第17話 李壱

 李壱りいちと名乗った彼は、15歳の私よりも10も年上の25歳で、美大を卒業したばかりのようだった。


 丸眼鏡から覗く彼の双眸は優しく、女の人のように長い睫毛が印象的な人だと思った。

 こんな青く晴れた秋日に外にいるにも関わらず肌は雪のように白く、無造作に伸びた癖のある髪が風に吹かれて踊っている。

 私よりもずっと背が高く、そして驚くほど細いその身体は触れれば折れてしまいそうな、そんな儚さを漂わせていた。


「…どうしてこの丘にきたの?」


 キャンバスから目を離さず、呟くように李壱さんは言った。

 骨張った指に握られた筆がまるで生きているかのように激しく揺れている。

 鋭く空を睨んだかと思うと、身体全体でキャンバスに絵の具を塗り広げていく。

 その所作ひとつひとつが芸術的で妖艶で、どこか恐怖さえ感じてしまう。


「1人前の魔女になるために、家を出たんです。宛もなく飛び続けて辿り着いたのがここでした」


「すごいね、魔女ってほんとにいたんだ」


 李壱さんは純粋な人だった。

 そしてどこまでも慈悲深い人だった。

 鳥の囀ずりに心を踊らせ、脇道に咲く花に微笑みかけるような、そんな人。

 そんな彼だから、私は自分が魔女であることを自然に認められたのだと思う。

 佇まいから伝わってくる李壱さんの優しさが、孤独な私の心を柔らかく溶かしていくのにそう時間はかからなかった。


 だけど、時はあまりにも残酷で。


 私が初めて李壱さんに出会ってから程無くして、彼は私の前から去って行った。






「この場所で、私は心から愛する人に会えたの」


 私の胸の奥深くに眠っていた本当の言葉をようやく声に出すことができた。

 隣に座り、静かに私の言葉に耳を傾けてくれていた彼に聞いてほしかった。


「魔女さんが今もここで絵を描いてるのは、その人がここで水彩画を描いていたからなんですね」


「そう。この子をパステルと名付けたのも李壱さんなの」


 膝の上ですやすやと眠るパステルを撫でながら、隣に座る彼を見つめる。


「私は、彼が大好きだった。李壱さんが好きだったの」


 私の言葉聞いて、隣の彼は一体何を思うのだろうか。

 そんな疑問がふと頭の中を過ったが、私はそれ以上何も言わなかった。

 聞く必要のないことだと思ったし、答えを待つようなものではないとわかっていたから。


 だけど彼は、やっぱり静かに微笑むだけだった。

 李壱さんの面影を残した、そんな笑顔で。


「やっぱり、そういうことなんだね。

 …結衣さん」


 ゆっくりと彼が立ち上がるのを私はただ黙って見上げていた。

 膝の上のパステルもようやく目を覚まし、空には雲の切れ間から月が覗く。


「ずっと会ってみたかったんです、あなたに。」


 月の光がスポットライトのようになって、立ち上がった彼を優しく照らしている。


「幼い頃から父に聞いていました、結衣さんのこと」


 私も初めて会った時から気付いていた。

 いつの間にか、李壱さんの姿を彼に重ねてしまっていた。

 彼があまりにも似ていたから。

 優しそうな双眸も、細く折れそうなその身体つきも。


李人りひとです、僕の名前。この街で育った父、李壱りいちにつけてもらったんです」


















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