への字の君へ

春義久志

への字の君へ

「お見合い、受けてみようと思うんだ」


家族にすら伝えていないただの思い付きである。無論人に披露するのは初めてだ。


「へえ、素敵じゃないの」


一方で、中ジョッキを半分ほど空にした友人の態度はあまりに素っ気がない。


「もっとさ、他に言うことはないのかい」


目を丸くしてみせるとか、口にしたアルコールを吹き出してみせるとか、ついでにそういう反応も期待していたというのに、随分としょっぱいではないか。


「俺は別にリアクション芸人ではない」


不満を隠さない僕を横目に、友人は生ビールをちびちびと舐めるように飲む。実に幸せそうで、それがまた小憎たらしい。


「つまんねえの」


「いつもつまんなさそうな顔してんのはお前の方でしょ」


「ほっとけ」


小中高、生まれ故郷で過ごした時間は大概彼とセットだった。大学卒業後も、田舎に帰ってきてからも、そして僕が異性化症候群を発症してからも、その関係に大きな変化は見られない。いわゆる腐れ縁の仲と呼べるだろう。


への字口。生まれてこの方、様々な場面で人の不興を買っていた、僕の顔つきの特徴。説教中に親父から殴られたり、先輩に小突かれたり、デート中の女の子に失望されたり、エピソードに事欠かないつもりである。高校生の頃に自覚してからは、なるだけそう見えないように気を使っていたし、にこやかな表情の練習だってしていた。そんな僕を指して邪そうに見えると評してみせた男が彼だ。毒づくということにかけては、到底彼に敵わない。彼の言うとおり、つまんなさそうに不貞腐れて、卓上の枝豆を摘まむ他に無いのである。


幸いにも酒への強さは二人とも似たような水準だ。中ジョッキとほんの少しの肴があればご機嫌になれる。意識したことは無かったが、この辺りも未だに親交がある理由の一つかもしれない。


「一応聞いといてやるけどさ、どういう風の吹き回しなんだ、お見合いっつうのは」


「お、ヤキモチかぁ?」


「寝言は寝て言え」


呵呵と笑って、ここ数日の逡巡を思い返す。少しばかり時間を要したのは、アルコールが回っているからであり、断じて僕がドン臭いからではない。


「親戚にさ、世話焼きの小母ちゃんがいるって話、前にもしたことあったよな」


「入院中のお前を捕まえて、ああこれでまた世話が出来るわねぇって言ってのけた、どっちが病人だか分からない人か」


会ったことのない人間に対してここまで口にできるのだから恐れ入る。


「実際世話にはなったんだけどな、まあそうだよ」


嬉々として母や父の手伝いをしていた姿を思い出して苦笑いが甦る。


東に病気のこどもがあれば行って看病してやり、西に疲れた母があれば気晴らしの旅行の算段をする。そこで済むならただの善人なのだ。かと思えば、北に喧嘩した夫婦があれば出て行って余計な口を挟むし、連れ合いのいない人間があるなら、東西南北どこにだって縁談を担いで駆けつける、そんな人だ。


「体調が落ち着いてきたなんて話をお袋がしちゃったらしくてさ、ちょくちょく話持って来んの」


「今までは、来る都度断ってたと」


「そうなるな」


友人が店員を呼び止めた。温くなった残り少ない二杯目の生を飲み干し、僕も追加注文をする。少し自制した方がいいかもしれないが、止まらない。


「お見合いをするって言っても、お願いしてすぐに知らない誰かと対面するわけじゃないんだってさ。そうなるまでには、世話人に写真やプロフィールを預け、交換してもらい、互いのことを知っていく。もしも需要と供給が一致したなら、そこでようやく対面出来るわけだ」


「知らんかったが、割りとどうでもいい」


「そう言うなってば」


口惜しいことに、此奴は割りとモテる方である。お見合いに頼らなくても、恋人やパートナーをなんとなしに見つけられるだろう。


あいつと自分、一体何が違うのだと、僻みのあまり海に向かって叫びたくなる時期もあった。考えることに意味もきりも無いし、そもそも近場に海も無かったけれど。


「そうやって、見知らぬ相手の不確かな人物像に、一筆一筆表情をつけていくわけでしょ?」


あたかもそれは、へのへのもへじであたりをつけた顔を、少しずつ書き加えていくかのように。


「だから、これはおまじない、願掛けなんだ。もしもお見合いまでに、への字で書かれた誰かの姿を書き換えられたなら、僕のこの、いつもつまんなさそうな口元も、少しは変わるんじゃないかなって」


友人が黙って僕の話を聞いてくれている内に、頼んでいた料理はその熱をすっかり失ってしまっている。


「因果が逆転してるってツッコミは野暮にしてもだ、少しばかりずるっこだとは思わないか」


冷めた鶏軟骨を頬張りながら、据わり気味の目で僕を見つめる。


「上手く行っても得をするのは自分だけ、だのに上手く行かなかったのなら相手のせいにだって出来る。生涯の伴侶になるかもしれない相手に向かって、そんな気持ちでやっていくのかい?」


