第75話 ここはどこ?俺は誰?
そこには豪華な意匠が施された椅子があった。
俗に言う玉座という奴だろう。
眼前には、怯えた表情で子供を抱き締める女性の姿がある。
だが、その女性は
そして、何を考えたのか、彼女は五歳くらいの男の子を抱いたまま頭を下げたかと思うと、己が望みを訴えてきた。
「し、使徒様。何卒、お助け下さい」
何のこっちゃ。全く意味不明なんだが……使徒様? 意味が分からん……
ただただ首を傾げるしかない。ところが、別の者から誰何の声が掛かる。
「貴様は何者だ!どうやってこの場に入ってきた!」
お前は誰だと言われても、俺は……俺は……俺って誰だ? あれ? 自分のことが解らん……ちょ、ちょ、ちょっとまて! 俺は誰だ? ここは何処だ?
「怪しい奴だ! 直ぐに捕まえろ!」
自分のことが分からないという事態は、予想以上に混乱するものだ。
なにしろ、記憶が何も残っていないのだ。狼狽えるのも当然だろう。
思わずあたふたするのだが、そんなことなど知らぬとばかりに、偉そうなおっさんが声を大にしている。
どうやら、不審者と思われたようだ。
つ~か、どう見ても不審者だよな? だって、自分のことが分からないんだから……いやいや、自分のことはさておき、なんか拙い状況なのか? だいたい、ここはどこなんだ?
自分のことを棚上げして周囲を見やると、直ぐ後ろには、豪華な服を身に着けた男が血溜まりの中に倒れている。
何がどうなってんだ? これって刃傷沙汰だよな? こりゃ、どう考えてもトラブルの最中としか思えんぞ。
血だまりを作る男を目にして、とんでもない状況だと理解する。
これって、どうすりゃいいんだ? つ~か、大ピンチだと思うんだが、なんで俺は動揺してないんだ?
普通に考えて在り得ない状況に陥っているのだが、なぜか、焦りを感じない自分を不思議に思う。
そんなタイミングで、目の前に居る女性の声が耳に届く。
そう、助けてくれと懇願してきた女性が大きな声を発した。
「神の使徒様に対し、なんと失礼な振る舞い! いえ、デルトラント卿、貴方の野望は潰えたのです」
全く話が見えてこない。いったいぜんたい、これはどういう状況だろうか。
雰囲気からして、反乱か造反のように思える。だが、それにしては、それほど騒がしいといった様子じゃないし……
未だに状況が理解できず、
「何をしておるか! さっさと捕まえろ! 王妃と王子もだ!」
ああ、この女性は王妃で、抱いている子供が王子なのか……そうなると、倒れているのは王様か? そうなると、やっぱり謀反かな。う~ん、何となく理解できたけど、なんで誰も捕まえに来ないんだ?
偉そうな男の命令とは裏腹に、なぜだか、兵士は俺を取り押さえようとしない。
そのことを不思議に思いつつも、これ幸いと、王妃に現在の状況を尋ねる。
「なあ、これって、いったいどういう状況なんだ?」
途端に、彼女は涙を溜めた瞳を向けてくると、状況の説明をしてくれた。
話によると、あの偉そうな男はデルトラント公爵であり、謀反を起した張本人とのことだった。
ということは、やはり血溜りに倒れているのが王様であるらしい。
ふむ。取り敢えず、王妃の話を信用するなら、デルトラントという男が元凶みたいだが、俺にどうしろと?
