第21話 悪夢の館

 

 手狭な部屋に、ベッド、クローゼット、チェスト、机、椅子が収まっている。

 どれも木製であり、それらに刻まれた細かな傷、せた様子からは、それぞれが長く使い込まれていることが分かる。

 それらの調度は、壁に沿うように配置され、真ん中には畳二枚ていどの空間しか残されていない。

 それはいい。学生寮の一室なのだから、これでも広いと思えるくらいだし、とても居心地の良さそうな空間だ。

 そう、問題は他だ。他にあるのだ。

 

「うおっ、やっちまった」


 それが、俺の第一印象だ。

 次に抱いたのが、眼福という名の満足感。

 絨毯ではなく、木目をそのまま晒すフローリングの上には、身体を屈めたまま片脚を上げている少女の姿があった。

 手に持っているのは、白く小さな布切れ。言わずと知れたパンティーというやつだ。

 まあ、それもいい。問題は、その少女が何一つ身につけていないことだ。いや、これから身につけようとしていることだ。

 ここまでくれば、誰でも想像にかたくないだろう。

 眼前には、いまだ細やかな膨らみと不毛地帯の下半身を晒す全裸のエルザがいた。


 おいっ、エルザ。行き成りなにやってんだ! R18にするつもりか? それはそうと、相変わらずのツルツルだな。それはそれで需要がありそうだが……


「ば、バカ! な、な、なにガン見してんのよ! あっち向きなさいよ!」


 やべっ、思わず見入っちまったぜ。


 慌てて後ろを向くと、なぜかミレアもスッポンポンだった。


 もう~、お前等、いい加減にしろよな。でも、ミレアの乳すげ~~~。こっちの需要も凄いだろうな……


「きゃ! でも、ユウスケ様なら、えへへ」


「もう帰っていいか?」


 二人の裸体が視界に入らないようにしながら、深い溜息を吐く。


「乙女の裸体を見て溜息を吐くなんて、殺すわ」


 めっちゃ見たいけど……見たくて見たんじゃねぇ。もしかして、この理不尽な状況も俺の所為なのか?


「普通は先に連絡するのが礼儀よ。行き成り女性の部屋にワープしてくるなんて失礼だわ。というか、わざとやってるでしょ!」


 いやいや、お前等こそ、わざとだろ。なんで来る度に全裸なんだ?


