四 虫のような人間と人間のような虫
その日はキンチョールのCMを聞けなかった。小学生くらいの男の子と女の子が会話をするやつだ。少女のほうが大人びていて、少年をドキッとさせる言葉を発するオチで、何パターンかある。今日も雨が降っていた。リース品の軽トラのワイパーは軽くひしゃげており、上手くフロントガラスを拭くことが出来なかった。雨の日も蒸し暑い。この雨のせいで死ぬ虫もいれば、生きることが出来る生物もいる。歩行によるパトロール中はそういったものをよく見る。雨水で一杯になった側溝を流される緑色のコガネムシ。糸のように細い手足を必死にバタつかせている。私はそいつをそっとつまみあげて安全そうな地面に置く。
「どうだ、私は死ぬはずの生き物を救ってやったぞ! また1つ、お前の世界の法則を狂わせてやったぞ!」
同じく水の溜まった側溝の底で、あるはずのない出口を探してもがくミミズを見かける。近くを物色して見つけた手頃な木の枝を使って引っ掛ける。
「苦しかったな。もう側溝には落ちるなよ。地面に潜りな」
しかし、雨が降らなければ降らないで悲惨な集団死が待っている生き物もいる。オタマジャクシだ。地面に出来た大きな水溜まりの卵から孵化したやつらはそのまま水溜まりで育つことがある。水溜まりと側溝が雨で繋がったり、断続的に雨が降って干上がらなければいいが、カンカン照りが続くとだんだんと水溜まりは小さくなっていき、たくさんのオタマジャクシがすし詰め状態になる。そしてやがて水は蒸発してジワジワと死ぬ。考えるだけで恐ろしく、可哀想だ。私が観たので感慨深かったのは、私の長靴の足跡の窪みの形のところに数十匹の溶けたオタマジャクシの死骸の塊を観たときだ。そりゃ、全ての卵から産まれたオタマジャクシがカエルまで育てば大変なことになる。でもこいつらは機械じゃない。生物で、感情のようなものもある。そういうことを考えると私は他人事のように思えず、やりきれない。
カッパを干して事務所に戻ったが、今日は誰も私に声をかけなかった。みんな知らんふりだ。昼休みの3分前では、さすがにズルと思われても仕方がない。ヤフーのトップページのニュースを読む間もなくチャイムが鳴った。
会社の駐車場には僅かにだが車内で昼食を取っている人たちがいた。それらは皆、下請けの人たちだった。頑張って生きてるなと思う。目が合うととんでもなくネガティブな感情をキャッチしてしまうのでそちらを見ることはない。私のようにコンビニの駐車場で過ごすほどの重症なコミュ障は今のところ他にいないようだ。しかしこれからは増えるだろう。この国は巨大な地面にいくつも水溜まりが出来ている。清潔な川に棲めるのはごく一部で、大概は不潔な水溜まりだ。私もそこで産まれて生きる小さなオタマジャクシみたいな生き物だ。残念ながら私より巨大な存在は、慈悲深い巨人ではなく、非情な世界の法則だ。
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