説明を受けて状況を把握したのは良いのだが、どうしたものかと頭を悩ませる。しかし、その途端に事態が急変する。
「国王! 兄上!」
大きな声が、おそらく謁見の間であろう室内に響き渡る。
ただ、その声の主を見やり、頭を捻る。
というのも、その声はどう聞いても女性のものなのだが、その様相は完全に男装だった。
その彼――彼女は入口の兵士に行く手を阻まれている状態だ。
すると、それを目にしたデルトラントが舌打ちをしたかと思うと、兵士達に指示を送った。
「くそっ、邪魔だ! さっさと奴を取り押さえろ!」
「だめです! イーシャル、直ぐに逃げて!」
デルトラントの声に続いて、王妃が逃げるようにと声を上げた。
だが、イーシャルと呼ばれた男装女は、直ぐに剣を抜き放って叫ぶ。
「それは出来ません。この逆賊どもを葬ります」
男勝りなのは、格好だけではなさそうだ。
四十人以上は居そうな兵士を相手に、彼女は剣を振り回しながら息巻いている。
ただ、その華奢な雰囲気からすると、直ぐにやられてしまうような気がする。
おいおい、お前じゃ無理だろ……逆に瞬殺されそうだぞ?
なんて考えているうちに、無情にも戦闘が始まってしまった。
すると、それを静観していた俺にも、五人の兵士が向かってきた。
間違いなく、俺も排除対象となっているのだろう。
全員が剣や槍を持って迫ってくる。
だが、不思議なことに、全く恐怖感は無かった。そう、理由は分からないが、全く怖くないのだ。
「大人しく捕まれ!」
一人の男が剣を振り上げ、襲い掛かってくる。
いやいや、捕まれって……思いっきり斬りかかってきてんじゃん! あほじゃね?
呆れつつも男の横に回り込み、すぐさま中段回し蹴りを食らわせる。
すると、男が十メートルくらい吹き飛んで行く。
「ぐがっ!」
「はっ?」
「えっ!?」
「マジ?」
襲い掛かってきた兵士達が、蹴り飛ばされた男に視線をむけたまま、唖然とした様子で驚きの声を漏らす。
ん? こいつ、めっちゃ弱いじゃん。てか、俺の回し蹴りって、いつからこんなに強く――
相手の弱さ以上に、自分の強さを疑問に感じる。しかし、それに頭を捻っている時間はなさそうだ。
硬直の解けたのか、兵士達が怒声を上げて向かってきた。
誰もが怒りを顔に貼りつけている。
「この野郎! 死ね~~~!」
その兵士は、槍で突き刺そうとするが、驚くほど遅い突きだ。こんな突きでは、虫も殺せないだろう。
死ねって……捕まえるんじゃなかったのか? まあいいや、そっちがそのつもりなら、遠慮はなしだ。
突きを余裕で避けて、兵士の懐へ入り込むと、その兵士の
「ぐごっ!」
その一撃で、槍の兵士は宙に舞い、後方へと吹き飛ぶ。
「き、貴様! よくも!」
「もう許さん!」
いやいや、許すも、許さんも、お前等の台詞じゃね~。俺の台詞だろ! こんにゃろ!
こめかみをヒクヒクとさせて怒りを露わにする兵士に上段回し蹴りを叩き込み、憤怒の形相を見せる兵士に飛び蹴り食らわせる。
最後の兵士は、さすがに敵わないと感じたのか、ガタガタと震えている。そう、完全に戦意喪失した状態だ。
「うむ。賢い選択だ。長生きしたけりゃ、敵わない敵に立ち向かうもんじゃないぞ」
襲い掛かってこない兵士を見やり、それが得策だと頷いてやる。
すると、デルトラントの声が聞こえてきた。
「直ぐに戦闘をやめろ! さもないと、こいつの命が無いぞ!」
奴が指し示す方向に視線を向けると、イーシャルと呼ばれていた男装の麗人が捕まっている。
というか、複数の男から足蹴にされていた。
まあ、多勢に無勢だし、負けるのも、捕まるのも、仕方ないだろう。
ただ、気に食わない。奴等のやっていることに怒りが込み上げてくる。
寄ってたかって一人を袋叩きにするのは許せない。そんな想いが怒りとなって燃え上がる。
「お前等、ゴミだな。この状況がどういうことかなんて知らんが、お前等が許されるべき人間でないことだけは、十分に理解できた」
俺の言葉が気に食わなかったのだろう。デルトラントはこれ以上ないほどに顔を紅潮させ、泡を吹かんばかりに怒鳴り声を上げる。
「なんて無礼な奴だ! 何をしている! 早く捕まえろ! 間違いなく処刑して――ごぶっ!」
奴に最後まで言わせる気になれなかった。瞬時に奴の前まで移動すると、正拳突きを叩き込む。
その勢いで、デルトラントは見事なほどに吹き飛んでいく。
まあ、かなり手を抜いているから、死んだりしないだろう。
だが、もちろん嘲りの言葉は忘れない。
「くたばれ! クズ野郎!」
右手を突き出したまま、デルトラント――クズ野郎に毒を吐く。
すると、いまだ自分の状況を理解していないのか、倒れた状態から上半身だけを起したクズ野郎が、口から血しぶきと折れた歯を吐き散らしながらも、怒り露わに恫喝の声をあげる。
「ぎ、ぎざま! 人質がどうなってもいいのが」
クズ野郎は、所詮、クズだな。頭の中もクズか!