 着替えを終わらせたエルザが、角を生やして突っかかってきた。

 一応は、俺の言い分もハッキリさせておこう。


「マーキングしたのがここなんだから、仕方ないだろ」


「これを見越して、いえ、企んで、ここにマーキングしたのね」


「ちげ~し。お前がここでいいって言ったんだよな?」


「うぐっ……」


 ムキになって反論してくるエルザが押し黙る。

 よし、あと一押しで無罪放免だ。


「だいたい、盗賊のアジトを潰したら来るって言ってあったろ。一番はじめに身の回りの準備を済ませろよ。あれから、どんだけ時間が経ったと思ってるんだ?」


「そ、それは……」


 もはや返す言葉もないみたいだ。それも当然だ。連絡をしてから、既に四時間は経っているのだ。このタイミングで着替えをしている方がどうかしている。

 ところが、空気を読まないミレアが爆弾を投下する。


「エルザお嬢様は、身体を綺麗にしてユウスケ様に会いたかったのです。だから入浴に時間が掛かってしまって……」


「み、み、ミレア、何を言っているの! だ、だ、黙りなさい。か、勘違いしないでよね。あれこれと準備していたら入浴が遅くなったのよ。そ、それだけなんだから」


 熟れたリンゴのように、顔を真っ赤にしたエルザが、何を血迷ったのか、ツンデレ路線に突入した。

 だが、ちっとも嬉しくない。それどころか、溜息が出てくる。


 あの~、ツンデレは間に合ってますから、必要ありません。


 俺的には、ツンデレの相手なんて面倒だとしか思えない。おまけに、現在の八人の幼女少女部隊が、十人になるかと思うと、それだけでゲップがでそうになる。









 ロマールでのピンチを何とかやり過ごし、その元凶であるエルザとミレアを連れて、ルアル王国内に停めてある木甲車の中に戻った。


「お帰りなさい」


 リビングでお茶の用意をしていたマルセルが、帰還に気付く。手を止めて笑顔を向けてきた。


「ただいま」


「久しぶりね、マルセル」


「元気にしてましたか?」


 俺が軽く手を上げて応えると、未だ不服そうにしていたエルザが表情を緩め、ミレアも嬉しそうにする。


「はい。ユウスケ様に良くしてもらってますから」


 マルセルの言葉をどう受け止めたのか、エルザが俺の服を引っ張り、「手を出してないでしょうね」と確かめてきた。とても失礼な奴だ。


「出してね~よ。お前は、俺をなんだと思ってるんだ?」


「中には出してない。なんて言い逃れじゃないわよね?」


「どこにも出しとらんわ! このタワケ!」


「ふんっ! まあいいわ。信じることにしておくわ」


 卑猥ひわいな追及を否定すると、エルザは腕を組んで頷いた。

 めちゃめちゃ偉そうな物言いだが、どこか嬉しそうに見えなくもない。

 ああ、エルザの後ろで、「私なら中でも……」と言っているミレアはスルーだ。

 つ~か、お前達は黙っていてくれ。こちとらめっちゃ溜まってんだ。本当に出すぞ、こんにゃろ! なんて、心中で悪態を吐きつつ、車内を見回す。


「それより、他のみんなは?」


「多分、お風呂だと思います。ユウスケ様もどうぞ」


 マルセルの返事に頷き、エルザとミレアの紹介を後にすることにして、勧められるが儘に、自分も風呂に入ることにした。

 実は、この木甲車の凄いところは、自走もそうだが、それ以外にもある。その一つは風呂だ。

 この木甲車には、銭湯並の風呂があるのだ。それも男風呂と女風呂に分かれているところが最高だ。


 身体の汚れと精神的な疲れを癒すために、そそくさと湯殿に向かおうとしたのだが、エルザから「ちょっと待ちなさいよ」と止められてしまった。

 彼女としては、現在の状態に色々と疑問を感じているようだ。

 まあ、奴からすれば、ここが木甲車の中だなんて想像もできないだろう。


「ねえ、ここって、どこかしら」


「というか、とても綺麗ですが、少し変わった部屋ですね」


 エルザとミレアが、室内を見渡しながら首を傾げている。

 この部屋の造りは日本のマンション風だし、彼女達に馴染みのない調度が並んでいる。疑問に思うのも当然だろう。

 ただ、その説明をして欲しいと言われると、少しばかりウンザリとした気分にさせられる。


「あ~、そら疑問に思うわな。ん~、説明が面倒くせ~。マルセル、頼めるか?」


「面倒だとは、お言葉ね」


「悪い悪い。別にお前達を嫌がっている訳じゃなくて。これの説明が面倒な話なんだ」


 物言いが悪かったこともあり、エルザが一気にまなじりを吊り上げる。

 憤慨するエルザに謝りつつも、説明をマルセルに丸投げすると、彼女は快く引き受けてくれた。


「私の方で説明しておきますので、ユウスケ様はどうぞ入浴に」


「ありがとう。じゃあ、また後で――」


 マルセルに感謝しつつ、エルザやミレアを残して風呂に向った。


 実際、綾香が作り出した木甲車の内部は、見た目は4LDKのマンションと同じような造りなのだが、部屋の一つ一つは大きく異なっている。

 リビングの壁に造られたドアを開けると、少し広い洗面所がある。

 一度に十人が同時可能なほどの広さで、そこに、男湯、女湯、男子トイレ、女子トイレ、洗浄室に続くドアがあるのだ。

 洗浄室というのは、室内に洗濯機がずらりと並んでいて、どちらかというとコインランドリーみたいな造りだ。


「はぁ~、今日も疲れたな~。精神的に……」


 どちらかというと、戦闘よりも幼女少女の相手に疲れてしまう。

 肩を揉みほぐしながら、首を左右に鳴らしつつ、風呂に続くドアに手をかける。

 当然ながら、ここで安易なラッキースケベ展開を繰り広げたりはしない。俺はデキる男なのだ。

 しっかりと男湯の入り口を指さし確認して中に入る。


「男湯、よし! 間違いない」


「キャー! 柏木君のスケベ!」


「あ、ユウスケ様」


「ご一緒しますか?」


「ユウスケ様なら……」


「一緒に入るピョン!」


 鈴木、クリス、ルミア、エミリア、アレットの五人が、脱衣所で固まる俺に反応した。


 はぁ? こりゃ、どういうことだ? ああ、でも、クリスは随分と育ってるようだな……鈴木はお察しか……


「まだ、早い、早いニャ、それにムードがいるニャ」


 疑問に思いつつも、心中でクリスと鈴木の胸について論評を繰り広げていると、タオルで身体を隠したロココが、俺を脱衣所から連れ出してドアを閉めた。

 ドアに書かれた『男湯』の文字を再確認して、思わず首を傾げる。


 なんで? 俺は悪くないよな?


『おい。ここは、男湯だぞ』


 女の子の裸をガン見しておいてクレームを入れるのもどうかと思うが、一応は自分の正当性を主張する。ああ、脱衣所を出たので伝心でマルチキャストした。

 ああ、もちろん、エルザ、ミレア、マルセル、リビングに居る者には届いていないので、ブロードキャストではない。


『えっ? そうなのですか?』


『知らなかったです』


 クリスとエミリアは、全く気付かなかったようだ。


『……話しながら入ったから気にしてませんでした』


『同上ニャン』


 どうやら、鈴木とロココは、風呂に入る時分、話に夢中だったようだ。


 後で分かったことだが、この『男湯』は漢字で書かれてあったことから、読めるのは、俺、鈴木、ロココの三人だけだった。言葉が通じるので、ついつい忘れていたのだ。

 結局、女湯と書かれた風呂に入った。ただ、どこで嗅ぎ付けたかは知らないが、いつも通りにラティがやって来て『混浴』となってしまった。









 男湯事件を無事にやり過ごし、ゆっくりと風呂に入って疲れを癒したのは、既に昨夜のことだ。

 現在は、ルアル王国のルト村で、ミレア、マルセル、ルミア、三人が村人達との再会も済ませ、ルアル王国の北に位置するメルシャ領のマルブラン家の前まで来ている。

 時間的には、夕方に差し掛かるところだ。


 なんか、嫌な予感しかしないだが、本当にここに来て良かったのか?


