05

「どーしてあんなトチ狂ったことをしでかしてくれたんです! 見習い騎士に真剣に決闘を吹っ掛けるなんて、それが《フィドゥルムの双璧》とさえ呼ばれるあなたのすることですか!」

 オイセルストが公衆の面前で、大人げもへったくれもなく娘と同じ年頃の見習い騎士に、あろうことか決闘を申し込んだ日の夜、ナーゲルは机を挟んでオイセルストに抗議していた。

「俺は、一騎士としてではなく、一人の父親として申し込んだんですよ」

 対するオイセルストは、悪びれることも反省する様子もなく、椅子にゆったりと座って足まで組んでいる。真正面からナーゲルを見ようとしないオイセルストはナーゲルの左方向を見ているから、ナーゲルには彼のしれっとしている横顔しか見えない。

「どっちにしても同じですよ。いい歳した大人が、いたいけな少年相手に何をやってるんです。コントラルトさまがこのことを知ったら、お怒りになりますよ」

 机に両手をついているナーゲルは、いらただしげに指先で机を叩く。

「その時は、受けて立ちましょう」

 オイセルストは、やはりしれっとした声で答えた。なんでもないことのように言っているが、彼の気の強い妻が今回の一件を知れば、本気で怒ることは間違いないだろう。彼女が怒ってケンカをする場所が、彼らの自宅ならばまだいい。

「やめてください。《双璧》がこんなことでケンカするなんて世間に知られたら、民の笑い種にされてしまいますよ」

 コントラルトが本営でこの話を知れば、その場でオイセルストを締め上げることも間違いないだろう。《双璧》の片方でも本気になれば、騒ぎを最小限に留める方が無理な相談である。王宮の物見高い人間たちが少しでもその騒ぎを聞き付ければ、あっという間に噂が広まってしまう。

「誰がケンカをすると言いましたか。その時は、決闘して決着をつければいいだけのこと」

「どうしてあなたは、そう何でもかんでも決闘でケリをつけようとするんですか。若い時からの悪い癖ですよ。それに、団内では私的な決闘は禁止されてるんですよ」

 オイセルストの一風変わった経歴のせいか、はたまた彼の元来の性格のせいなのか、オイセルストは昔からなにかにつけて色々な相手と決闘を繰り広げてきている。ナーゲルがまだ見習い騎士だった数十年前、オイセルストは既にその名を広く知られていたが、それは彼がたびたび本営で決闘をしていたからでもあるだろう。もっとも、ナーゲルがいま言ったように、騎士団内での私的決闘は禁止されているのだが。

「ナーゲル」

 急に落ち着いた声音になり、ナーゲルは拍子抜けする。聞き入れてくれたのか。

「今更俺が、それを守ると思っているんですか」

「……団長自ら、堂々と規則を破る宣言をしないでください……」

 あってないような規則ではあるのだが、オイセルストが言うように、今更彼がそれを守るわけがない。それがもはや口にするだけ虚しい規則であることは、なによりオイセルスト自身が証明していた。

 なにせ昔、オイセルストは今では妻のコントラルトと、結婚をかけて決闘したことさえあるのだから。

「安心しなさい、ナーゲル」

「なにをです」

 ようやくオイセルストがナーゲルの方に顔を向けにこやかに笑ったが、ナーゲルにはその笑顔の下になにかしらの思惑を隠しているのではないかと疑わずにはいられない。

「俺はどこまでも本気ですが、アルドレ・ヴェルソを本気で叩き潰そうとは思っていません」

「……お言葉ですが、まったく安心できません」

 決闘を撤回するつもりはあくまでないらしく、ナーゲルは深々と溜息をついた。これでせめて、アルドレが拒否してくれたらよかったのだが、アルドレは真剣にリーベスリートを慕っているのか、あるいは大勢の前であそこまで言われてはもはや退けないと思ったのか、ナーゲルが驚くほどはっきりとした声でオイセルストの無茶な申し出に答えてしまった。