「お前は、クズだし、バカだな。あれが俺に対する人質になるのか?」
嘲りの台詞を聞いた途端、奴は唖然とする。
なんで唖然とする必要があるのか、全く理解できない。
今日初めて会った。いや、チラリと見かけた人間が、人質として使える訳がないだろう。
まあ、実際は、ポーズだし、人質が知らない者でも無視できないんだが、こうでも言わないと、逆に危険になるからな。
イーシャルとやらのことを考えて、敢えて
「くそっ、殺せ! イーシャルを殺せ!」
おいおい、普通はここで人質を殺したりしね~だろ! 確かに、彼女は俺と関係ない人間だが、ここで死なれると目覚めが悪いつ~の!
すぐさま、俺は囚われているイーシャルのところに向う。ただ、そこで疑問が生まれる。
なに? こいつら、なんでこんなに
イーシャルを足蹴にしていた兵士達は、なぜか唖然としたまま固まっている。
これ幸いと思いながら、遠慮なく殴り飛ばす。蹴って、蹴って、蹴って、蹴って、全員を壁に生やしてやる。
うむ。見事な光景だな。
頭から豪華な壁に突入し、下半身だけを生やしている兵士達を見やって満足する。
つ~か、壁が薄すぎないか?
少しばかり疑問を抱きながらも、男装の麗人――イーシャルに脚を乗せる者が居なくなったところで、彼女を抱き上げて王妃のところに戻る。
そのタイミングで兵士達が騒ぎ始めた。
いやいや、お前等、遅すぎるから。
周囲の者達に、そんな感想を抱いていると、お姫様抱っこしているイーシャルが、「えっ!? えっ!?」と現在の状況に混乱している。
そんな彼女を下ろし、倒れている王様に手を向けた。
その行動の理由は、自分でも分からない。ただ、そうする必要性を感じたのだ。
すると、王様がピクピクと反応を示す。
「もしかして、それは回復魔法ですか?」
ん? 回復魔法? ああ、怪我を治す魔法ね。つ~か、なんで俺に使えるんだ?
