第3話 ショッキング


 落ち葉や枯れ枝を踏み抜く乾いた音が深夜の森に響く。

 そこは、月の光さえ届かない暗闇の世界だ。

 この世界に月が存在するかどうかも定かではないが、今はそれを気に掛ける余裕すらない。

 そもそも、頭上には空が見えないほどに木々が生い茂っている。おそらく日中でもあまり陽の光が当たらないのだろう。その所為か、足元に生えるのは、シダ類の植物ばかりだ。


 無事に――精神的にはあまり無事とも言えないのだが、盗賊のアジトを脱出した。

 現在は、進行形で深い森の中を逃走している。

 先頭はミレア。それにエルザが続き、殿が俺といった順番だ。

 この順番を決めたのはエルザであり、当初、逃走劇の主導権を握っていた俺はというと、力無く首肯することしかできなかった。

 先を行くミレアの姿は、脱出前とは打って変わって、下から革のブーツ、薄汚れたズボン、ゴワゴワしたスリーブレスっぽいシャツ、仕上げにローブを羽織っている。

 かなり悪臭漂う衣類だが、ないいよりはマシだろう。

 俺としては、無い方がマシなのだが、本人としては異議を唱えるはずだ。

 右手には盗賊から剥ぎ取った短剣を持ち、左手は生活魔法で創り出した灯りで周囲を照らしている。

 エルザの装いも似たり寄ったりだが、二人の違いは際立っている。

 その違いとは、盗賊から頂戴して身に着けたシャツの胸元だ。

 ミレアの胸元は、シャツがはち切れんばかりに盛り上がっている。ところが、エルザの方はと言うと、コメントを控えるのが得策のようだ。

 なにしろ、ミレアと見比べていたら、エルザから怒りの視線で射抜かれてしまった。


 何も言ってないじゃん……


「何か言ったら切り落とすわよ」


「うっ……」


 このニュータイプめ!


 どうにも胸の話題には敏感な年頃らしく、恐ろしいほどに感が冴えている。

 その能力はと言えば、まさに新人類だ。


 森に入って四時間ぐらいか、気になるお年頃のエルザの号令で、暫しの休憩を取ることになった。

 それぞれが、木の根元などに腰を下ろす。

 人を殺めたショックから立ち直れていない俺も、力無く座り込む。


「ねぇ、貴方、何時までそうやって落ち込んでるつもり?」


 うつむき気味の俺に、エルザが視線だけを向けてきた。

 返事がないことに苛立ちを感じたのか、途端に顔を顰める。可愛い顔が台無しだ。


「あのね。やらなければ、貴方があの骸になっていたのよ?」


 頭では理解している。しかし、どうしても精神的に落ち込んでしまう。

 幼少から十年も空手を続けている。少なからず闘争心も持っている。

 相手を倒すことに躊躇ちゅうちょもない。だが、相手を殺す心構えができている訳ではない。

 転送されて気を失っていただけで、盗賊に襲われ身売りの対象となるような世界だ。少しでも隙を見せれば、物言わぬ屍となるのは俺だろう。

 そんなことは十分に理解しているし、奴等のようなゴミどもを酷い目に遭わせてやりたいとも思っていた。

 ただ、殺人となると、少しばかり話が違う。

 神器である木刀に視線を落とし、自分が人を殺めた事実に心を沈ませる。

 再び混迷の無限ループに陥ろうとした時だった。突如として、顔が柔らかな感触に包まれる。


「ん? うわっ」


 いつの間にかに近付いてきたミレアが、両手とその豊満な胸で優しく抱きしめてきた。


「私も人を殺めるのには、強い抵抗がありました。ですが、大切な誰かを守るため、エルザお嬢様を守るためだと考えたら、決意できました。エルザお嬢様は、路頭に迷っていた私を救ってくれた大切な恩人です。エルザお嬢様を守るためなら、私は人を殺めた今でも後悔してません。やがてこの身が朽ちて地獄の炎に包まれても構いません。今はそう思っています」


