第16話 声

 私が魔女として生きていくことを選んだのは、とどのつまりは不可抗力というやつだった。

 結局、自分の生き方は自分で決められるようなものではなく、一人前の魔女になるべく私は家を出ることになった。

 あなたならきっと大丈夫。

 母に言われたそんな言葉を噛み締めて、私は15年生きてきた家を静かに後にした。


 それからは、箒に股がって、宛もなくただ飛び続けた。

 どうすれば一人前の魔女として認められるのか、その方法すらもわからないまま家を飛び出して2日が過ぎた。

 そろそろ自分の生きていく場所を決めなければならない。


 それなのに…。


「あなた、よく箒に乗ったまま寝てられるわね。しかも2日も飲まず食わずでさ」


 私の後ろに座って、ゴロゴロと寝息を立てていた子猫が静かに目を開けた。


『猫は人間とはちがうんだよ』


 3日前、私の完璧な作戦が無駄な足掻きに終わった原因であり戦犯の黒猫が、私の相棒として共に旅立っていた。


「薬の影響も問題ないみたいね」


『…それはよかった』


「ばかね、あなたって」


『ほっといてよ』


 小さくため息をついて、子猫は再び目を閉じた。

 驚くべきことに、私が溢したあの不老薬を彼は舐めていたらしかった。

 好奇心旺盛が故の過ち。

 もうこの黒猫は、一生大人になることはない。


 そうしているうちに遠くの方にひとつの丘が見えてきた。

 辺りは山だらけ。

 目につくのは広い田畑とちらほらと散らばる古びた民家のみ。

 私の住んでいるところも都会とは程遠いが、いくらなんでもここは自然が多すぎる。

 私の稚拙な勘ではあるが、テレビやラジオもなければ、車もそれほど走っていないのではないだろうか。


「あの、疲れたからそこの丘に降りていい?」


『別にいいよ』


 目を閉じたまま、子猫は応えた。

 そうだ、いい加減この子の名前も考えてあげなければならない。

 ぼんやりとそんなことを考えながら、よろよろと丘に降り立った。

 空腹がもう限界だ。しばらく飛べそうにない。


「あなた、本当によく寝るね。いい加減起きなさいよ」


 地面に降り立ちうずくまる子猫。

 そのまますやすやと寝息をたて始めた。

 こんなに眠る子だったかな。

 やはり薬の影響のせい…?

 そばに近づき、腰をおろす。

 本当に大丈夫なのだろうか。


 そっと艶やかな黒毛を撫でようと手を伸ばした。

 その時だった。


「君…魔女?」


 私の後ろで、おとこの人の優しそうな声がした。

 あまりにも突然の出来事に、疲れきっていた脳が飛び起きるほど、私は情けない声をあげる。


「ひやぁあ!」


「え、ちょっと!そんな叫ばなくても…」


 私に声をかけた男の人は、困ったような顔で後ずさる。

 その手にはパレットが握られていて、彼がこの場所で絵を描いていたことに気が付いた。

 そばには画材道具が並べられている。


「すいません、いきなり大きな声を出して…」


「僕の方こそ驚かしてしまってごめんね、魔女さん」


「…結衣です。魔女は否定しませんけど」


「李壱です、よろしくね結衣さん」


 太陽が高く空にのぼり、鳥たちの囀ずりに囲まれた丘に立つ。

 李壱りいちさんとの出会いは、そんな麗らかな秋の日のことだった。









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