王妃が尋ねてきたが、自分でも分からない。というか、魔法については、何となく理解できたのだが、使えることを不思議に思う。
ただ、身体が勝手に反応しただけなのだ。
戦闘にしてもそうだ。思った通りに身体が動く、いや、反射的に身体が動くし、とんでもない戦い方のイメージが湧くのだ。
自分自身に疑問を抱き、その理由を考えていると、王妃とイーシャルが倒れていた王様を優しく起こす。
「あなた。大丈夫ですか!?」
「お姉様、だ、大丈夫です。生きています。兄上、兄上、私です。分かりますか?」
「イーシャ? わ、わたしは? こ、これは、確か兵に討たれたはずだが……」
どうやら、派手な血溜りを作っていた割には、怪我の方はそれほどもでなかったようだ。
どういう理由でそう思うのかは解らないが、だた、そんな気がする。
朦朧とする王様の前では、王妃とイーシャルがポロポロと涙を流しながら安堵の息を漏らしている。
ふむ。まあ、よくわからんが。良かった。良かった。
王様たちの心温まる光景を目にして頷いていると、顔面を血だらけにしたデルトラントが喚き声を張り上げた。
「こうなったら、皆殺しだ! ディーク! ディークはどこだ! 早く連れて来い!」
それを目にした王様が、悲しげな表情を見せた。
「叔父上、そうまでして……もう止めて下さい。こんなに沢山の者の命を奪ってまで、あなたは王になりたいのですか」
王様の言葉で、改めて室内を見渡すと、沢山の人達が倒れていた。
その中には、俺がぶっ飛ばした者も混ざっているが、それ以外にも、多くの文官らしき者が血を流して倒れている。
これは謀反というより、完全にクーデターだ。
「
王様の言葉に苛立っていたデルトラントが、颯爽と現れた助っ人を目にした途端、表情を明るくした。
ふ~ん。これが助っ人なのか。なんか、嫌な雰囲気だな。好きになれそうにないタイプだ。
ディークと呼ばれた男は、長身で細身だった。それもあってか、神経質そうな印象を受ける。
ディークはデルトラントの言葉に満足したのか、コクリと頷いて見せると、俺に氷の如き冷たい視線を向けてボソリと尋ねる。
「あいつ等を殺せばいいのか?」
「ああ。あそこの四人だ」
「報酬は、如何ほどか?」
「望むがままだ!」
「あいわかった」
ディークの言葉を聞いたデルトラントは、嫌らしい笑みを浮かべて即答すると、俺達に向かって毒を吐く。
「この男は、この国最強の殺し屋だ。死神ディークと恐れられている男だ。くくくっ、お前等を今直ぐ始末してやるからな」
死神……なんか聞いたことがあるぞ? どこで聞いたのかな?
死神という言葉に反応して眉を動かすと、デルトラントは勘違いしたらしい。
「恐ろしいか!? 今更遅いのだ。お前等は死神の獲物となったのだ」
奴の罵声が響き渡った途端、ディークが両手に刀を持ち、疾風となって襲い掛かってきた。
おお、結構、速いじゃん!
そう感じている間に、奴は刀を振り下ろしてくる。
その攻撃に対して、奴の周りを旋回するように避けると、今度は反対の手に持った刀を横に振ってきた。
それを難なく
まあ、そうだろうな。確かに強いようだが、脅威を感じるほどじゃない。
ん~、まだまだ。こんなんじゃ……あれ? なんか二刀を使う奴と戦ったことがあったっけ? いや、いまは戦いに集中しようか。
なぜか、もっと強い二刀使いと戦ったことがあるような気がして、自分の感覚を不可解に思うのだが、それを棚上げして奴の攻撃をいとも容易く躱していく。
すると、余裕であることが奴のみならず、周囲の者にも伝わったのか、顔色を変えたデルトラントが叱責の声をあげる。
「何をしておる。さっさと始末しろ。というか、その男は後でもいい」
どうやら、討ち辛い俺よりも、与しやすい王様達を先にやれということらしい。
全くもって、クズとしか言えない男だ。
だが、ディークはその言葉に従うつもりのようだ。
仕方ないな。ここは気合を入れて倒すことにするか。この男も沢山の人を始末してきたんだろ。そろそろ報いがあってもいいよな?
俺の心情など察する術のないディークは、王様達を討つべく距離を取ろうとする。
そう、奴は大振りの一撃を浴びせることで、間合いを取ろうとしたのだ。
だが、それを見逃すほど温くない。その攻撃に合わせて奴の懐に入ると、
「ぐあっ!」
なんとも拍子抜けだった。
というのも、右の一撃で終わってしまった。奴はこれまでの兵士と同様に、見事に吹き飛んで行く。
死神って、この程度なのか? まあいい。そんなことよりも、あの男を捕まえる必要がある。
声も出せず、ただただ硬直しているデルトラントの所に一瞬で移動する。
我がことながら、どうして、これだけ速く移動できるのかも解らない。
だが、その理由より、この男をぶっ飛ばす方が先だ。
宙で反省しろ!