「はぁ~、ミレア、私は――」


 優しく俺を抱きしめたミレアは、自分の覚悟を語る。

 それに対して異議があるのか、エルザが溜息を吐くが、ミレアは被せ気味に話を続けた。


「いえ、これは私の想いですので、いくらエルザお嬢様でも否定は出来ません」


 言っても無駄だと感じたのか、肩を竦めたエルザが押し黙った。

 それに満足したのか、ミレアは俺の頭を優しく撫でる。


「貴方に本当に大切な人ができた時、きっと、私の想いが理解できると思います。それまでは、いまは、私の身体で心の傷を癒してください」


 慈母のような笑みを見せるミレアは、抱き締めた俺の顔を自分の胸に押し付ける。ただ、なにやら感じ入るように身をよじらせている。


 おいっ、何もかもが台無しだ。


 実は感動していた。だが、身悶えるミレアが現実に引き戻す。


「ちょ、ちょっと、何をやってるの、ミレア。こんなところで盛らないでよ。貴方もシャンとしなさい」


「え~、少しくらい良いではないですか~」


 エルザが慌てて強引に引き離す。


「きゃぁ! あっ! お嬢様のイケズ~!」


「ちょっと油断すると、直ぐこれなんだから……貴方もそんな風だと、あっという間にミレアに食べられちゃうわよ」


「あ、ああ、気を付けるよ」


 ミレアは引き剥がされた反動で後ろに転がっている。

 ただ、あまりの展開に溜息を吐くことしかできない。

 その裏で残念に思う。なにしろ、俺の顔が豊乳に包まれていたのに、衣類が盗賊のものだった所為で、ラノベとかによくある『女性の甘い香り』を感じることが出来なかったからだ。それどころか、汗とカビが混じったような異臭しかしなかった。


「それはそうと、今まではバタバタしてたから聞きそびれていたのだけど、貴方の名前は? それに色々と聞きたい事があるわ」


 そう言えば、出会ってからここまで、俺の名前を伝えてなかった。


「ユウスケだ。しがない旅人だな」


 当然のことながら、異世界から来たなんて言えない。だから、適当に誤魔化すしかない。

 つ~か、嘘にしか聞こえない。しかし、これを押し通すしかない。


「ふ~ん。旅人ねぇ」


 エルザは思いっきり胡散臭いものでも見るような目付きだ。というか、明らかに嘘だと分かりそうな偽装だ。信用されないのも当然だろう。


「それで、貴方の装備は、どうなってるの? それに、スキルも異常よ」


「いまは、そんなこと言ってる場合じゃないだろ。さっさと森を抜け出して街に行かないと、また捕まるぞ」


 納得できないといった顔つきのエルザだったが、尤もだと感じたのか、渋々ながらも了解したようだ。ただ、必ず問い詰めてやるんだから、と言わんばかりの表情だ。

 静かになったミレアが何をしているかというと、両手を広げ、まさに「抱っこ」と言わんばかりのポーズを向けていた。

 もちろん、それは俺に対する要求だろう。

 それを目にしたエルザは、右手の人差し指でこめかみを揉みほぐしながら溜息を吐く。


「はぁ~、近寄ると寝技に持っていかれるわよ」


 きっと、この世界に柔道はないだろう。ということは『寝技』といえば『房中術』だと思って間違いないはずだ。

 娘盛りでスタイル抜群、極め付けは大きく実った二つの果実、灯りのあるところで見た感じだと、凄い美人とは言えないが、可愛らしさは十二分の女性だ。

 ある意味、寝技で絡め捕られるのも、願ったり叶ったりだと思う。

 邪な考えが見透けてしまったのか、エルザが罵声を吐き捨てながら、俺の尻を蹴飛ばしてきた。

 

