─ 3
青い天に向かってまっすぐ伸びる、一本の白い線があった。
幼い頃から、それが地上と宇宙を行き来できるエレベータであることは、父から聞いて知っていた。友人の多くは、宇宙産業へ就くことに憧れ、勉学に励み、奨学金を得て静止軌道上にある専門学校へ進学して行った。
「地球には、農業と漁業と酪農しかない」
そう言って皆、宇宙へ飛び出して行った。
奨学金を得られるほどの学も無く、宇宙産業に携わる業界にコネも無く、当然、家柄も良くない。だからカイトは、そのまま家業の農業を継ぐことに不満は無かったし、違和感も無かった。一度だけ、旧友から送られてきたメールに、添付された写真に写っていた女の子。青い髪を耳の両サイドでまとめ、光るボディースーツを着た彼女。それを見た時だけは、本気で宇宙へ行きたいと思った。
ただ、軌道エレベーターに乗り静止軌道上の宇宙ステーションへ行くには、高い金がかかる。彼女は、宇宙生まれの宇宙育ちのお嬢様。行ったところで彼女に会えるわけでもない。会えたところで、なにを話せばいいかわからない。だから行くのをあきらめていた。
その時までは。
小麦畑を自動収穫ロボットが往来している。ロボットは、収穫した小麦を加工工場へ運ぶ。工場に運びこまれた小麦は、幾重もの工程を得て、最小で軽量で加工しやすく形成される。ペレット化された小麦は、密閉、梱包されて、軌道エレベーター専用コンテナに積みこまれる。カイトの仕事は、小麦の収穫から、加工、コンテナへの詰めこみまで、問題なく進んでいるかを監視するだけの、簡単な仕事だ。
軌道エレベーターの地上基地。カイトの職場は、ロボットや工場内のラインが正常に稼働しているか監視しているモニターを、日々チェックするだけ。時々、誤作動するので、それをパソコンのキーボードを叩いて修正してやる。日がな一日、整然と動くロボットや工場のラインだけを見ていると、衛星軌道上ではいったい、どんな仕事をしているのだろうかと、思い巡らせることもある。
軌道エレベーターの地上基地より少し離れた小麦畑の真ん中で、ブロックノイズが発生した。ブロックのノイズから現われたのは、藤田結歌、下田美琴、浅川笛子、中島鈴の四人だ。
気持ち良く眠っている四人のうち、最初に目を覚ましたのは鈴だ。
目が覚めて、真っ先に飛びこんできた光景は、地平線までつづく小麦色の世界だった。次に、高く青い空の彼方まで伸びる白い一筋の線。
頬をなでる温かなそよ風。鼻を抜ける小麦の香り。耳をくすぐる穂先。身を起こすと、髪や掌、肘などから土がこぼれた。ずいぶんと乾いた土の匂い。
最初に沸いた感情は、不安より、安堵だった。
ふと気がつけば、目の前に、見も知らない三人の女の子が寝ていた。見た目、自分と同い年ぐらいのよう。
息はあるようだから、気を失っているだけか? それとも眠っているだけ? なにかの事件や事故に巻きこまれたのか?
鈴は、彼女たちの状態を見て回る。
着衣に乱れはない。怪我や乱暴された形跡もない。呼吸は正常。事件性はなさそうだが、このただ広いだけの小麦畑に、どうやって来たのか? 自分も含めて、それが謎だ。
「う~ん」
四人の中では、ひときわ背の高い笛子が、寝起きの背伸びをして半身を起こした。目はまだ夢うつつのようではある。
「あれ? ここは?」
「身体、大丈夫? どこか痛いとか、苦しいとかない?」
「いえ、身体はなんともないです。ただ、ちょっと眠いです」
ふわっと、大きなあくびを笛子は開けた。
「大丈夫そうね」
「まだふたり、お眠りになっているようですが」
「そうみたいね」
「起こさないんですか?」
「どうしたもんかね」
しばらくふたりで、小麦が奏でる風の音に耳を澄ませていた。
突然、美琴が飛び起きた。辺りを見回してから、大きな声を出した。
「なにここ!」
笛子や鈴にもすぐに気がついた。
「あの! ここどこですかっ!?」
ふたりは顔を合わせ、同時に言った。
「「わかりません」」
「へ?」
「私たちも、今、目が覚めたばかりで」
「そうなんですか? つーか、あんたたち誰?」
「それは私が訊きたいんだけど」
その時初めて、美琴は結歌の存在に気がついた。
ゆっくりと近寄って、馬乗りになり、両手で両肩を掴む。
「なにを?」
「お気になさらず。こいつは私のクラスメイトです」
全体重をかけて、結歌の肩を揺り起こした。
「おらぁ結歌! 起きろ! 起きてこの状況を説明しろおぉ!」
