使用できる解熱剤は、医師の個別の判断を除いて一般的にはどの成分?」
「アセトアミノフェン」
「当たり! ではプリオンタンパク質を含む食品の摂取やヒト乾燥硬膜を移植されたために起きた運動不全と認知症状が有名な病気は?」
「クロイツフェルト・ヤコブ・シンドローム」
「すごいやん! じゃ、アメリカの首都は?」
「 いぎりす 」
そこはブレないんやな。
そんなしょうもないことをしていると自動扉が開く音がした。
「いらっしゃいま……しぇ」俺は語尾がおかしくなった。
奴が来たから。
ミクロマンが。
白川さんを見ると、彼女は目をキラキラさせて興味津々でミクロマンを凝視している。なんで? 女装癖のあるおっさん見るの初めて?
ミクロマンは水でボトボトに濡れていて化粧も崩れて……と言いたいところだが案外崩れていない。なにウォータープルーフに気を使ってるねん、おっさん。
ミクロマンは新人の美人バイト白川さんに気が付くと心の奥から嬉しそうな顔をして、そのまま売り場の奥へと消えていった。
あああああめんどくさー俺はうんざりした瞬間、白川さんが、
「てんちょーてんちょー」
「何?」
「あのおじさんぱんつみえてましたよっ! みましたっ?!」
白川さんは何時になく興奮して紅潮した顔を向けて俺に早口で言って来た。
相変わらず大きな眼はキラキラ光っている。
お前はおっさんのパンツが見えたのがそんなに嬉しいのか?
……視線を感じて売り場に眼をやるとミクロマンが売り場の陰から様子をうかがっている。ミニスカートは雨で縮んだのか知らないが少し丈が短くなっていて
ピンクのパンチー(昭和風)がまともに見えている。
「ピンクだね」
「てんちょぉー、ぴんくっ! ぴんくっすね! あはははえろーい」
重ね重ねお伺いしますが、なんで貴方はそんなに嬉しそうにしているの?
その時、白川さんがきゃぁきゃぁ喜んでるの確認して、自分のエロ心を満足できると思ったのかミクロマンが生理用品を持ってレジに向かってきた。
改めてはっきりさせときたいのですが、ミクロマンは男性です。なんで以前から生理用品を購入するのは不可解です。男って実は『おとこのこのひ』でもあるのか? 俺は無いんだけど異常なのか?
これもまた、岡田解説員に伺うと、男性が普通買わないような商品を買うときに
女性従業員が恥ずかしがったり侮蔑の視線で見てくる事(ただしゲバラは除く)が、変態紳士にとっては、例の「(最高なる)ご褒美」になると教えてくれました。
岡田解説員ありがとうございます。ほんと詳しいねぇ、きみ。
ミクロマンはレジ2台あるうちの白川さんの方へ驚くほど俊敏に向かった。俺は慌てて「こちらのレジどうぞ!」と言ったが、ミクロマンは当然無視。
そしてミクロマンは「可愛いバイトちゃん! アタシを見て!」オーラを激しく放出する。女性のセクシービームのつもりだろうが、中年男性のねちっこいセクハラ
ビームにしか思えない超高出力ビームを白川さんにブチ当てる。
白川さんは、まともにそのビームもとい熱視線を察した瞬間、急に浮ついた態度を無くして白けた感じになった。
岡田(を含む彼女に恋愛攻撃を仕掛けた異性)と同じ時の回避モードに入ってしまったらしい。意識的にか無意識的にか、どうも彼女は異性からのそういった視線に敏感に反応して回避モードに入ってしまうらしい。
まぁ、何度も言う通り、彼女はそういった身の処し方を身に着けてもおかしくないくらいモテるんだろうけど。
それに気づいていないミクロマンは、クネクネしなを作りながら無遠慮に白川さんを見つめながらレジに生理用品を置く。
「かくよむぽいんとかーどはおもちですかぁ」
白川さんは無機物でも見るかのような感情の無い目でミクロマンを見返す。さっきまでのキラキラした瞳の光は消え失せてる。凄いね女優になれるよ。
「えっとお、どうやって作ればいいのか分からないけどォ……」
「ではじかいおねがいしますねー」