 そんな俺の気持ちなど知る由もないエルザは、門番に「ご苦労様、エルザよ。開けてもらえるかしら」と話し掛けていた。


 門番は恐縮して「お帰りなさいませ」と言うが早いか、一人が門を開き、もう一人は、エルザの帰省を告げるために、その姿を城の奥に消した。

 そう、城である。屋敷ではない。本当のお城なのだ。


「エルザ。なんで、城なんだ?」


「ルアル王国は、昔は公国だったのよ。その名残で旧家は城に住んでいることが多いわ。それと、この王国では、貴族の力が強くて施設騎士団を持っていることも多いわ」


 エルザの説明から推測するなら、マルブラン家というのは旧家であり、かなりの力を持っているようだ。

 木甲車をアイテムボックスに仕舞い、エルザの後に続いて城の中に入る。当然ながら他のメンバーも随伴している。


「こりゃ、凄いな……」


 それは、開いた口が塞がらないほどの豪華さだった。

 石造りの壁や天井には、細かな彫刻が施され、とても荘厳な雰囲気を感じさせる。壁には大きな絵画が掛けられ、気品なるものも感じ取れた。

 そんな城の豪華さに感動していると、奥の方から叫び声が聞こえてきた。


「エルザ~~~~~~!」


 奥から現れたのは、ミドルヘアの金髪男だった。

 金色の瞳と整った顔が際立っていて、年齢的には五十歳くらいに見えるものの、美丈夫と表現しても差し支えないだろう。

 ただ、それよりも印象的なのが、百八十センチはあろうかという上背とガッシりとした体格だ。

 どうみても、貴族というよりも騎士といった風貌だ。


 男はテノールの声を響き渡らせ、エルザに向かって全速で走ってきた。

 そして、そのまま両手を広げると、エルザに抱き着こうとした。


「はぁ~」


「マーーーーーイハニーーー! ぐほっ!」


 溜息を吐くエルザに抱き着いたかと思った瞬間、美丈夫はそのまま床にぶっこけた。

 そう、エルザが素早く避けた所為で、勢い余って床に抱き着いてしまったのだ。

 ところが、その男は何もなかったかのように、素早く起き上がると、エルザに視線を向けた。


「元気だったか? 変わりはないか?」


「はい。私は問題ありません。それよりも、こちらは、私達を助けてくれたユウスケです」


 エルザの身を案じる美丈夫に対して、エルザは俺を紹介する。


 この男、何者だ? なんか異様な気配だが……まさか父親だとか言わんよな?