激しく揺さぶるがなかなか目覚めない結歌に、美琴は半切れでバシバシと頬を叩く。
結歌は、やっと目を覚ます。
「あれ? 美琴」
「やっと起きたか」
「あ~。もしかして寝てた?」
「ぐっすりとね」
「お、おう。って、なんか肩が痛い。首も、頬も」
「そんなことはいいから、早く周りを見て」
「うん?」
結歌は、辺りを見回した。地平線までつづく小麦畑。青空の天に向かってつづく白い線。
「ここがどこか理解した?」
「うん」
「「「どこ?」」」
三人が同時に声をあげた。
「初音ミクの『青い空の彼方に蒼い髪の君がいる』の曲の中だね」
「「「はあ?」」」
三人は唖然とし、口をポカーンと開ける。
「『パ・ディ・シャ』の時と同じ現象かなあ。皆さん、ここで目が覚める前。初音ミクの『青い空の彼方に蒼い髪の君がいる』を聴いていませんでしたか?」
「聴いていました」
「聴いてた」
「あたしも聴いてました。で、そのまま寝落ち。気がついたらここに。みなさん、そんな感じじゃないですか?」
「「「そのとおりです」」」
「なら話は早い。あたしたちは『青い空の彼方に蒼い髪の君がいる』の世界に入りこんでしまったんですよ」
満面の笑みで、結歌は言った。
美琴が結歌の首根っこを締めあげる。
「早く説明しろ」
顔を青くして、結歌は美琴の手を叩いた。
「この光景、曲の背景そのものじゃない?」
「そうね」
「白い線の根元。地上基地に、カイトがいる。彼は白い線の彼方、静止軌道上の宇宙ステーションに住まう蒼いツインテールの君に憧れていると」
「いや、曲の内容なら知ってるから」
「やがて宇宙ステーションから、あこがれの蒼い髪の君が地上視察の名目で降りてくる。そこでカイトと恋に落ちる」
「いや、だから、曲の内容なら知ってるってば」
「じゃあ、何が知りたいの?」
「あたしたちがこうなった状況よ!」
「だから、曲の中に入ったんだって」
「それがわからないから訊いてるんでしょう!」
「前に話したとおり。あたしとネグさんが体験したことの再現だよ」
「それがなんで私たちにまで」
「それはわからないなあ」
結歌は改めて、三人の顔を見た。
「美琴の左目の目尻」
「え?」
「そのマークは鏡音リンかな」
美琴は思わず手を目元にやった。笛子が近寄って見つめる。
「そうですね。リンみたいです」
「あなたの目尻にもマークが」
笛子の目元に手が伸びる。
「巡音ルカみたい」
「そう?」
「うん」
「あなたにも」
鈴の目元に手が行く。
「メグッポイドのグミだね」
「今、気がついたけど、あなたの目尻」
「どう? ミクみたいでしょう」
「「「うん」」」
「前にあたしが『パ・ディ・シャ』の世界に入った時も、同じ事が起こったから、それと同じことなのかも」
「前の話って、ツイッターで話してた件ですか?」
「正解」
「そんな。まさか現実になるなんて…」
この世の終わりのような暗い顔をして、鈴は落ちこんだ。
ハッと、美琴は気がついた。
「ちょっと待って。あの時、ツイッターで話したメンバーは、今、ここにいないNEGStringsさんを除いて四人! 今、ここにいるメンバーもちょうど四人! みんながこの話を知っているってことは…」
「つまり、そういう事なんでしょう。あたしは
「
「
「
「なんだ。みんなボカロ部のメンバーなんだ」
「そうみたいね」
「この様な形とはいえ、今まで顔の見えなかった方々と、こうしてお会いできて嬉しいです」
「浅川さんは、まじめね」
「そ、そんなことないです」
「さて、結歌。これからどうするの?」
「しょせん夢みたいなもんだし、気軽に楽しんで帰りましょう」
「帰れなかったらどうしましょう」
「大丈夫! きっと帰れるよ。前回も帰って来れたんだし」
「サンプルが一回じゃ、統計学的に正当な根拠たり得ないわね」
と、怪訝な鈴。
笛子が軌道エレベーターの地上基地を指す。
「ここで論じていても埒が明きません。とりあえず、ここから一番近い、目立つ建物へ行ってみるというのはいかがでしょう?」
行く気、満々な結歌は言う。
「とりあえず、行ってみよう!」
それに対し、疑心暗鬼な美琴と鈴。しかし、ここで座していても、なんの解決にならない。
「こうしててもしょうがないし、行ってみるか」
「そうね。ここにじっとしてて、何も解決しそうになさそうだし」
結歌が元気にかけ声をあげる。
「じゃあ、レッツゴー!」