次の瞬間、デルトラントは宙の人となった。
その光景を呆然と見つめる兵士達に向けて警告する。
「次に宙を舞いたい奴は、いるか?」
ディークとデルトラントの結末を目にした兵士達は、沈黙を保ったまま首を勢いよく左右に振った。
この状況をどうすれば良いのだろうか。
国王と呼ばれる男を始めとして、沢山の者が
「この度は、この国を御救い下さいまして、本当に有難う御座います」
お~い! 誰か、これの回避方法を伝授してくれ~!
既にクーデターの処理も終わっている。この後は生き残った臣下によって、処罰の提案資料が提出されるのだろう。
だが、王様がこんな所で跪いていて良いのか?
疑問を抱かずにはいられない俺を余所に、王様は話を続ける。
「もし宜しければ、使徒様のお名前をお教え願えますでしょうか」
その名前だ。それが解らないから困ってるんだよ。
どうしたものかと悩んだ結果、正直に話すことにした。
「実を言うと、俺も自分のことが解らないんだ。おまけに、ここに居る理由も解らない。気が付くと玉座の前に立っていたんだ。あと、多分、使徒とかじゃないからな。そんなに
ここに居る全員が、顔を見合わせてザワついている。
まあ、自分で考えても普通じゃないからな。不思議に感じているお前達の気持ちも良く解るぞ。
誰もが訝しく感じていることに納得するが、王様はざわつく者達と違い、ゆっくりと頷いている。
一体何を納得しているのだろうか……
「であれば、暫く我が国に
確かに、行く宛もないし、金もなければ、持ち物も全くない。
あるのは、ポケットの中の壊れた……これって携帯電話? デコ電?
まあいい、壊れたデコ電だけだ。
結局、王様の申し出に甘えることにした。
そんな訳で、晩餐に招かれた上に、豪華な部屋まで用意してもらって、こっちの方が恐縮してしまった。ただ、時間が経つのは早いもので、ここに滞在するようになって一週間の時が過ぎた。
その間、余りの待遇の良さに居辛くなり、大抵は借りている部屋に引き篭もっているのだが、そこに第一王子であるテルランと王妹であるイーシャルが毎日のように訪れる。
話を聞くと、イーシャルは二十二歳で独身らしい。
とても綺麗な女性なのだが、どことなく残念な香りがする。
ただ、この残念な雰囲気は、とても懐かしい匂いを感じさせるのだ。
王子の方は五歳であり、将来は女を泣かせること間違いないと思えるほどのルックスだ。
このテルランだが、どうやら俺を崇拝しているようで、片時も離れようとしない。
「しとさま、とてもつよくてカッコよかったです。ボクにあのたたかいかたをおしえてください」
一生懸命に訴えるその双眸は、キラキラと輝く星のようだ。
「使徒様、もし宜しければ、私にもご教授願えませんでしょうか」
テルランだけでも手が焼けるのに、イーシャルまでもが輝く宝石を填め込んだかのような瞳で訴えてくる。
ただ、教えろと言われても、俺自身が良く解らないのだから、なにも教えようがない。
この二人をどうやって
はぁ~。ほんとに困ったもんだ……
「使徒様、よろしいですか?」
「使徒様、ご機嫌は如何でしょうか」
思わず溜息をこぼしたところに、王様と王妃様が尋ねてきた。
この夫婦が、これまた恐ろしく仲が良くて、王様が側室なんて絶対にもらわないと豪語しているほどだ。
「ん? これこれ、二人共、また使徒様を困らせておるのか?」
優しげな表情で、マーシャル王国の国王であるロビエスト=マーシャルが二人を
だが、テルランもイーシャル負けてはいない。
「おとうさま、ボクもつよくなりたいのです」
「そうです。お兄様、私も強い女になりたいのです」
ちょっと待て! テルランはいいが、イーシャルは強くなってどうするんだ? 未来の旦那を尻に敷くつもりか?