(あの時点で、ヴェルソが『ゆるみにゆるんでその上たるみきって弛緩している軟弱な根性』の持ち主ではないと分かったはずなのに、この人ときたら……)

 決闘前から勝敗の行方は明らかで、それでも受けて立ったアルドレの心意気は評価できる。だがそんなアルドレに、今からでも遅くないから決闘は断ることを勧めても、あの見習い騎士はきっと受け入れないだろう。

 オイセルストは本気で叩き潰すつもりはないとは言っているものの、自分が立ち会ってなんとかアルドレの無事を確保するしかない。

 ナーゲルにできることは、もうそれくらいしかなさそうだった。


 ○ ● ○ ● ○


 本営の片隅にある見習い騎士たちが寝起きする宿舎。その中にある食堂には長机と長椅子がずらりと並び、自分たちで配膳はしなければならないが、それぞれ自分の取り分をお盆に載せた見習い騎士たちが、思い思いの場所に陣取っていた。明日もまた厳しい修練が待ち構えているが、食堂は一時それを忘れたかのようなにぎやかな雰囲気に満ちている。

 しかし、アルドレは目の前に広がる夕食に一切手をつけることなく、匙をもてあそびながら憂鬱な表情を浮かべていた。

「……そんな顔するくらいだったら、最初から決闘を受けなければよかっただろ、アルドレ」

 アルドレの向かいに座って、こちらは食事に手をつけているハルスが、やや呆れた声で言った。

「いや、あの時は断ったら俺の負けだと思ったから……」

「そんなこと言ったって、決闘してもおまえの負けは確実だぞ」

「友達甲斐のない奴だな。少しは、万が一勝てるかもしれないとか、励ませよ」

 匙をぐっと握り、アルドレは不満げに唇を尖らせて薄情な友人を見る。だが、薄情な友は薄情に溜息をついただけだった。

「《フィドゥルムの双璧》の一人を相手に、見習いのおまえが万が一でも勝てるかよ。励ます方がむしろ酷だと思うからこそ、俺はあえて励まさないでいるんだよ」

 昼間見せた、アルドレを心配しまくるハルスは幻想だったのかと思うほどの薄情さであるが、多分立場が逆だとしたら、アルドレだって下手な励ましはしないだろう。そう思うとハルスの態度は妥当だが、それでもやはり薄情だと思ってしまうのが人の常ではないだろうか。

「そう心配するな、アルドレ。決闘してはかなく散った後のおまえの骨は、俺がちゃんと拾って故郷に送り届けてやるって」

 アルドレの恨めしそうな視線に気付いたハルスの言葉は、まったく慰めにならなかった。

「不吉なことを言うなよ。決闘は模擬刀を使うんだし、イルゼイさまが釘を刺してくれたんだから殺されるわけないだろ」

 嘆くナーゲルをよそに、騒ぎを聞き付けてやって来たイルゼイが――彼の立場ならば、本来はオイセルストを諫めなければならないということはひとまず脇にのけて――決闘をするのは構わないが、さすがに真剣はまかりならないと言ったので、模擬刀を使うことになったのだ。更に、イルゼイはオイセルストに相当手加減するように言ってくれたし、オイセルストもそれはもちろんだと言っていたので、間違ってもナーゲルが決闘で死ぬことはない。いつもの手合わせより少し激しいくらいだと踏んでいる。

「オイセルストさまも立場があるから、さすがに殺される心配はないと思うけど、それでもこれでおまえ、目を付けられたことに違いはないんだから、頑張れよ。いろいろ」

「……」

 問題は、そこだった。アルドレは『リーベスリートに近付こうとする男』としてばっちりオイセルストに認識されてしまった。決闘の、勝敗はさておき戦い方次第では、今後一切リーベスリートに近付くなと厳命されてもおかしくはなさそうである。オイセルストの目を盗んでリーベスリートに会えても、それが後々発覚すれば無事では済まされない気がする。よく考えればなんだかおかしな話の気はするが、既にアルドレの前にオイセルストは立ちはだかってしまった。なんとかして乗り越えなければ、アルドレの恋は終わってしまう。

