第13話 サフィ
サフィの隣で、雲から射す光の柱がヤコブの梯子だと知ったあの日から、気付けば2週間が過ぎていた。
梅雨はいつの間にか明けていて、空には街を飲み込みそうなほど大きな入道雲と、それに呼応するように蝉が泣き叫ぶ日々が続いていた。
今、私の目の前に広がる景色は、そんな夏の猛暑さえ感じさせない部屋の片隅にあって。
「…おめでとう、サフィ」
そこには、目もまだ
サフィのお腹から、3匹の子猫たちが生まれたのだ。
みゃーみゃーと鳴くこの子たちは、今何を思っているのだろう。
もしかしたら、お母さんの名前を呼んでいるのかもしれない。
サフィの子供たちは、みんな無事に生まれてきてくれた。
ほっと安堵をしたように微笑んでいるサフィは今日、ついに母親となったのだ。
それなのに。
「みんな元気だよ。よかったね…サフィ」
私の言葉に、サフィが返事をすることはなかった。
まるで時が止まってしまったかのように、サフィの身体は微動だにしない。
いつまでも子供たちを優しい眼差しで見つめたまま、ついにサフィの心臓が再び動き出すことはなかった。
サフィは、死んでしまった。
こんなにもあっけなく、子供たちの命だけを残して。
難産だった。
サフィは、出産に耐えられる強い身体を持ち合わせてはいなかった。
「…お母さんになったんだよ、みんなサフィのことを呼んでるよ?返事をしてあげないと」
どうしてサフィは返事をしてくれないの。
誰に問うわけでもなく、私は何度も同じ言葉を繰り返した。
答えなんて、自分でもわかっている。
それでも私は叫ばずにはいられなかった。
サフィの名を呼ばずにはいられなかった。
呼びかければ、不意に返事をしてくれそうな、そんな気がしていたから。
「サフィ、今までありがとうね。子供たちは私が面倒をみるからね」
そう言った私の母の目には、涙は浮かんでいなかった。
どこまでも優しい眼差しのまま、ただサフィの頭をゆっくりと撫で続けていた。
「ねぇ、魔法でサフィを助けてよ!子猫たちが可哀想だよ!サフィが可哀想だよ!」
どうしてお母さんは笑っていられるの?
お母さんにとってサフィは使い魔で、ううん、それ以上にずっと隣にいてくれた大切な家族じゃない!
母に怒りをぶつけるのがお門違いだと言うことは、子供といえどわかっていた。
それでも、一度溢れ出した涙は止まらない。
そんな私の姿をみて、母は困ったように口を開いた。
「魔女が病気の人を救ったり、死者を蘇らせることができたのは、魔女の魔力がとても強かったからなの。私もあなたも純血の魔女ではないから、強力な魔法は使えない。知ってるでしょう?」
言われずとも最初から知っていたことだった。
幼い頃からずっと、母に何度も聞かされていたことだったから。
そしてこの時、同時に私は気付いてしまった。
自分は恐ろしいほどに無力であること。
本当に私が使いたい大切な人の命を救う魔法は、純血でない私には永遠に不可能であることを。
気付けば、あの頃と同じ涙が私の頬を伝っていた。
辺りを見回すと、丘の上は既に闇色に包まれていて。
隣に座った彼の息づかいだけが、嗚咽をあげる私の耳に届いてくる。
いつの間に夜になったのだろう。
空には様々な星が不規則に並んでいて、今にも墜ちてきそうな光の粒がなんとも言えない美しさを放っていた。
曇り掛かった心とは対称的に、空はどこまでも澄み渡っているらしい。
「僕、魔女ならすべてのことを思い通りにできるって、そう思ってました」
力のない声で、彼が小さく呟いた。
「私も今ならわかります、哀しみなんて魔女も人間も関係ない。あの日サフィと別れたように、これからもいろんな別れを経験していくんだなぁって」
「そうですね、人の数だけ別れがあって、そこにはきっと僕ら人間も魔女さんも大きな違いなんてないんですね。だから、どうか魔女さんのことをもっと僕に教えてほしいです」
その優しげな声がまるであの人のようで、私の胸はどうしようもなく締め付けられる。
『
私のことを唯一名前で呼んでくれたあの人の声が、頭の中で
あの時の景色が、匂いが、優しい風とともに蘇っていく。
思えば、彼との別れもこんな星空が広がる秋の夜のことだった。
15歳の節目を迎えた私がその人と出会うのは、まだもう少しだけ後の話になる。
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