「これだから童貞は!」


 童貞で、ごめんなさい。









 あれからは、何事もなく三時間ほど進んだ。心なしか周りの暗さが和らいだ気がする。

 休憩での出来事のお陰で、精神的に随分と持ち直していた。

 ただ、完全に整理できたわけではない。気が紛れたと言った方が正しいだろう。

 だから、今のうちに先を急ぎたいのだが、世の中とは得てしてこんなものか。否応なく足止めを食らっている。

 ミレアのマナ枯渇で灯りを出せなくなり、再度休憩を余儀なくされたのだ。


 焦りを感じながら、意識をマップに向けた。

 俺達以外に誰も表示されていない。そのことから、十メートル範囲には敵がいないことが分かる。


 よし、大丈夫だ。追手は来てないみたいだ。


 これなら盗賊に徒歩以外の移動手段がない限り、もう追い付かれることはないだろう。

 安堵したところで、これまでに感じた疑問が気になり始める。


「なあ、この辺りって、魔物とか出ないのか?」


 アジトからここまで、全くと言って良いくらいに生き物と出くわしてない。

 ヘルプ機能で知った情報では、この大陸は『トルーア大陸』と呼ばれ、人種族以外にも様々な種族や魔物がいることになっている。


「ええ。この辺りには、魔物なんて殆どいないわ」


 エルザは返事と一緒に視線を向けてくると、ドヤ顔でその理由を話し始めた。


「ここは、ルアル王国とローデス王国の国境付近の森で、今はローデス王国の領内だけど、この国は冒険者の国と呼ばれるくらいに有能な冒険者が多いのよ。そのお陰もあって、この国では魔物が掃討されていると言われているわね」


「だったら、冒険者なんて余所に移ってしまうんじゃないのか?」


「普通ならそうだけど、この国には大きなダンジョンが五つもあるのよ。そのお陰で沢山の冒険者が集まってくるわ。まあ、だから冒険者の王国とも呼ばれているのだけど」


 エルザの説明は、納得できるものだった。

 ただ、新たにいくつかの疑問が浮かぶ。


「ダンジョンって、どこにあるんだ?」


「今向かっているドロアの街にもあるわよ」


 エルザの返答に、少しだけ胸が躍る。

 精神的に落ち着いた所為か、ゲームではなく現実のダンジョンに興味を抱いた。


「ふん。随分と元気になったじゃない。さっきまでは、女に振られた男みたいにしょぼくれていたのに。ふふふっ」


 ちっ、何て嫌らしい小娘だ。誰だって落ち込む時ぐらいあるだろ。くそっ、取り敢えず話を変えよう。


「ところで、ドロアの街って、ここからどのくらいの距離なんだ?」


 エルザも知らないらしく、首を横に振っているので、ミレアに視線を移す。


「ド、ドロアですか? 国境から馬車で一週間くらいの距離ですから、恐らくこの辺りからでも五百キロメートルはあるでしょう。なので、十日以上はかかる見込みになりますね」


「うげっ、それはさすがに拙いな。水は生活魔法で何とかなるとしても、食料がないぞ」


 残念ながら、アイテムボックスには若干の携帯食こそ入っているが、三人が何日も過ごすような量はない。


 ああ、ミレアの口にした『キロメートル』という言葉は、俺の脳内で変換されているみたいだ。

 ヘルプ機能――エルが言うには、この世界の言葉が分かるのは、魔法変換によるものだと言っていた。単位に関しては、全て馴染みのものに変換されているのだろう。


「そうねぇ、途中の村で分けてもらうしかないわね」


 エルザ。偉そうに言っているが、お前ら身包み剥がされたから文無しだろ。どうやって分けてもらうつもりだ?


「な、なぜか、今、イラッとしたわ」


 さすがニュータイプ……


「お前、金持ってるの?」


「お前って言わないでもらえるかしら。でも、そうね、銅貨が一枚あるわ」


 このバカちんが、それはパーティーアイテムだっつ~の。使ったら、二度とやらね~からな。


「はいはい。貴方はいくら持ってるのかしら」


「仕方ねぇな~。飯ぐらい食わしてやるさ――なにっ!」


 開き直ったエルザに、飯代は何とかすると告げた途端だった。驚きの事実に気付く。

 マップの端に生物を示す点が見える。


「やばい。エルザ、ミレア、隠れてろ」


「あっ、またドサクサに紛れて呼び捨てしたわね」


 呼び捨てもダメ。「お前は」嫌だ。色々と面倒な小娘だ。だが、今はそれどころじゃないんだよ。


 両手で持った木刀のもっくんを左肩に担ぎ、太めの木陰に隠れてマップを確認する。

 その内容では、二つの赤い表示が近付いてくる。


「確か、この辺りで声が聞こえたぞ」


 くっ、盗賊の追手だ。なんでこんなに早く気付いたんだ?