 エルザの態度から、まさか父親ではないだろうと推測する。


「ユウスケです」


 胡散臭く思いつつも、一応、名乗りをあげる。


「そうか。感謝する」


 美丈夫は、そう一言だけ口にすると、エルザの肩に手を回そうとするが、またもや素早くかわされる。

 どうやら、その雰囲気からして、エルザの機嫌はよろしくないようだ。


「お父様、それはちょっと失礼ではありませんか」


 ぐはっ、この美丈夫がエルザの乳なのか……失敬、父親なのか。


 エルザとしては、美丈夫――父親の態度が気に入らなかったようだ。言葉こそ丁寧だったが、あからさまに不満を露わにしていた。

 エルザにたしなめられ、エルザパパは、俺のことを胡散臭そうに眺めるが、やはりエルザ以外の存在を無視して、エルザを奥に連れて行こうとする。

 恐ろしく失礼な奴だが、これで終わりなら、それはそれで望むところだ。敢えて何も言わずに肩を竦めて終わらせる。

 その途端だった。突如として物凄い爆発音が響き渡る。

 爆音に反応して前方に視線を向けると、そこに居るはずのエルザパパの姿が消えてなくなり、エルザによく似た三十歳くらいの女性が立っていた。


「ほんと、なんて失礼な男かしら」


 その女性は右手に持ったハリセンを左掌の上でパチパチと鳴らしている。

 よく見ると、その足元にはエルザパパが倒れていた。

 泡を吹いているところを見ると、どうやら気を失っているようだ。


 なんで、ハリセン? それよりも、何時の間に現れた? いや、それよりも凄い破壊力だ……


「お母様!」


「お帰りなさい、エルザ。こちらのお客様を紹介してくださるかしら」


「私を盗賊から助けてくれたユウスケと仲間の面々です」


 エルザは何時もと違ってやや緊張した面持ちで、エルザママに俺と仲間を紹介した。


「エルザのみならず、セレスのことも助けて頂いたようで、本当に有難う御座います。私はエルザの母で、カトリーヌと申します」


 セレス? ああ、セレスティーヌのことか。


「ユウスケです。偶々居合わせただけですので、あまり気にしないでください」


 つ~か、このママンは、かなりヤバそうな気がする。なんか首筋がピリピリするぞ。こりゃ、さっさと退散した方がよさそうだぞ。


 エルザママは、パパとは違って礼儀正しく感謝の意を伝えてきた。

 彼女に偶然だと答えつつも、内心で警戒する。

 俺の勘が、近付いては駄目だと騒ぎ立てているのだ。

 そして、本能が逃げろと告げている。


 それにしても、さすがはエルザママだな。非の打ちどころがないぜ。いや、それよりも、どうやって切り抜けたものか……


 その容姿は完璧と言わざるを得ないだろう。スタイルや容姿もそうだが、物腰も品があって、上流階級のオーラがにじみ出ている。

 ただ、それよりも、笑顔の中でちっとも笑っていない瞳が気になる。

 それは、獲物を捉えた猛禽類もうきんるいの瞳のようにも思えて、焦燥感が加速する。

 その心を知ってか知らでか、彼女はニヤリと笑みを浮かべて首を横に振る。


「そうは参りませんわ、大切な娘を二人も助けて頂いたのですもの、それ相応のお礼をさせてくださいな」


「いえ、お礼とかは、結構ですから……本当に偶々なので……」


 全身全霊でお断りすると、エルザママは右手に持ったハリセンで、床に転がったエルザパパの頭を叩いた。

 その行動にどんな意味があるのかは分からない。いや、俺を委縮させるための行動なら、少なからず成功していると言えるだろう。


 こ、怖すぎるぞ! この女、この世界で一番怖いんじゃないのか?


「ジーヴァス! これを片付けておいて」


かしこまりました」


 エルザママが名前を呼ぶと、恰も幽霊の如く物音ひとつ立てずに執事服の男が現れた。

 これがまたアニメキャラの執事のようにベストマッチしている。


 つ~か、どっから現れた?


 ジーヴァスと呼ばれた執事服の男は、右手でエルザパパの襟首を掴むと颯爽とその場から退場した。

 その所作は、恰も野良猫の首根っこを抓んでいるかのようだ。


 これじゃ、どっちが主か分かったもんじゃないな……


 執事に片付けられてしまったエルザパパに少しばかり同情していると、エルザママが金色の瞳を向けてきた。 


「ユウスケさん、それでは参りましょうか」


「いえ、できれば……」


「こちらに」


「は、はい……」


 抵抗を試みるも、エルザママの眼力に負けてしまう。隣にいるエルザから向けられる同情の視線が痛い。

 エルザママは俺の態度に満足したのか、右手を一振りする。すると、右手に持っていたハリセンが消えてなくなる。その代わり、小さな髪留めを手にしていた。彼女はその髪留めを綺麗な御髪に刺す。


 あの髪留めが魔道具なのか。なんて恐ろしい魔道具だ。それにしても、エルザパパの立場が低すぎないか?


 そんな疑問を抱いていると、エルザが伝心で教えてくれた。


『お父様は、婿養子なのよ』


 な~るほど、それで立場が弱いのか。いやいや、これはそんなレベルじゃないよな? てか、もしかして、俺も既に取り込まれつつあるのか?


 エルザの説明を聞き、絶対に貴族の婿養子になんて成らないと心に誓うのだが、先を行くエルザママの勝ち誇った背中を目にして、早くも負け犬の如く見えない尻尾を股の間に収めている自分に気付いた。









 案内された部屋は、食堂だった。ただ、その広さとテーブルの大きさが半端ない。

 おそらく、そのテーブルに五十人が並んでも、席が埋まることはないだろう。

 テーブルマナーなんて知らないし、勧められるままに席に着く他ない。

 エルザママは、うちの面子も客人として扱ってくれるらしく、にこやかに席を勧めてくる。これに対して、幼女は別だが、少女達が恐縮というかビビり捲っている。


「気になさらなくて良いのですよ。ユウスケさんのお仲間ですもの、身分なんて関係なくお客人として招待しますわ」


 唯一ミレアだけが、エルザを座らせると壁際に立った。


 全員が席に着くのを確認して、エルザママは掌を打ち合わせ、乾いた音を二度鳴らした。

 侍女がゾロゾロと現れて食事の準備を進め、各自に飲み物を用意する。

 丁度、俺の向かい側がエルザママことカトリーヌであり、その横にはセレスティーヌが座っているのだが、その隣にも名前も知らないカトリーヌに似た女性が座っている。ああ、エルザは、さらにその隣だ。