「ハルス。俺は俺の真摯で偽りない愛を、オイセルストさまに見せつけてやるよ」

「……おまえって、時々とんでもなく恥ずかしいことを口走ってるって自覚してるか?」

 決闘は明日の昼。場所は本営の修練場。ハルスの呆れた言葉は、明日に向けて闘志を燃やし始めたアルドレの耳には届いていなかった。


 ○ ● ○ ● ○


 昨日と同じく、今日も空は晴れている。

 そんな青空を仰ぐ本営の修練場には、普段よりもかなり大勢の人間が集まっていた。見習い騎士以外にも、非番の騎士や勤務中の騎士もいる。そのうえ、噂を聞き付けた王宮の侍従たちまで駆け付けていた。アルドレがオイセルストと決闘することになってからわずか一日しか経っていないというのに、驚くべき情報伝達の速さである。

 アルドレはオイセルストと決闘するという緊張に加え、想像以上に集まっている見物人の多さにも緊張せざるを得なかった。衆人環視の中で剣を交える経験がないわけではないが、それも修練の時見習い騎士たちに囲まれての話なので、見物人の人数がまったく違う。しかも、集まった人の中には叙任されている騎士も数多くいる。見習いの自分が、一人前の先輩たちの前で剣技を披露する。それもまた、アルドレの緊張させる要因の一つとなっていた。

 見物人はいつの間にか自然と輪をつくり、決闘を控えるアルドレとオイセルストを取り囲んでいる。二人ともまだ輪の中心ではなく人垣に近いところに立っているが、立会人のイルゼイとナーゲルがやって来たら、いよいよである。

 アルドレのそばにはハルスがいて、昨日は薄情なことを言っていた割りに今は励ましてくれているのだが、人が集まり始めて取り囲まれてからは、その言葉も右から左に抜けていくばかりで、アルドレは返事をする余裕もなかった。

 対するオイセルストは、アルドレとまだ距離はあるが対峙する位置に立っている。硬直して棒のように立ちすくむアルドレとは対照的に、遠目にも自然体だと分かる。年齢と経験の差から来る余裕か、あるいは絶対に負けないという自信からなのか、とにかくいっぱいいっぱいになっているアルドレと違って、オイセルストは人と待ち合わせでもするかのような気負いない表情で、アルドレを見ている。

 昨日も感じた、肉食獣に睨まれた捕食動物のような気持ちが甦ってくる。ハルスには強気なことを言ってみせたものの、緊張で倒れそうだ。

「アルドレ」

 衆人の前で緊張で倒れるみっともない真似だけはできないとアルドレが踏ん張っていたら、喧騒の中でも絶対に聞き逃したりはしない声が耳に飛び込んできた。

「リート……」

 振り返ると、見慣れた侍女のお仕着せを着たリーベスリートが、友人らしき侍女二人を引き連れて、いた。人垣をかき分けてやって来たらしく彼女たちの周りだけ見物人がいないが、決闘の理由も知っているらしい野次馬たちが、物見高い目でリーベスリートを見ていた。

「父様と決闘するって噂を聞いて来たの。まさか本当だったなんて……ごめんなさい」

 リーベスリートは本当に申し訳なさそうにうなだれた。

「リートが謝ることはなにもないよ。俺が、勝手にオイセルストさまと決闘するって言っただけなんだからさ」

 彼女の悲しげな表情は見たくない。それまでアルドレの体を縛っていた緊張は、リーベスリートの浮かない顔を見て一気に吹き飛んで消えてしまった。

「ううん、父様は大人げなさ過ぎるわ。見習い騎士のアルドレと決闘するなんて。しかも、言い出したのは父様で……」

 リーベスリートはきっと決闘の理由まで聞いている、というか分かっているのだろう。だから、謝ったのだ。

「でも、受けたのは俺だよ、リート」

 そして、決闘の理由を分かっているからには、きっとリーベスリートはもうアルドレの気持ちにも気づいているだろう。こんな形でアルドレの思いを知られるのは望んだことではなかったが、真剣であることも知ってもらえるのならば構わない。