「おい、気を付けろよ。見張りの二人は殺られてたからな」


「あ~分かってるさ、でも、女二人にガキが一人だろ。あいつ等、居眠りでもしてたんだろうよ」


 奴等は二人か、さて、どうしたものか……


 無手の格闘ならそこそこの自信がある。だが、武器を持ってとなると話が違う。危険性は倍増どころの話ではない。それこそ、牛丼ならツユダクのアタマ大盛り、ラーメン二郎ならニンニクマシマシ、ヤサイマシマシといったところか、想像しただけでもゲップが出そうだ。


 どうでも良いことを考えながらも、緊張で震えるのを感じつつ、息を殺して盗賊の様子を覗う。

 奴等は周囲を警戒しながら脚を進めているが、話が盛り上がっているようだ。


「うんで、見つけたらどうするんだ」


「そんなの決まってるだろ。ガキは殺して、女共は慰み者にするさ。クククッ」


「売らなくてもいいのか」


散々弄もてあそんでから叩き売るだろうな。もし、生きてりゃの話だが。クククッ」


「そりゃ、売り物になんねぇわ。きっと耐えられずに気が狂うか、お陀仏になるかだな。ケケケッ」


 そうか……よ~く解った。こいつらはゴミだ。エルザの言う通りだ。殺らなければ、殺られる。こいつ等は、生きる価値がない存在だ。例えそれが間違いだと言う者がいようと構わない。だって、こういう輩が一番嫌いなんだ。