まさに食って掛かりそうな勢いで、二人は国王に反発するのだが、少しばかり物言いを入れたくなる。
ただ、そんな俺を他所に、王妃であるクレディアル=マーシャルが二人を窘める。
「テルランは、まだ少し早いでしょう。もう少し大きくなるまで我慢なさい。イーシャルはこれ以上強くなってどうするのですか? いい加減お嫁に行く齢だというのに。これ以上、お転婆になるとお嫁の行先すら無くなりますよ。鍛錬するなら花嫁修業になさい」
母親から怒られたテルランは、一気に項垂れてしまう。
だが、それよりも顕著に落ち込んだのはイーシャルだ。
彼女は泣き崩れてしまった。
「お、お義姉様、それは余りにも酷いお言葉です。私だって気にしているのです」
王様は額に皺を寄せた状態で妹を見遣り、王妃は首を横に振りながらイーシャルの背中を撫で始めた。
どうでも良いけど、なんで俺の部屋でやるわけ? どこか他でやってくれよ。めっちゃ居辛いんだけど……
「陛下! 大変です」
王様達の家族団らんが、なぜか俺の前で行われることに不満を感じていると、そのタイミングで衛兵が飛び込んできた。
衛兵は王様の足元に跪くと、俺の存在を気にすることなく直ぐに報告を始めた。
それについても、色々と言いたいことがあるのだが、意図せずして報告を一緒に聞かされることになった。そして、その内容を知って肩を竦めることになる。
それは豪華と形容するより、気品のあると言った方が似つかわしい居室だった。
部屋の中央には、大きな円を描くようにテーブルが配置されている。
そのドーナツ型のテーブル席には、既に三十人くらいの臣下達が気難しい表情で着席している。いや、気難しいと言うよりは、焦りを感じてるように見える。
貧乏揺すり続けている者、イライラとテーブルを指で叩く者、必死に汗を拭ってはキョロキョロと周囲を見回す者、などなど、どの者をとってみても、この部屋に相応しいとは言えない有様だ。
それでも、この部屋に王様が入室したことに気付くと、その様相が一変するのが解った。
誰もが席を立ち、直立不動の姿勢で頭だけを下げ、王様を
というか、王様に対しての礼儀だと思いたい。確かに俺も一緒に居るが、関係ないし……関わりたくないし……
王様は己が席の前に立つと、右手を上げて誰ともなく声を掛ける。
「皆の者、良く集まってくれた。席に着いてくれ」
王様の声で、一同の者達が席に腰を下ろすが、入室前と違って、幾分か落ち着きを取り戻している。
そんな臣下達を一望したロビエストは、穏やかな表情で再び口を開く。
「話は聞きているが、詳細な情報の報告を頼む」
ロビエストの言葉を受け、一人の臣下が勢いよく立ち上がって報告を始める。
「マリルア王国の兵、約一万五千が国境を越え、こちらに向かって来ております。また、兵の内、魔法師の数は推定で五千との連絡を受けております。進行方向から推察するに、目標はこの王都マルレアかと思われます」
臣下が報告を終わらせて着席すると、ロビエストは溜息混じりに感想を告げた。
「はぁ~、彼の国は何を考えておるのやら、今更、戦などして何になる。と言って愚痴を溢しても始まらぬか……こちらで直ぐに準備可能な兵数は?」
愚痴を溢しつつも、現状把握を優先させたようだ。ロビエストは直ぐに騎士を派遣するつもりのようだ。
まあ、敵が攻め込んでくるのだから、それも仕方ないだろう。
ロビエストが問いかけると、もう退役してもおかしくなさそうな老年の男が勢いよく立ち上がり、その年齢にそぐわない大声で宣言する。
「王よ。我が白竜騎士団にご命令くだされ。我が騎士団三千を持って敵を打ち砕きましょうぞ」