 三人ともカトリーヌによく似ていて美しい女性ばかりだ。

 特に、エルザとセレスティーヌの間に座っている女性は、その中でも飛び抜けていた。

 彼女はエルザの二番目の姉であり、名をアンジェリークというらしい。

 女王様のような金髪の巻き髪は、発光石の明かりを浴びてキラキラと輝き、その美しい面立ちは、エルザに似ているものの、彼女よりも温和な雰囲気が見て取れる。

 極めつけは、衣服に包まれていても分かるほどのメリハリのある身体つきだ。

 特に、胸元を押し上げている乳は、ハラショーの一言だ。

 ああ、単に俺の好みというだけかもしれないが、これほどの女性は、そうそうお目に掛れないはずだ。


 やっべ~、どストライクだ……


 アンジェリークに見惚れている間にも、料理がずらずらと並べられる。

 その料理の数々は、晩餐と呼ぶに相応しい内容だ。

 ローストされた肉、鳥の丸焼き、煮魚、焼き魚、濃厚な匂いを漂わせるシチュー、まだまだある。

 数えきれないほどの料理が並び、幼女少女が視線を泳がせている。

 特に、ラティ、ロココ、ルミア、アレット、綾香、五人は発光石に負けじと瞳を輝かせている。

 クリスやエミリアは、元々が貴族の出なので、それほどでもない。

 マルセルに関しては、嬉しさよりも驚きの方が大きいようで、どうしたら良いのか混乱している風だった。


「セレスとエルザを助けて頂いて、本当に有難うございます。心から感謝しています。細やかではありますが、感謝の気持ちです。どうぞ召し上がってください」


 様々な食べ物がテーブルに収まらないほどに並べられると、カトリーヌは笑顔でグラスを手にして感謝の言葉を口にした。

 それは細やかと呼ぶには、あまりにも豪華すぎる料理の数々だったが、俺の思考は、それに対するツッコミよりも、別のことに向けられていた。


 夕食が始まったのはいいんだが……エルザパパは放置プレイなのか?


 カトリーヌに視線を向けるが、彼女はエルザパパなど初めから居ないかのように、食事や話を進めている。


「ところで、ユウスケ様は、お幾つですか?」


 セレスティーヌが齢を聞いてくるので、十五だと答えると、表情を少しだけ沈ませる。


「ユウスケさんには、決まった方とかいらっしゃるのかしら」


 今後はカトリーヌがズバリと聞いてくるが、正直に「いない」と答えると、エルザそっくりの双眸そうぼうを輝かせた。


 まさかと思うが、俺を取り込もうとか考えているんじゃないだろうな。


 エルザに視線をむけると、彼女が顔を背ける。その様子からして、かなり後ろ暗いところがあるのだろう。


『エルザ、まさかと思うが召喚者なんて話はしていないだろうな』


 どうも雰囲気が怪しいので、伝心で尋問する。


『そ、そんなこと、言ってないわよ』


 エルザの返事は、否定ではあったが、動揺しているところを見るとかなり怪しい。


『そういえば、お前の姉が俺のことを勇者とか呼んでたぞ』


『うぐっ……』


 ほら、ロココやアレットみたいに尻尾が出てきたぞ!


『正直に言わないと、学校に送り返すぞ』


『い、い、以前、手紙でね……勇者かもしれないって書いちゃった。てへっ』


 書いちゃった。てへっ! じゃね~。どうすんだよ、これ。


 視線をエルザの右側に移すと、セレスティーヌとアンジェリークが熱い眼差しを向けてくる。


 これって、みすみす自分から竜の口にでも入ったようなものだな。どうする、今から逃げるか……


『だ、大丈夫よ。取り敢えず、私と結婚するって、嘘を吐けば、切り抜けられるわ』


 いや、それは悪手だろ、良くてもエルザとの結婚を押し付けられる。


『そんなのに騙されるようなママか?』


『うぐっ……』


『はぁ~』


 押し黙るエルザに呆れて溜息を吐くが、奴を責めても何の解決にもならない。

 結局、その後も色々と誘いがあったが、のらりくらりと躱した。

 現在は、食後のお茶を楽しんでいるところだ。いや、料理は美味かったが、ちっとも楽しくないし、さっさと逃げ出したかった。

 だが、そう簡単に諦める気はないようだ。カトリーヌがトマホーク級のミサイルで狙い撃ちしてきやがった。


「行き成りで不躾ぶしつけとは思いますが、エルザはまだ早いですから、セレスかアンジェのどちらかと結婚して、マルブラン家を継いで欲しいのだけど」


 マジで行き成りだよ。それも実弾を撃ってきやがった。つ~か、アンジェリークならいいかも……いやいや、マルブラン家に取り込まれる訳にはいかね~。エルザパパみたいになるのは却下だ。だいたい、娘達はそれでいいのか?


 名前の出てきた二人に視線を向けると、セレスティーヌは顔を赤らめて俯き、アンジェリークは笑顔を向けてきた。


 やっべ~、アンジェリーク、めっちゃいい~。ガチ好みだ。いかんいかん、ダメだダメだ。あれはエサだ。俺を釣るためのエサに違いない。


 アンジェリークの美しさに、思わず負けてしまいそうになるが、頭を振って誘惑を追いやる。


「お母様、さすがに、それは――」


「あなたは黙ってなさい」


 エルザが焦って異議を申し立てようとしたが、カトリーヌが被せて黙らせた。

 まあ、エルザはいいとして、俺としては、カトリーヌの思惑が気になって仕方ない。


「あの~、お気持ちは嬉しいのですが、なぜ、こんな地位もなければ金もない、誰とも知れない男に跡を継がせようとするのですか?」


 カトリーヌは逡巡したものの、ティーカップをソーサーに戻すと、おもむろに口を開いた。


「私はエルザから手紙をもらって、失礼とは思いましたが色々と確認させて頂きました。そして、貴方の心根を知ったことが一番の理由です」


 どうも俺のことを探っていたらしい。敵であればマップ機能で簡単に確認することが出来るが、敵でない場合はその限りではない。だから、俺を調べる存在を見つけることが出来なかったのだろう。


「一番ではない理由を聞いてもよいでしょうか」


「あら、私としたことが……良いでしょう。他の理由ですが、貴方は召喚者ですね。それも高い能力を持っているのでしょう?」


 なぜわかったんだ? 調査してもそう簡単に分かるはずがないのに。


「どうして? という顔ですね。簡単なことです」


 簡単にバレる何かがあるのだろうか? それともカトリーヌが何か特殊な能力をもっているのだろうか?


