第12話 ヤコブの梯子
魔女の朝は驚くほど早い。
どのくらい早いかと言うと、にわとりが陽の光を見つけるよりも早く、遡れば空がぼんやりと青白くなるよりも更に早い。
「おはようサフィ、よく眠れた?」
『ええ、おかげさまでね』
私の問いかけに優しく返事をするのは、母の使い魔であり相棒の黒猫″サフィ″。
目がまるでサファイアのように蒼く美しいことから、母がそう名付けたらしい。
サフィのお腹にはもうすぐ生まれる予定の赤ちゃんがいて、そんな心配も重なり、私は熟睡できない日々を送っていた。
15歳の誕生日を3ヶ月後に控えた文月のこと。
夏を抑え込む梅雨は未だ健全で、じめじめとした空にいい加減うんざりしている頃だった。
今日も相変わらず、夜中から降り出した雨が明け方まで続いているようで。
部屋の窓から見える紫陽花が嬉しそうに花開いていくのをサフィの隣で眺めていた。
『魔女の稽古は順調?無理はしてない?』
大きくなったお腹を優しく舐めながら、サフィが心配そうな声で尋ねてくる。
日々、魔女になるための稽古を母に叩き込まれていた私は、数ヶ月前から学校にも通えない生活が続いていた。
「大丈夫、サフィは優しいね」
『当然よ、もうすぐお母さんになるんだもの』
そう言ってサフィは静かに微笑んだ。
その優しさが、私の胸にちくりとした痛みを走らせる。
けっして嘘をついているわけではない。
魔女の稽古は確かに順調で、それだけを言えば私は充実した毎日を送っていると思う。
それでも、普通の人とは違う生き方に、私は少しずつ疑問を感じ始めていた。
「サフィ、あのね」
『どうしたの?』
「私、怖いんだ」
『怖い?』
私の言わんとする言葉の意味がよくわからなかったのだろう。
サフィは真っ黒な尻尾を小刻みに震わせ、小首を傾げている。
それから、訝しげな表情で私の顔をのぞき込んだ。
「私…もうすぐ15歳になるでしょ?それが魔女にとってのひとつの節目だってお母さんが言ってたの」
魔女の人生には、大きく3つの節目が存在するらしい。
1つ目は、初めて魔法を使い、自分が魔女であると知った時。
2つ目が、15歳の誕生日を迎えた時。
…3つ目は、きっとそのうちわかるから。
それが母の口癖だった。
節目というものが一体何を意味するのか、私にはまだわからない。
それでも、15歳の誕生日に何かが起きるであろうことは、子供の私にも理解できた。
それがとてつもなく怖く、不安でたまらなかったのだ。
『そうね、3ヶ月なんてあっという間ですもの、不安よね。でも…きっと大丈夫よ』
「大丈夫…?ほんとかな」
『そう、大丈夫。だから気にせず頑張りなさいね』
サフィは、幼い頃から母の隣で生きてきた。
古くから伝えられる魔女の使い魔として。
だからだろうか。
時々、サフィが母の影と重なる瞬間がある。
おおらかで、いつも優しく、どこまでも深い愛情で私に微笑みかけてくれるその姿は、まさにおかあさんのようだった。
『…ほら、もうすぐお母さんが起きてくるわ』
時計を見ると、時刻は既に5時を過ぎている。
窓から見える空はいつの間にか泣き止んでいて、雨雲の割れ目から細い光が射していた。
「…綺麗」
思わず呟いた私の姿をみて、サフィは小さく肩をすくめる。
『ヤコブの梯子っていうのよ、綺麗でしょ?』
この時から、ヤコブの梯子は私の大好きな景色になった。
パステルにも、水彩画にも出会う前の笑ってしまうくらい子供だった私。
そんな私は、サフィと話すこの時間が本当に大好きだったのだ。
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