 もっくんを握った両手を握り直す。そして、近付いてくる盗賊に見付からない角度を守るべく、木陰をゆっくりと移動する。


「がっ」


 奴等の背後をとると、躊躇することなく近い方の男の背にもっくんを叩き込んだ。

 後ろからの攻撃は卑怯だ、なんて言ってる場合じゃない。これは命の遣り取りだ。

 それはそうと、やはり、もっくんはスパッと切り裂いた。

 まるで、防具ってなんですか。そんなもので身体を守れるんですか。と言わんばかりに、何の抵抗もなく全てを切り裂く。


「なんだと! くそっ……」


 もう一人の盗賊が短剣を抜いて襲い掛かってくる。こいつは、確かケケケ野郎の方だ。

 奴の突き出した短剣を躱し、素早く死角に回り込むと、すかさずもっくんを討ち込む。

 直ぐに振り向いた盗賊ケケケは、その討ち込みを短剣で受けようとした。

 ところが、神器である木刀のもっくんは、その刃を紙のように切り裂き、盗賊ケケケをも袈裟切りにした。


「切れすぎだろ……」


 感謝されることはあっても、文句を言われる筋合いはないと言わんばかりに、もっくんが振動した。

 それを気のせいだと言い聞かせながら、高鳴る鼓動を必死に落ち着かせる。

 覚悟をしたとはいえ、やはり人を殺めるのに動揺がつきまとう。

 荒くなった息を止める。そして、大きく一息吐き出すと、少しだけ緊張が和らぐ。

 気持ちを落ち着かせつつ、盗賊が死んでいるのを確認する。


 まぁ、一目で分かるんだが、もっくん、すげぇ。つ~か、異常だろ……この切れ味は、木刀じゃね~し……こりゃ、普段は使えないぞ。ん? それなら――


 盗賊の死を確認し終えたところで、切れ味が鋭い木刀を常用することに問題を感じる。

 そこで、盗賊が持っていた長剣を鞘ごと奪い、アイテムボックスに収納する。

 この剣は、上半身が斜めに切断されている盗賊クククの持ち物だ。


「もういいぞ」


「あんた、異常よ?」


「ゆ、ユウスケさん、凄いです」


 エルザとミレアが足早に近寄ってくる。

 信じられないといった表情を浮かべるエルザが肩を竦め、大きな胸の前で両手を握りしめるミレアの瞳が輝く。

 しかし、今は付き合っている暇はない。追手が来たのだ。

 マップを気にしながら、二人の反応を黙殺して本題に入る。


「思いのほか、奴等に気付かれるのが早かったようだ。とにかく先を急ごう」


「そ、そうね」


「でも、マナがないので、まだ灯りを出せません。」


「いや、灯りは拙い。もう周囲も薄明るくなってきたし、このまま進もう」


 エルザは訝しげな表情で、ミレアは不安な面持ちで、コクリと頷いた。









 何とか森から抜け出し、ドロアに向かう街道に辿り着いた。

 まあ、街道といっても、草を刈って土で固めただけの道だ。

 結局、あれから三回ほど追手と遭遇したが、彼女達と協力して無事に排除することができた。

 その戦いのお陰か、少しずつ戦闘そのものには慣れてきた。ただ、やはり人を殺める度に動揺してしまう。

 それでも、盗賊と遭遇する度に、奴等は生きる価値のない存在だという思いが強くなった。そのお陰か、初めほど狼狽えることはなかった。


 いまのところ街道に人気はない。

 なにしろ、まだ夜が明けたばかりだ。いまだ布団の中で夢心地の者がいてもおかしくない。

 それでも、森を抜けて開けた場所に出られたことで、三人とも少し安堵していた。


「これで、何とか逃げ切れそうだな」


「そうね。でも油断は禁物よ」


「もちろん分かっているさ。それよりミレア、どうしたんだ? そわそわして」


「い、いえ……」


 自分が放ったフラグなど全く気付かなかった。

 それよりも、先程からミレアが妙にそわそわしているのが気になった。

 自分としては気を利かせたつもりなのだが、エルザが腹パンを食らわせてくる。


 何すんだよ。この小娘。グーで殴りやがったな……


 痛くはないのだけど、反射的に腹を押さえる。

 すると、何を血迷ったか、エルザは膝カックンをしやがった。

 すぐさまクレームを入れようとするが、奴は背後から両腕と両手を回してきた。

 そう、俺の両目両耳を塞いだのだ。というか、完全に後ろから抱き着いている。


「な、何してんだ」


「うるさいわね。ミレアいいわよ」


「ありがとうございます」


 なぜかミレアがお礼を告げると、エルザは俺を罵り始めた。


「少しは察しなさいよ。バカねぇ。それとも、わざとなのかしら、このスケベ」


 ああ、そういうことか……


 スケベという言葉で状況を理解した。確かに察しが悪いのは事実だった。

 ただ、罪悪感よりも疑問が先に立つ。

 後から抱き付かれているはずなのだが、後頭部に柔らかい感触が伝わってこないのはなぜだ?

 これがミレアなら、高反発枕なみの弾力を感じたはずだ。


「貴方、本当に抹殺されたいようね」


 相変わらず察しの良い小娘だ。こいつ、時すら見えるんじゃないのか?