「ふふふっ、私に固有能力はありませんよ」


 くそっ、さすがはエルザの母親だ。全てが読まれている。まるで丸裸にされたような気分だ。


「うふふふ」


 恰も俺を掌の上で転がして楽しんでいるかのようだ。その妖艶な双眸と不敵な笑みが、罠に掛かった獲物を弄ぶ悪魔のようにも見える。


 この女は拙い、魔女だ。エルザなんてひよっ子だった。なんてところに足を踏み入れちまったんだ。ここは魔境だ。


 ここまで来ると、全てがこの時のための布石だったのではないだろうか、という疑念すら生まれてくる。

 そう、エルザやセレスティーヌが襲われたことすら、出来レースだったのではないかという疑問だ。


 逃げられるのか? この魔境から逃げ出せるのか? いや、逃げることはできる。みんなを連れてワープすればいいんだ。ああ、簡単なことだ。


「あら、そう簡単には逃がさなくてよ」


 くっ、なぜ分かった? 俺の心は筒抜けか?


「まだまだね」


 もうダメ、許してください。


「許してあげないわ」


『エルザ、お前の母親は神か?』


『多分、神ではないと思うけど、人外に思う気持ちは分かるわ』


 結局、その場は、「考えさせて下さい」というお願いで、何とか切り抜けた。









 この異世界に来てから、いや、人生最大の敗北感に打ちのめされた。

 現在は、用意された部屋に置かれた大きなベッドで横になっている。

 隣には、いつもの如くラティが転がっていたりする。


『どうしたん?』


 落ち込んでいるのを気にしたのか、ラティが伝心で尋ねてくる。

 この子は本当に賢いのだ。聞かれている可能性を考慮しているのだ。


『いや、どうももてあそばれているようでな』


『気にするけ~よ』


 ラティは気にするなと言いたいのだろう。

 だが、気にせずにはいられない。


 ここで、ワープか何かで強行突破したら、いったい何が起こるのだろうか。カトリーヌに打てる手は何があるのだろうか。


 色々と悩んでいると、部屋のドアが音を立てた。

 鍵が開いていることを告げると、エルザとミレアが部屋に入ってきた。


「不用心ね。きちんと鍵くらいかけなさいよ。というか、どうしたの、人生最後みたいな顔をして」


 部屋に入るなりエルザが小言をくちにしたのだが、俺の顔を見た途端、辟易したかのように溜息を吐いた。


『悪いが、念話で頼む』


『分かったわ』


 せっかくエルザがきたのだ、少し相談に乗ってもらうことにした。

 彼女も思うところがあったのか、素直に頷いた。


『なあ、俺がもし逃げ出したら、お前の母親はどうするだろう』


『ん~、分からないわ。でも、多分、何もしないと思うわ』


 エルザから意外な答えが返ってきた。


『なんでだ?』


『だって、無理して跡取りを捕まえても、良いことなんてないわ』


 確かにそうだな。エルザの言う通りかもしれない。だが、そんな温い相手ではないような気がする。


『もし、何らかの手を打つとしたら、どういった方法を取ると思う?』


『召喚者と吹聴する。私を傷物にしたと吹聴する。くらいかしら。どちらにしても直接的な手は使ってこないと思うわ。ユウスケの強さも知っているでしょうから』


 なぜか、今日に限ってエルザの意見が尤もな話に思えた。

 エルザに相談して少し落ち着きを取り戻したこともあって、一番気になっていたことを尋ねてみる。


『なんで、召喚者なのがバレた?』


『私が思うには二つ。一つ目は容姿、どう見てもこの世界の人間に見えないわ。二つ目は、私……セレス姉様を助けた時に居なかったのに、一緒に来たから特殊な能力を持っていると勘ぐられたのだと思うわ』


 これまた真っ当な回答が返ってきた。

 そう言われると確かにその通りだ。さすがに迂闊だった。つ~か、どっちも、お前が原因じゃんか。まあいい。ここは素直に感謝しよう。


『ありがとう。色々と整理がついたよ』


『どういたしまして。役に立ってよかったわ』


 エルザのお蔭で整理もできたし、これで落ち着いて休むことができると思ったのだが、それが大間違いだった。

 なんと、カトリーヌは直接的な手を打ってきたのだ。それも恐ろしいほどの実弾でだ。

 どんな弾かと言うと、エルザの両姉が夜這いにくるという房中術弾だった。いや、弾を発射させられるは俺の方であり、その事実を持って取り込む気なのだ。


 なんたって恐ろしい母親だ。年頃の娘を使って俺の弾を抜きにきやがった。


 この件に関しては、ラティが気付いて追い払ったのだが、既成事実で事を進めるとは思ってもみなかった俺としては、早くこのマルブラン家から逃げ出したいという気持で頭がいっぱいになる。