話を引っ張ろうとするミクロマンをぴしゃっと打ち切らせる。普通のお客様にこんな接客したら終わりだろうけどミクロマンならええやろ。俺は吹っ切って彼女の様子を見続けた。
「あぁ、、じゃ、これを……」予想外の対応に気勢をそがれたようにミクロマンが生理用品を押しやる。
「さんびゃくきゅうじゅうはちえんでございます」
彼女は商品をスキャンして、続けてミクロマンが出してきた千円札を受け取ると
「ろっぴやくにえんのおかえしでございます」
そういって、硬貨をミクロマンの手のひらに乗せた。ミクロマンはスタッフからお釣りを受け取るときにスタッフの手を握ろうとする色気づいた中学生みたいな行為を試みることがあった。(ただしゲバラの時を除く)
白川さんの時も、それを狙っていたみたいだが、彼女は硬貨を投げたりせず、素早くミクロマンのぼってりした手のひらに釣銭を置くと手を引っ込めた。見事。
間に合わず、結果的に釣銭を強く握りこんで呆然とするミクロマン。
その間に、生理用品をグレーのレジ袋に入れて
「ありがとうございました またおこしくださいませー」
とマニュアル通りのお辞儀をする白川さん。
まさに一蹴といった感じだった。
ただ、ミクロマンも変態紳士の矜持というものがある。威信がある。尊厳がある。誇りがある。この白川さんの態度は本人にとって一番最悪な「無反応」というやつだろう。屈辱だったんだろう。
彼は変態紳士の意地を掻き集めて(集めないで!)、白川さんに声を掛ける。
「お姉さん、とっても綺麗だけど、ファンデは何使ってるの?アタシはカドカワ化粧品のリキッドファンデのオークル10なんだけどぉ」
「あはははははわたしは、しゅうえいけしょうひんのぴんくおーくるの10ですけどおきゃくさんには、にあわないですよぉ」
白川さん、もしかして怒ってる??? ねぇ怒ってるでしょ?
なんてことを言い出すんだ!わぁいもうどうにでもなれー
「え……と……」
ミクロマンは文字通り絶句していた。お客様には絶対服従が基本の日本の小売業で、従業員からこんなセリフを投げつけられるとは予想外すぎたのだろう。
ミクロマンは、そのまま大きな背中を丸めて、生理用品の入ったレジ袋をぶら下げて帰っていった。
「てんちょー だいじょうぶですか?すみませーん」
「あぁ……まぁいいや、たぶん本部にクレームいくと思うから、今日の事覚えておいて、あと防犯ビデオ保存しておくからレシート番号確認しとくわ」
「あのぉ、ごめんなさい」
「ええよ、あいつ調子に乗っていたから、これくらいされないと気が付かんやろ」
翌日、本部からの電話を気にしながら一日たった。何もない。
二日、三日たっても電話も社内メールもなかった。
結局、ミクロマンは自分のしていることに負い目もあったのか、本部にクレームを入れることはなかった。
そして、ウチの店にも来店する事は無かった。
後日、キャバクラ店長から話を聞いて理由がわかった。
キャバクラ店長の渾身の求人活動で集めたキャバ風女性スタッフ達は、ミクロマンが来店すると、彼の事を「かわいい(はぁと)」と言って可愛がっているらしい。
人に嫌がられたり、恥ずかしがられることでエロ心を満足させていたミクロマンだが、「人に認められる嬉しさ」に目覚めたらしい。
また、彼の普通っぽい(清純風ならなおよし)な女性の好みからすると本意ではないが、ハッスル店長のキャバ風スタッフは化粧が濃くて付けまつ毛が凄いことに眼をつむれば、レベルは相当に高い。
そんな女性スタッフに、キャッキャ言われて彼は大いに癒されて、ホームグラウンドを変えたらしい。
ハッスル店長も、彼女たちがミクロマンを上手にあしらってるの見てミクロマンの来店が気にならなくなったらしい。
ミクロマン、よかったね。
ミクロマンお幸せに。
ウチには二度と来ないでね。
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