「オイセルストさまとの決闘を、最後まで君に見届けてほしい」

「アルドレ……」

 うなだれていたリーベスリートが顔を上げ、アルドレを見つめる。澄んだ青い瞳の中にアルドレが映り込む。

 途端に、周りから冷やかしの歓声が上がってアルドレはせっかくできあがったリーベスリートとの二人の世界から引き戻されてしまった。

「アルドレ……さすがに決闘前に、それはまずくないか?」

 ハルスがアルドレの肩をつかみ、向こうを見ろと指を差す。ハルスが指した先は、当然オイセルストのいる方だ。

 恐る恐るそちらを見ると、オイセルストが凍った笑みを浮かべていた。

 いつの間にかイルゼイとナーゲルも現れていて、イルゼイは冷やかす野次馬と同じような表情を浮かべ、ナーゲルは溜息をついていた。

「話も終わったようだから、そろそろ始めようか」

 イルゼイは面白がるような表情でアルドレとオイセルストを見、手招きした。




「アルドレ・ヴェルソ」

 人垣の中心で待つイルゼイたちの元へ辿り着くなり、オイセルストが低い声で言った。

「どうしても我が娘と親しくしたいというのなら、この俺を倒し、その屍を踏み越えていきなさい」

 アルドレを心配するリーベスリートとこの人は本当に親子なのかと疑いたくなるような、雰囲気の差である。

 というかオイセルストの発している雰囲気は、殺気ではないだろうか。イルゼイが釘を刺しオイセルストも承諾したはずなのに、まさか命をかけた決闘をするつもりなのだろうか。負けるつもりはなくとも、はっきり言ってアルドレがオイセルストに敵うわけがない。下手をすれば一撃で終わりであるが、もしかして自分は、その一撃でこの世とお別れしなければならないのか。

「あのー、オイセルストさま。これは一応決闘ではあるのですが、アルドレ・ヴェルソは未成年で見習い騎士で常識を十二分に考慮した上で、模擬刀を使った決闘になるわけですから、まずヴェルソがあなたを屍にするのは無理だし、あなたが暴挙に出ない限りはヴェルソが屍になることもありませんが」

 オイセルストの由々しき雰囲気を察したナーゲルが、遠慮がちな声を上げる。ナーゲルはオイセルストの右腕的存在であり、コントラルト不在時のオイセルストの唯一の防波堤でもあるが、コントラルトに比べると堤は低く脆いというのが、もっぱらの評判だ。その評判に違わぬ遠慮の仕方である。

 戦う前からアルドレの敗北を疑っていないナーゲルのさり気ない発言に、アルドレは密かにむっとする。万が一、と言うこともあるかもしれないじゃないか。

「我が愛しき娘と将来を誓い合いたいと望む若造相手に、それくらいの心意気で挑まないでどうするんです」

「オイセルストさま。お言葉ですが、さすがにヴェルソも将来のことはまだ考えてないと思いますよ」

「そんないい加減な気持ちで、君は俺の娘にちょっかいを出そうというのですか」

 ナーゲルの余計な一言に、アルドレを見るオイセルストの目がいっそう厳しくなる。

「ヴェルソの年齢ならそれが普通ですよ。そもそもあなたが邪魔してるんですから、将来を考えるもなにもあったもんじゃないですし」

「ナーゲル。あとで話がある」

「では、そろそろ始めましょうか。イルゼイさまも、それでいいですよね」

 遠慮がちながらもオイセルストを諫めようとしていた態度はころりと一変し、ナーゲルは伺いを立てるようにイルゼイを見た。

「俺はいつでも。アルドレも、いいだろう?」

 完全に見物人のそれと変わらない口調で、イルゼイが答える。ここまで来たのだから、今更いいも悪いもないと思いつつも、二人してオイセルストを止めるつもりがないことに多少がっかりして、アルドレは無言で頷いた。

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