ミントグリーンの日常

第3話 魔女さん

 魔女さんと僕が初めて出会ったのは、引っ越してきてからちょうど半年が経った頃だった。


 学校にも慣れ、都会の喧噪よりも森の心地良い風が好きになっていた僕は、田舎独特の自然に囲まれた綺麗な景色を探すのが趣味になっていた。

 この間は、山の上にある公園を見つけた。

 もう誰も使わなくなっていただろうその公園のベンチで、家から持ってきた文庫本を開いた。

 その前は川のせせらぎを聴きに、少し遠出をして森の中に流れる透き通った小川を探しに行った。


 さて、今日はどこに行こうか。

 土曜日の朝、時刻は8時過ぎ。

 リュックに2,3冊の文庫本と地図を詰め込んで、僕は家を後にする。

 空は吸い込まれそうな程に青く、雲さえも流れる余裕を与えないほどの快晴だった。


「あっついな…」


 思わず出てしまった独り言に、流れる汗が後に続く。

 そんな言葉に誰かが同意してくれるはずもなく、僕はリュックを背負い直してからゆっくりと歩き出した。


 今日は、いつもとは違う方向に進もう。

 どこを見渡してもビルの影すら見当たらないこの街は、僕の身体にとても心地よい。

 ここは風が気持ち良い街だ。

 2000種類以上あると言われる風の中で、きっとこの場所にしか流れない風もあるのだろう。


 しばらく田園が続く道を歩き、山を背にして目的地へと足を運ぶ。

 やがて人工的に作られた石造りの階段の元まで辿りついた。

 地図を見ると、どうやらこの階段の上に小さな丘があるらしい。

空ヶ丘そらがおかと名前の付けられたその丘から見える景色はきっと素晴らしいものだろう。

期待で胸が膨らんでいく。


 振り返ると、遠くには僕の住んでいる家が見えた。

その奥には穏やかな田園風景と、この間訪れた公園のある山が聳えている。

ここは本当にいい場所だ。


 これから目にする景色を想像して、淡い期待を胸に寄せながら、僕は眼前に広がる長い階段を一歩ずつ踏み出していった。

身体がどことなく悲鳴をあげている気もするが、そんなことはどうだってよかった。


 一歩、また一歩と前に踏み出して、そうして何段目だろう。

 流れる汗をタオルで拭きながら肩で息をしていると、ようやく頂上が見えてきた。

 木で作られた休憩所の屋根と、古びたブランコが並んでいるのがわかる。


「…ついた」


 時間にして、家から30分程だろうか。

 そう遠い距離でもないこの丘には、肌を優しく撫でるそよ風が吹いていた。

 身体中から湧き出た汗を、少しずつ飛ばしていく。

そうしてそのまま、達成感と期待感で浮き足立った足の赴くまま、丘から見える景色を目に焼き付けるために端へと向かった。


 その時だった。


「いらっしゃい、お客さん」


 僕の後ろで、透き通るような優しい声がした。

 まさか突然話しかけれるとは思いもしなかった僕は、首を痛めてしまうくらいの勢いで反射的に振り返る。

心臓が早鐘のように鳴り響いた。


 そこに立っていたのは、僕より3つほど年上だろうか。

 艶やかな黒髪を胸辺りまで伸ばし、白いワンピースに身を包んだ女性が微笑んでいた。

 息を呑むほどに美しく整った顔立ちをした人で、思わず一歩後ずさる。


「絵、見に来たんじゃないんですか?」


 そう言った彼女の背中には、画材道具が乗っていた。

 白いキャンバスと、古びた絵の具と…後は、よくわからない。


「絵?」


「あれ、違いましたか…」


 一瞬、悲しそうな顔をして、それから「よいしょ」と背負っていた画材道具を床に並べ始めた。

 どうやら、本当に絵を描きにきた人らしい。

 プロの画家なのか趣味の絵描きなのかはわからなかったが、どこか不思議な雰囲気を身に纏った人だと思った。


「珍しいですね、この丘にくる人なんて誰もいないのに」


 そう言いながら手際よくキャンバスを並べ、水色の絵の具をパレットに広げている。

 しかしその目は、真っ直ぐに僕を捉えていた。


 それが、魔女さんと僕の初めての出会いだった。









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