 美女二人に寝込みを襲われるという事件の所為で、昨夜は落ち着いて眠ることが出来なくなり、こそこそと不眠で逃亡対策に時間を費やした。

 現在は、夕食を取った食堂で、朝食の最中である。

 朝食なので軽い食事となっているが、やはり貴族は違う。一つ一つの食べ物が洗練されていて、とても美味しかった。

 それはそうと、食後のお茶を飲んでいると、カトリーヌがさっそくとばかりに昨日の返事を求めてきた。


「申し訳ありませんが、俺は貴族になる気がないんです。自由に生きたいですし」


「そう……セレスかアンジェに種付けしてもらえると嬉しいのだけど」


 これまた露骨な要求をしてくるものだ。要は俺の血を受け継ぐ跡取りが欲しいだけなのだろう。


「いえ、それは、俺の倫理に反しますから」


 ぶっちゃけ、俺の倫理観なんて高が知れているのだが、ここは正論で対抗する。

 カトリーヌは「あら、そうなの?」的な表情で頷いた。


 よしよし、この調子なら穏便に終わりそうだな。


 残念そうにするカトリーヌを見やり、何とか無事に済みそうだと安堵したのが間違いだった。


「分かったわ。それなら実力行使しかないようね」


 おいっ、エルザ、話が違うじゃないか!


 予想外の展開となり、思わずエルザに視線を向ける。

 エルザは見事に石像と化していた。どうやら、彼女としても、この展開は予想できなかったみたいだ。

 まあいい。実力行使というなら、その方がこっちもやり易い。

 こちとら、世界最高峰の戦闘能力を持っているのだ。戦いなら負ける気がしない。


「実力行使で勝てると思っているのですか?」


「さあ、どうかしら」


 俺が召喚者だと知っているはずなのに、なぜか、カトリーヌが微笑でその美貌びぼうを妖しくさせる。

 その途端だった。食堂の扉が景気良く開いた。


「掛かってこい、小僧~!」


 そこに立っていたのは、完全武装のエルザパパだった。


『拙いわ。お父様は、ああ見えて槍の達人なのよ』


 エルザが伝心で情報を提供してくる。


「うちの主人って、おつむは弱いのですけど、槍は強いですわよ」


 カトリーヌも自分の旦那のことを説明するのだが、それって自慢か? それとも自虐か?


 溜息を吐きつつ、アイテムボックスから木刀――神器ではない――を出して構える。

 確かに隙がない。それに間合い的にも、俺の方が不利だと言える。だが、神器や刀を抜く訳にはいかない。こんなのでも、一応はエルザの父親だからな。


「そんな木剣で私の相手をしようとは、己惚れるにも程がある。徹底的に叩きのめしてやる」


「うっせ~よ、さっさと掛かってこい」


 実は、相当に頭に血が上っていた。それも当然だろう。娘を二人も助けてこの有様だ。別に礼なんて欲しくはないが、恩を仇で返すとは、まさにこのことだ。


「うりゃ~~~! はっ! はっ! は~~~っ!」


 エルザパパが槍を自由自在に操り、何度も突きを繰り出してくる。


 確かに達人なのだろうな。一カ月前の俺なら、間違いなく簡単に負けていたかもしれない。だが、たかが一ヶ月で飛躍的に成長するところが、チートがズルイと言われる所以なのだよ。


