九 ピエロの家

 「ピエロの家」をご存じだろうか。全国にあるという、庭も家の中も夥しい数のピエロの人形に埋め尽くされた狂気の家だ。私は今までに2度それを発見したことがある。1軒目は私の住んでいる団地にあって小学生のときに友達と遊んでいる際に偶然見つけた。2軒目は高校生の頃、郵メイトのバイトをしたときに配達のルートにあった。2軒目の家にはあまり関わりがないが、問題は1軒目のほうだ。

 夏。私は友達と自転車で団地を走り回って今までに通ったことのない道を行き、小さな地図を開拓していった。

 「何あれ!」

 私たちは一斉に声をあげた。一見して異様だった。とてつもない量のピエロの人形が立っていた。その数は数千体だろうか。塀の前まで神経質なほど敷き詰められていた。自転車を止めてその壮絶な光景に圧倒されていると、友人の1人が「呪われる~」と言って逃げようとしたのでみんな慌ててその場から立ち去った。最後尾の友人が呪いの生贄になってくれるように祈った。

 その夜、食事中に親にその家のことを話した。世の中には変わり者がいるみたいな反応だった。翌日、学校でも話した。とにかくあの不気味な家の前で自分にとりついてしまった恐怖や呪いを分散させたかったのだろう。その頃学校の怪談ブームで、同級生たちからもっと調べてほしいと言われた。私は親に一緒に観に行くように頼んだ。自分だけがあの存在を実体として取り込んでいることが気持ち悪かったのだ。私の得意のわがままで、食事のあとに家族で観に行くことになった。

 私が妹と一緒に後部座席道に座って案内をして、酒を飲んだ父親は助手席に、母親が運転をした。以前と違って車という安全な乗り物であるのと、自分の前に座席と父親という壁があることが妙に心強かった。そしてとうとうその家に辿り着いた。親がどんな反応を示すか楽しみだった。

 ピエロの家がヘッドライトに映し出された。

 「うわっ、なんかこりゃ」

 父親が叫んだ。しかし爆笑していた。母親も悲鳴のような声を出して笑っていた。妹が「なんなんこれ?」と必死に親に聞いていた。

 「キチガイじゃーやこりゃ」

 父親があまりに率直すぎる言葉を放つ。私の話を聞いてイメージしていたものと全くスケールが違っていたのだろう。そういう驚きが顕著に伝わり、私は興奮した。この不吉な存在が秘められたものではなくなった感じがして得体の知れない恐怖が薄まった。


 町内の夏祭りの日、私たちは肝試しのノリであの家に行こうということになった。普段は絡まない上級生2人が加わりその家に行った。何度見てもその家は禍々しかった。

 「庭のほうもスゲーぞ」

 上級生は血気盛んに他人の家の塀に登って内部の様子を覗き見た。窓は真っ暗で、駐車場にいつも止まっていたミニクーパーが無かった。そのことを意図的に上級生に伝えると私の望んだ通り、庭を探索することになった。

 「げぇー」

 庭にはピエロの服を着せたマネキン人形が無数にあった。イスに座ったり、マネキン同士会話をしているように見せかけたりしていた。馬の人形なども置いてあり、小さな遊園地を再現しているように思えた。奥に山小屋のようなものがあった。上級生がここに人間の死体が隠されているんじゃないかと冗談で言った。その言葉のせいで私たちは恐ろしい空想をしてしまった。それは上級生たち自身も同様のようで私たちを置き去りにするように外に向かって走った。ビックリした私たちも我先に走った。パキッと音がした。誰かが人形を踏み潰したに違いない。柵を乗り越えて急いで家をあとにした。


 しばらくして、親が町内の子供が亡くなったと言った。海で溺れたのだった。私よりも学年が上だった。まさか、と思ったがピエロの人形を踏み潰した呪いがそれで終わってくれるように祈った。


 大人になってからそのピエロの家を観に行ったことがある。空き家になっており、ピエロの人形も無くなっていた。しかし帰ろうとした際に道路に薄汚いピエロの人形を1体見つけてしまった。普通に考えて1体だけ転がっているのは不自然だと思ったが、私はしばらく人形を眺めていた。もう私は怖くないし、命も大して惜しくない。かつてここに住んでいた住人がただの精神病患者だったってことも想像できる。そして今じゃ私自身も精神病持ちだ。あの日、この家を見るまで小学生の私の世界地図はオモチャや漫画やアニメに彩られていて、そんな世界にグロテスクな存在を植え付けられたことの衝撃と嫌悪を催させたが、地図が大きく、詳細になるにつれ、そんなことなど些細なことに思えるほどドス黒く汚れていった。

 最後に再び2階の窓に視線を移し、やはり何もないことを確認して私は自転車をこぎだした。

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名も無き風情 済谷川蛍 @saitanigawa

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