 暫くすると、エルザはその細い腕と薄い胸を離した。

 ただ、思いっきり尻を蹴られた。本当に世のかかとは理不尽だ。

 目の前には、頬をやや紅潮させたミレアがいる。でも、かなりすっきりした表情だ。


「さて、行くか」


「そうね」


「は、はい……い、い、すみません」


 出るものも出たようだし、そろそろ出発を告げたのだが、返事と共に『くぅ』という音が混ざった。

 音源に目を向けると、発生源のミレアが顔を俯かせている。


「可愛い虫だな」


 取り敢えず、フォローすることにした。俺は気の利く男だからな。


「ミレア、はしたないわよ。少しは……「ぐぐぐっぅ」」


 ミレアを窘めていたエルザから、野獣の声・・・・が聞こえた。その音は虫どころではない。まさに百獣の王の如き咆哮ほうこうだ。

 エルザは真っ赤な顔で、それぞれの手を強く握りしめると言い放つ。


「仕方ないじゃない。生理現象なんだから」


 そんなことは分かっとるわ。だが、お前、はしたないとか言わなかったか? まあいい。相手にするのも面倒だ。


「そう言えば、昨日から何も食ってなかったな。仕方ないさ」


 心中でツッコミをいれつつも、さり気無くフォローする俺って、やっぱり空気の読める男だ。

 ところが、エルザはどんな硬い岩でも刺し貫けそうな視線で、ぐさりと射貫いてきた。きっと、死ぬほど恥ずかしかったのだろう。


 エルザの視線を気にしないようにしながら、アイテムボックスから携帯食を取り出す。

 これがまた、チュートリアルの時にも感じたが……なんともかんとも……

 普通、異世界で携帯食といえば、干し肉とかが定番のはずだ。ところがだ、アイテムボックスから出てきたのは、日本の魚肉ソーセージなるものだった。

 それも、誰しもが一度は見たことがあるだろう、オレンジ色のビニールに包まれた直径二センチ、長さ二十センチくらいの魚肉ソーセージだ。

 おまけに、何を血迷ったか、製品のパッケージ付きで、賞味期限まで記載されている。


 これって、絶対に日本からパクッてきてるよな? 有名メーカーの商品だぞ? いったいどうやって手に入れたんだ? まさか、召喚したのか?