 入口を塞ぐ騎士達が、エルザパパの突きを見て感嘆しているが、俺が見たところ、槍の速度だけならミレアの方が上だ。

 何連打になるか数えるのも面倒くさいほどの突きを、木刀を使うまでもなく身体の動きだけで簡単に躱す。

 暫くの間、突きを躱しながら、避けるのは良いがどうやって倒すかな~、とか考えていたのだが、エルザパパの息が上がってきた。


「そろそろ、やめないか?」


「舐めるな~! お前みたいなひよっ子に倒される私ではない」


 どうやら、全く聞く耳を持っていないようだな。仕方ない、少し痛い目に遭ってもらおう。


『エルザ、悪いな』


『うっ、程々でお願い。こんなのでも、一応は父親だから……』


 突きを避けると、木刀を持っていない左手で槍を掴む。次に槍ごとエルザパパをぶん投げる。

 エルザパパは床に打ち付けられ、転がりながら起き上がろうとする。

 さすがに、フル装備だけあって、致命的なダメージは受けていないようだ。

 だが、のんびりと立ち上がらせる時間を与えたりしない。即座にエルザパパに向かって走り寄り、兜を被った頭を蹴りつける。

 もちろん、手加減している。そうしないと、即死だからな。

 周囲からは、侍女たちの悲鳴が上がる。ただ、それに素朴な疑問を抱く。

 それは、「なんで、いまさら悲鳴をあげるのだろうか?」というものだ。

 だって、今の攻撃程度なら、カトリーヌのハリセンと大して変わらないはずだ。

 なんて考えていると、背後からの殺気を感じた。

 これはどうにも避けられそうにない気がする。というより、そういう感が働いた。

 すぐさま瞬間移動を発動し、その場から姿を消す。そして、次の瞬間には、ハリセンを振り抜いたカトリーヌの背後に回り込む。

 そう、俺は瞬間移動で、うちの面子の近くまで移動したのだ。


「もういいだろう。俺が本気でキレる前に止めてくれ」


 目の前にいた人間が、一瞬で自分の背後に移動したことで、カトリーヌは混乱した様子だったが、振り向いたその面差しは、負けを認めているものではなかった。


「勝ったつもりかしら?」


「俺が本気になったら、こんな城なんて五分も掛からず消えてなくなるぞ。それも塵さえ残さずにな」


 怒りを露わに脅しかける。それでも、カトリーヌは負けじと脅し返してきた。


「逃げたら、指名手配にするわよ」


「好きにしろ! もし、付け狙う者が現れたら、全員があの世に行くだけだ」


 カトリーヌの脅しを物ともせずに言い返すが、それでも俺の力量を理解できないのだろう。カトリーヌは捨て台詞を吐く。


「いつまで逃げられるかしら」


 その言葉を聞いて、溜息を一つ吐く。続いて、エルザに『悪いな』と謝罪する。


「あのな~、逃げる必要がないんだ。俺が本気になった、らどんな国でも潰せる。死にたくなければ、関わるな」


「大きく出たわね」


 もう幾ら言っても理解しないようだ。このままじゃ埒が明かないと感じて、一言「嘘じゃないんだよ」とだけ告げると、空牙を城の壁に放つ。


「空牙!」


 一瞬にして壁に一メートルの丸い穴が開く。


 さすがのカトリーヌもぶっ魂消たようだ。丸くえぐれた壁を見て唖然としている。


「こんなもんは、幾らでも撃ち出せるんだ。空牙! 空牙! 空牙!」


 声もなく立ち竦むカトリーヌに追い打ちを掛ける。

 三連発で空牙を放つ。その度に城の内壁は塵も残さず丸く削られていく。

 さすがに、これ以上やったら城が崩れそうなんで打ち止めにする。


『このまま逃げるが、エルザはどうする?』


 あまりにも非現実的な光景を目にした所為で、唖然と立ち尽くすマルブラン家の人々を他所に、俺はワープを発動させたところで、視線をエルザに向けた。


『ん~』


 エルザが悩んでいる間にも、仲間たちが次々にワープの黒い壁に消えていく。


 まあ、さすがに、エルザは残った方がいいだろうな。


 自分が最後の一人となったところで、エルザから視線を外して黒いワープホールに脚を向ける。

 さすがに、ここで俺達と一緒に逃亡したら、家を捨てることになるかもしれないのだ。


『じゃ~、達者でな。城は……悪かったな』


 エルザに家を捨てさせる訳にはいかない。それに、これからは指名手配で付け狙われる可能性もある。俺は悪者として生きて行くと決めたから良いが、仲間達に強制するつもりはない。


『行くわ』


『お供します』


 片足がワープの黒い壁に踏み入れたところで、エルザが抱き着いてきた。なぜかミレアも便乗している。


『いいのか?』


『今更だわ』


『もちろんです』


 一応、念を押してみると、エルザは憮然とした表情で頷き、ミレアは微笑んだ。

 二人を連れてワープの黒い壁に入る。その時の心境は、少し残念であり、少し嬉しくもあった。

 こうしてマルブラン家での騒動に方を付けたはずなのだが、世の中はそんなに甘くないようだ。


 はぁ~、なんとか無事に切り抜けたな。ん? どうしたんだ?


 ワープを使って移動したところで、安堵の息を漏らしたのだが、先に移動した仲間が驚きの視線を俺に向けていた。


「俺がどうかしたのか?」


 自分自身に指先を向けて尋ねてみると、全員が首を横に振った。そして、誰もが指を向けた。俺の背後に。

 まさかと思いつつも、恐る恐る振り向くと、エルザとミレアの後ろに、アンジェリークが立っていた。


「いつの間に潜り込んだんだ?」


「勇者様は、まだまだ甘いぞ」


 えっ? なに、その口調。


「やっと、あのいかめしいマルブラン家から逃げられたぞ。感謝だ、勇者様」


「……これが、アンジェリークお姉様なのです」


 感謝するアンジェリークに続き、ミレアが彼女の説明をしてきた。


 そんな感謝と説明なんていらんわ! 完全にイメージが壊れたぞ……


「それで、お前は、どうするつもりなんだ?」


 ガックリと脱力しつつも尋ねると、アンジェリークはその美しい表情を緩めて楽しげに言い放った。


「そんなもん、勇者様に付いて行くに決まってるじゃね~か。それと、オレのことはアンジェでいいぞ」


 結局、あれやこれやと条件を付けてみたのだが、アンジェリークことアンジェはあの家に居ることに比べれば、一万倍マシだということで、付いてくることになった。

 アンジェ曰く、あの母親は魔王らしい。そして、少なからず俺に同情してくれた。


 まあ、しゃ~ね~か、あの家から無事に逃げられたことで良しとしよう。それに、アンジェは見た目が美人だし、目の保養にはなるよな……


 オマケがついてきたものの、無事に魔境から脱出できたことで、丸く収まったことにする。

 ただ、どうでも良いが、どこか行く度に女が増えてないか? これはエルソルの所為か、それとも俺の所為なのか?


『もちろん、あなたの所為です。もっと精進しなさい』


 青く透き通った空を見上げ、そこに居るかどうかも分からない女神様に問いかけた。そんな俺の脳裏に、女神様の否定的な発言が響き渡るのだった。

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