その言葉に、ロビエストは溜息混じりに首を横に振る。
「ディンガ卿よ。其方の気持ちは嬉しいが、三千の兵を率いて向かっても、間違いなく焼け石に水であろうよ。卿の出兵は願うが、それだけでは足らぬのだ」
ロビエストが視線を巡らせると、今度はディンガ卿より若そうな騎士が立ち上がる。
「我が黒竜騎士団二千も共に向かいましょう」
それでも五千だ。向こうは一万五千且つ、魔法師が五千もいると言うのだ。到底、太刀打ちできるものではないだろう。
しかし、声をあげたのは二つの騎士団だけだ。
それもあって、ロビエストはゆっくりと視線を巡らせる。
「今直ぐ出せる軍勢は、たったそれだけか?」
冷静な態度を崩さないロビエストが声色に落胆を滲ませると、この場の全員が押し黙った。
多分、その通りなのだろう。だが、そこで不穏な視線を感じる。
どうも、ここに集まっている臣下達から、熱い視線を投げ掛けられているような気がするのだ。
おいおい、男に熱い視線を向けられても、俺は腐ってないからな……
どうやら、その視線にロビエストも気付いたようだ。
急速に、その温和な表情が激情へと移り変わる。
「皆の者は、まさか、使徒様に出兵を願っているのではあるまいな。そんな大それた願いは今直ぐ捨てるがよい。使徒様は我が王国の恩人、それ故に、ここで歓待しているのであって、死線へなどと
ロビエストは、これまでに見せたことのない形相を露わにすると、臣下達に叱責の言葉をぶつける。そして、叱責のあとに、怒りのほどを思わせる発言を続けた。
「わたしと近衛一千も出るぞ。直ぐに準備に掛かれ」
怒りの形相で、ロビエストはそう告げたのだが、臣下達からの諫言を受けることになる。
「お待ちください。王自ら出兵するなどと、早まった行為です。我らが直ぐに兵を掻き集めますので、それだけはお止めください」
クーデター後に新しく迎えた宰相は、必死になってロビエストを宥めようとする。
しかし、ロビエストは王を思う臣下の声を聞き入れなかった。
「こうしている今この時も、国民は
冷静沈着な様子を見せていたが、それは見た目だけだったようだ。
どうやら臣下の者達は、ロビエストの尾を踏んでしまったのだろう。
ロビエストは己が信念を貫くべく、家臣の諫言を一蹴した。
その想いは、心地よいものだった。そして、胸の内に
ふ~っ、しゃ~ね~な。一宿一飯の恩というやつかな。
「ロビエスト、俺も行こう。何ができるかなんて解らんが、民衆が蹂躙されるのを黙って見過ごす気にもなれんからな」
臣下達は一斉に「お~~~!」と感嘆の声を上げているが、ロビエストは違った。
「ほ、本当に宜しいのですか? わたしの力が及ばぬ所為だというのに、使徒様のお力をお借りするなどと……ですが、もし叶うのなら、罪のない国民を助けて下さいませ」
泣きそうなほどに、その作りの良い顔を歪め、ロビエストは跪いて懇願してきた。
いやいや、そんなに恐縮されると、落ち着かないんだが……
「気にしないでくれ。色々と世話になってるからな。それに、相手の数も多い、本当に何が出来るかなんて、俺自身も解らないんだ。だから、あまり期待されても困るぞ?」
「何を申しますか。使徒様が共にあるだけで心強いです。このロビエスト、一生をあなたに捧げる想いです」
いやいや、大袈裟だって……それに、男に一生を捧げられても、あまり嬉しくないぞ?
結局、記憶は戻らぬままなのだが、ロビエストの人間性に感じ入り、厄介になっている王国を助けるべく、己が意思で戦場に向かうことになってしまった。
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