五 病んだ殺人予備群たち

 気づかないほうがいいこともある。あの日私が気づいたことは狂気を加速させるものだった。それが事実であれ妄想であれ関係なく人は感覚に囚われてしまう。

 この世界が狂っていたり、私の世界がとっくに終わってしまっているということが事実であれ妄想であれ、考え込むべきものではないだろう。あの日もう1人の私に手渡された包丁も、ただの私の可能性に過ぎない。誰だって持っているものかも知れないし、持つかも知れないものかもしれない。私は人一倍臆病だ。学校やブラック企業ならともかく、今の会社でなら一番下にいれば守ってもらえる。下請けの従業員だろうと、年下の新入社員であろうと、トイレ掃除のおばちゃんであろうと、私は彼らより下の存在だ。唯一私が上の存在となり、助けられるのは小さな生物たちだ。軽トラの中に迷い込んだ羽虫だろうと私はそこに置き去りには出来ない。脆弱な命に敏感に反応してしまう。逆に強い者に対しては敵対的だ。この性質は優しさとは違う、もっと歪んだ醜悪な何かだろう。本当に優しい人間には、人が寄り付くものだ。私には誰も寄り付かない。我ながら不気味で気持ち悪くて仕方がない。

 会社を辞める決意はしたが、タイミングが掴めなかった。親にも精神科医にも、たまに来る私のような社会的弱者のサポーターの人にも会社を辞めると喧伝してはいるが、会社の人間には誰も言い出せなかった。この国では会社を辞めるのは一大事なのだ。一応私は正社員ではなく嘱託という身分なのだが、この嘱託の辞書的な意味はあまり関係なく、単に私を正社員にする前の会社側の時間稼ぎである。私は1年後に正社員になるかどうかの選択を迫られる。しかし私は正社員になれる器ではない。まだ4年目だが、何度も限界を感じ、2度も部署を異動して「総務部付出向」の身だ。1度雇った職員は、うつになろうと末期ガンになろうと、暴力事件などを起こさない限り簡単には辞めさせない会社なのだ。しかし午前中の構内パトロール以外は決まった職務がなく、1日だって限界だ。社会不適合者というより病人なのだろう。著名な精神科医の先生からは、「君はうつ病でない」と言われた。私はビックリして、「もし私が自殺しても先生は私がうつ病だったと訂正しないんですか?」と反駁したが、先生は「訂正しない」と言って私は感心してしまった。「じゃあ私のこの狂気や苦しみや不安、動悸の原因は何なんですか?」と問うたら「ノイローゼ」と言われていたく納得してしまった。そうだ、私はもう10年以上ノイローゼ状態なのだ。まったく、参るぜ。

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