 エルソルの行動を怪しみつつも、それをエルザとミレアに突きつけると、首をコテンと傾げ、「それな~に?」のポーズを見せた。


 それにしても、日本の携帯食をチョイスするなら、カ○リーメイトとかが一般的なんじゃないのか? まあいい、エルソルが天然なのはいまさらだ。


 気を取り直して、ソーセージの『クレハロンフィルム』と呼ばれる樹脂包装を半分ほど剥ぎ取り、呆けているエルザの口に突っ込む。


「ふっぐごぐごご」


 口にソーセージを突っ込まれているので、何を言っているのか分からないが、きっと「なにするのよ。殺すわよ」という内容だろう。

 ただ、どこかエロい雰囲気を感じてしまうのは、男の性なので許して欲しい。


「携帯食だ。飯を御馳走したのに、殺されては堪らんな。恩を仇で返すとは、まさにこれ然り」


 肩を竦めつつ、もう一本をミレアに渡す。そして、三本目を自分が頬張る。


「あ、あの、ありがとうございます。」


「お、乙女の口に物を突っ込むとか、なんてことするのよ」


「いいから、黙って食え」


 悪いが、面倒くさいから言い訳なんてしない。

 しかし、話題は直ぐにソーセージが独占する。


「ユウスケさん、これ、とっても美味しいですね。どこで手に入れたのですか」


 やはりこうなるよな。何て説明しようか。


 返答に窮して視線を逸らしたところで、遠くに複数の人影を見つけた。当然、マップの範囲外なので、何も表示されていない。

 人数は四人、全員が徒歩で、距離は百メートルといったところだろう。

 それが盗賊とは限らないが、盗賊だった場合は厄介だ。ただ、盗賊にしては、四人というのがしっくりこない。

 しかし、第六感は敵だと訴えている。

 そして、次の瞬間、マップに生体反応が表示された。それは街道ではなく左右の草原に位置する場所だ。


 拙い。このままだと囲まれるぞ。街道に見えるのは囮か……


「追手がきたぞ。街道から四人、左右の草原にも四人ずついる。弓でも持ってたら厄介だ。距離を取って体勢を整えるぞ」


 エルザとミレアが周囲を見回して頷く。次の瞬間、脱兎の如く走り出す。戦うにしても、この状況は頂けないのだ。

 逃走しながらもマップを確認する。

 草原に居た奴等は、足場が悪いのかもしれない。上手く追ってこれないみたいだ。


 よしよし、あとは街道の敵だな。


 後方を振り返って確認すると、街道を通ってきた四人の方が早く追い着きそうだった。


「全員で十二人か……」


「正面から打ち倒すのは無理だわ。どうするの?」


 走りながら人数確認をすると、エルザは至極真っ当な意見を突きつけてきた。しかし、残念なことに、その意見には、解決策が含まれていない。完全なる丸投げだ。


「戦うにしても、できるだけ一対一の状況を作りたい。それと弓とかは防げないんで、勘弁して欲しいところだな」


 色々と算段をしながら走っていると、後方から怒声が聞こえてくる。よっぽど頭に血がのぼってるようだ。

 まあ、仲間が散々と葬られたのだ。怒らない方が異常だろう。なにしろ、奴等は盗賊であり、無法者なのだ。

 ただ、体力はたかが知れているようだ。走って移動した所為か、盗賊達は殆ど縦一列になって追いかけてくる。

 間違いなく、体力順だ。それこそ、学校のマラソン大会を思い起こさせる。


 う~ん。これなら始末できるかな。


「追手がバラけてきた。順番に倒すから、もし矢を撃ちそうな奴がいたら教えてくれ。あと、盗賊が三人以上で来たら走って逃げろ」


「えっ!? だ、大丈夫なの?」


 エルザの問いかけを無視して、一番先頭の男に討ちかかる。

 両手を右肩まで上げて、薩摩示現流のような出で立ちから、容赦なくもっくんを振り下ろす。

 相手は長剣で上から斬り掛かるつもりのようだ。こっちにとっては好都合だ。


「ちぇすとー!」


 掛け声と同時に、相手の長剣ごと盗賊自身も切り裂くと、直ぐに後ろにさがる。


「ちっ! 死ねや、クソガキが」


 二番手の盗賊が、切り倒された男の右側から斬り掛かってくる。しかし、俺がさがった所為で、空振った長剣が地面を斬り付ける。

 もちろん、その隙を逃すはずもなく、もっくんを横振りしすることで盗賊の首を刎ねる。

 こういう場合は、意識を一人に捕らわれては駄目だ。それに、倒したら直ぐ自分の間合いと体勢を確保する必要がある。

 空手の対複数稽古が役立っているように思えた。

 四人を倒したところで、草原に隠れていた八人が集まり始める。それを知り、即座に逃走を選択する。


「逃げるぞ!」


 盗賊達も仲間が減ったことで怯んだのか、追い掛ける足取りは重くなっている。

 結局、俺達は盗賊から逃げ切り、小さな村に転がり込むことに成功した。









 遠くに障壁が見える。

 初めて目にする囲われた町は、ここが異世界であることを実感させる。

 エルザが言うには、ドロアの街を囲う障壁らしい。

 色々と大変な目にあったが、なんとかドロアの街に辿り着けそうだ。

 今後の生活という問題は残っているが、まずはひと段落と言えるだろう。

 それは、一緒に逃げ出してきた二人も、同じ気持ちだったようだ。


「やっとですね……」


 ミレアが感慨深く息を吐き出す。


「これくらい、どうってことないわ。ちょっとした冒険で、楽しかったというべきかしら」


 エルザ、お前ってツンデレなのか? それとも、ただの意地っ張りなのか?

 俺なんて、異世界に着いた途端にこの状況だ。意地を張る元気すらないぞ。

 やたらと強がるエルザの相手をする気力すらないのが、正直な気持ちだ。

 なんてったって、やっとスタート地点に戻っただけなのだ。


「貴方は、これからどうするのかしら」


 そうだよ。これからの方針なんて全く決めてないんだ。どうしたもんかな。

 まずは、この世界で生きて行くための力と知恵を付ける必要があるだろうな。


「ね、ねえ。も、もし良かったら……私に仕えてみない」


「そうだな、それが手っ取り早いかも知れないな」


 肯定的な返答をすると、モジモジとしていたエルザが、パッと明るい笑顔を見せた。


「だが、断る」


「な、なんでよ! なんで断るのよ」


 明るい笑顔が途端に険しくなる。そして、両手を腰に当て問い質してきた。


「そうですよ。ユウスケさんも、私と一緒に仕えましょうよ」


 ミレアは両手を胸の前で握りしめ、悲しそうに訴えてくる。

 しかし、やっとスタート地点だ。安易に楽な選択をすべきではない。

 なにしろ、ここは力だけがモノを言う世界だ。まずは、一人前になるのが先決だろう。


「俺としては、自分の力で一人前になりたいんだ。ダンジョンにも興味があるし、誰かに仕えるとかちょっと無理かな。それより、エルザはこれからどうするんだ?」


 返事を聞いた二人はショボーンとしていたが、暫くしてミレアが頷いた。

 エリザは爪先で小石を蹴っている。おいおい、お前は子供か!