「手厳しいなぁ」


「でも、大切なことだろ?」


そうなのだ。きっとそうに違いない。


「んー、上手く伝えられるかはわかんないけど、聞いていてくれるかい」


「邪魔はしないさ」


「助かるよ」


小さく鼻を鳴らし、続け給えとばかりに腕を組んでふんぞり返る。わざとらしい仕草に僕は少し救われる。


「人の中で生きてくのって、いろんなことの押し付け合いなんだって思う。善意も悪意も、楽しいことも面倒くさいことも全部」


それは例えば、見合い話を持ちかけてくることだったり、笑顔の練習をする人に茶々をいれてみることだったり。


「邪だって言われたことに、怒ったって、反論したって、喧嘩したってよかった。でも、全部自分の中に閉じ込めて、投げ出してしまったら、そこから先へは進めない」


だから、


「もう一度その辺のことをはじめようって思うんだ、今は」


いつの間にか放棄していた日常を。誰かに期待して、裏切られたら泣き喚き、なのに性懲りもなくまた誰かに期待する、そんな当たり前の営みを。


「その第一歩が、お見合いへの挑戦、ってか」


すこしばかり呆れたような友人の物言いに少しばかり安堵を覚える。


「だってそうだろ?名前も知らない、会ったこともない人間が、いいひとであることを祈りながら待つだなんてさ」


僕の問いかけに答えること無く、彼は鶏軟骨の最後のひとかけを反芻するかのように口にするだけだった。



「期待しすぎても辛いだけだって思うよ、俺は」


結局見合い話についてはあの場で一度打ち切りとなり、その後はいつもの様に他愛もなく管を巻き続けた。


閉店時間ギリギリまで粘った結果、最終バスの時間はとうに過ぎた。友人にとっては幸か不幸か互いの家はそう遠くはない。およそ半時の家路と相成った。


 「かもなー。期待した分だけ、失望するときは凹みも大きいかもだし」


ふらふらと歩きながらそう答えた。吐き気こそないが、白線をはみ出ないように歩くので精一杯だった。僕に比べると友人はまだ多少しゃっきりしているようで、時折僕の手を引き、支えてくれている。


「ま、いいんじゃないの」


一瞬意識が飛んだ。気が付くと、温かい、というよりも暑いくらいの人肌に全身を預けていた。背中越しに声が聞こえてくる。幾度となく電柱にぶつかりアスファルトにへたり込んでいる内に、おぶわれてしまったようだ。大きな背中と力強さに、自らの肉体の変容を改めて認識せざるをえない。それでも、不思議と嫌ではなかった。


「決断と選択と後悔の繰り返しに、もう一度挑戦する気になったってんだろ。俺には応援くらいしか出来ない。だから、応援くらいはしてやるさ」


頑張れよ。重い荷物を背負ってるせいか、少々荒い息を吐きながら、友人はそう言ってくれた。ありがたくて、だけど照れくさい。


 今しばらくその優しさに甘えてみることにする。


「少しだけ質問があるんだ。答えてくんないかな」


「重たい奴を背負っててそれどこじゃないが」


「旅立つ若人への餞別だと思ってさ」


「同い年だろ。つか、おんぶじゃ物足りないってか」


「少しばかり、ね」


卑しん坊め、と口の悪い友人に私は尋ねる。


「ひょっとして、量をセーブしてたか?」


 居酒屋での姿を思い出す。緊張故か、いつもよりもハイペースで飲み続けた僕と違い、いつものようにグビグビと飲み干すことをしていなかったように思う。


「見合いだなんだって言い出した時、悪酔いする気がしてたからな。二人して、歩道のど真ん中で夜明けなんて嫌だったし」


「俺は別に構わんぞ。面白そうだ」


「馬鹿言うな」


まだなにかあるのかと友人。実は、もう一つだけ聞いてみたいことがあった。とても恥ずかしく、そして聞くこと自体が怖い。


 「俺が女になってからさ、可愛いって思ったこと、一瞬でもあった?」


だけど、やはり尋ねてみることにする。だって人生は長い旅であり、そして旅の恥は掻き捨てと言われるのだから。


「そのへの字を見るとさ、やっぱ男だった頃の姿とか思い出とか散らついて、頭が痛くなるよ」


 先ほどとは違い、少しばかりの空白を経て、彼は僕の問いに答えてくれた。


 「でもさ、さっき言ったみたいに、お前からいつかそのへの字がなくなる日が来るとしたら、俺の知ってるお前がいなくなるみたいでそれはそれできっと、すっごく寂しくなるんだろなって、そう思ってしまう気がする」


驚いた。てっきり、当然のように無理と言われるだろうと思っていたのだ。全くアルコールの力は恐ろしい。僕も友人も、素面だったなら到底耐えられなかっただろう。


幸いにして今はふたりともへべれけで、そして限りなく素直だ。ならば今、思っていることを正直に伝えねばなるまい。それが、彼に対する礼儀であり、僕なりの彼への友情の印だ。


「もしも、もしもさ、お見合いも上手く行かなくて、への字口も変わらなくて、ずっとずっとこのままだったら、その時は」


「隣にいてやってもいいさ。でも、への字口は変えなくていいからな。酒のせいにして忘れんなよ」


「ん、善処する」


言質は取ったからなと鼻で笑った友人の耳は、その実真っ赤である。それが酒のせいだけでないことを知っているのは、世界中で唯一人、先程から彼におぶわれている今の僕だけだろう。そのことがただただ愉快で嬉しくて、声を出して僕は笑う。急に笑うな気持ち悪いと、普段通りに口さがない彼の声が子守唄代わりになったかのか、睡魔が僕に布団を掛けにやってきた。


暗くなっていく意識の片隅で、まだ彼に礼を言っていないことを思い出す。明日目が覚めたら、きちんと言わなければなるまい。その明日がちゃんとやってくるなんて、彼に会えるだなんて根拠は少しもない。ないけれど、僕には限りなく自信があった。


「グンナイ」


暗転する直前、振り絞った体力でおやすみを告げる僕。いい夢見ろよと、呆れるように彼も笑っていた、ような気がする。




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