「エルザお嬢様は、そもそもローデス王国の王都ロマールに向かってました。それは、ロマールの冒険者学校に入学するためだったのですが……」


「国境付近で襲われて、警護の者達は戦って死に、金品は全て奪われたわ。ロマールまで行けば、既に学費を払っているから学校の寮に入れるけど、これから家に連絡を入れて……旅費と生活費が届くまでは、暫くドロアで過ごすことになりそうね」


 ミレアに説明を途中からエルザが引き継いだ。二人は、どこか不安そうな表情を見せている。

 まあ、盗賊の手からは逃げ出したが、知らぬ地で女二人だと心配が尽きないだろう。

 別に彼女達に同情した訳ではないのだが、下着を見せ合った仲だし、少しは手助けしても良いのではないかと思い始めた。

 ああ、見せあった訳じゃないか……


「ロマールには、何時までに辿り着ければいいんだ?」


「入学式は凡そ四十日後よ。でも……色々と用意もあるだろうから、最低でも五日前には入りたいわね」


 腕を組んだエルザは、余裕も含めて計算済みのようだ。

 ということは、三十五日でロマールに到着する必要がある訳だが……


「それで、ドロアからロマールへの距離は?」


「大体、馬車で六日くらいだと思いますが、余裕をみて八日ですね」


 ミレアがスラスラと答えてくる。地理に関しては、エルザは役に立たないみたいだ。思いっきり知らんふりを決め込んでいる。


「ドロアから手紙を出してお金が届くまでに、どれくらい掛かるんだ?」


「おそらく、二十五日前後になるかと……」


 彼女達の重苦しい雰囲気はこれが原因か。実家からのお金を待ってこさせても、ギリギリになりそうだ。

 それに、現時点で一文無しだ。さぞかし心細いだろう。というか、それまでどうやって過ごすつもりだろうか。

 しゃ~ね~か、これも何かの縁だ。切の良いところまで付き合ってやろう。


「良し、分かった。連絡はドロアから出して、送金はロマールにしてもらえ。俺がロマールまで付いて行ってやる。但し、暫くはドロアでゆっくりさせてくれ」


「えっ!? 貴方……何が目当てなのかしら」


「ゆ、ユウスケ様、この御恩は、私の身体でお返しさせて頂きます」


 驚くエルザは、直ぐに冷たい視線を向けてきた。せっかくの善意を……なんて奴だ。

 その横では、ミレアが今にも飛び掛かりそうな勢いだ。

 ミレア、抱き着いていいんだぞ。さあ、こいっ! なんて想いが伝わる訳もない。いや、ここは紳士であるところを見せるべきだ。


「いや、何にもいらないから。てか、エルザ、俺を何だと思ってるんだ!」


「ふんっ! また呼び捨て! まあいいわ、それじゃ、助けてくれる理由を教えてもらえるかしら」


「そ、そんな~、私の身体で……」


「ミレア、いい加減にしなさい」


 すり寄ってくるミレアをエルザが押し留める。なんて奴だ。俺の至福の時を奪いやがった。いや、失敬。下心なんて、全く皆無だ。


「理由といってもなぁ。これも何かの縁だろ。盗賊の牢屋で出会うなんて、そうそうあることじゃないだろうし。それに下着同士の仲だからな」


「そ、それは忘れてよ……」


「下着と言わず、中身も見せっこしましょう」


 エルザは良いとして、もうミレアに突っ込むのは止めよう。

 少しばかり誘惑されそうになったが、さすがに露骨すぎてドン引だ。


 こうして俺、もとい、俺達の大脱走は幕を閉じる。そして、異世界に召喚されてからここに至るまでの出来事を振り返って、あの不埒ふらちな盗賊共は、絶対に唯では済ませないと心に誓った。

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