この時、管制室にいたカイトに、侵入者を知らせる警告ランプが付いた。
農場に侵入する生き物は、いつも動物ばかりなので、侵入者が人間であることに驚いた。監視カメラで侵入者を映し出しても、見慣れない服を着た、十五~十八歳ぐらいの女の子が四人。手に何か持っている様子もなく、華奢な体つき。
近くの村に売られたが、村での待遇に不満を募らせ逃げて来た。おおかた、そんな境遇の女の子たちだろうと思った。追い返すのもかわいそうだ。ここまで来たら保護してあげるか。
その時、ポンと別のランプが点灯した。軌道エレベーターの接近を示す表示である。普段、輸送物は貨物だけだが、今回は人が乗っている。
「こんな時期に、誰だろう?」
とりあえず、出迎えの準備をしなくちゃな。
この時、カイトの頭の中で、侵入者の順位が、軌道エレベーターから降りてくる客人より下がった。
女子高生、四人が、収穫済みの麦畑を歩いて三十分弱。やっと、軌道エレベーターの麓。地上基地の一角に、結歌と笛子が先にたどり着いた。
「いやぁ、疲れた。思いの外、歩いたね」
「そうですね。最初、見た時は、近く感じましたが」
「あれ? あのふたりは?」
「あ、まだちょっと遅れてます」
息を上げ、汗だくになりながら、美琴と鈴が歩いて来た。
「結歌の体力は知ってたけど、笛子さん? 細いから体力無さそうって思ってたけど」
「実家がダンス教室を営んでいまして。あたし自身も少々、ダンスを嗜んでいるので、体力には多少の自信があります」
「鈴さんは?」
「き、訊かないで」
鈴は、美琴以上に息を切らしている。
「ねえ、鈴さん。訊いて良い?」
「ベルでいいわ。なに?」
「じゃあ、ベルさん。普段からメガネ?」
「いいえ。今夜は、勉強していたから。普段はコンタクト」
「ボカロを聴きながら?」
「そうよ。あなたは? みことんさん」
「改めてそう呼ばれると、ちょっと照れるね」
「そうね。で?」
「ああ…。そうよ、ボカロを聴きながらうとうとしてたわ」
たどり着いた基地の外壁は、光沢のある白い壁でできている。手触りもつるつるだ。ちょっとした高層ビルほどの高さがあるにもかかわらず、つなぎ目が無い。
「すごい。これひとつが単体の建物なんて」
「堅いところを除けば、殻をむいたゆで卵みたいじゃない?」
突っ込む労力を、既に失っている美琴と鈴は、結歌の言葉を無視して、建物の外壁沿いに歩き出した。
「さあみんな、行きましょう」
壁沿いに五十メートルほど歩くと、大きなゲートが開いている。
覗きこむ四人。中には、ボーイング787ぐらいある大きさのロボットが、何台も立っている。
「どうする?」
「もちろん! 忍びこむ♪」
「そう言うと思ったわ」
結歌を先頭に、美琴、笛子、鈴と、身の影を忍んで入って行く。
内部は清潔で、基本的に白、一色でできている。ドアは人が近づけば自動的に開き、四人が通り過ぎると、静かに閉まる。監視カメラのような物は見当たらないし、警備員がやってきて、四人を束縛するような事も無い。
「なんか、ずいぶんと簡単に入って来れちゃったけど、良いのかな?」
「良くはないだろうけど」
「あ、エレベーター」
ホールにはエレベーターが一基だけ設置してある。
「これ、どうやって呼ぶんだろう」
ドアの両サイドには、呼び出しボタンらしき物が無い。
「呼んでみればいいんじゃない?」
「だから、ボタンが無いの」
「だ・か・ら、呼ぶんだよ」
「え?」
結歌は軽く息を吸った。
「上に行きたいです!」
「ちょっとバカ! なに大声出してんのよ」
その時、ポンと、エレベータのランプが点灯した。
程なく、エレベーターのドアが開いた。
「ほらね」
四人はエレベータに乗りこんだ。
乗りこんで気がついた。今度は、階数を押すボタンが無い。
「これは?」
「最上階まで」
ためらうことなく、結歌は言った。
エレベータのドアは閉まり、上昇するような感じが伝わってきた。
「結歌のその、物怖じしないところ、尊敬するわ」
「ホント? どうもありがとう」
ポンと音が鳴って、エレベータのドアが開いた。
そっと身を乗り出し、結歌は辺りを見回す。まっすぐ伸びた廊下の左右に、いくつかドアがあって、さらにその突き当たりにも、ドアがあるだけだ。
「ここも、整然としてて、下と変わりないわね」
美琴が言うと、結歌が返す。
「そうでもないよ。ほら」
ドアを指すと、ノブが付いている。
一同、静かに廊下の突き当たりまで進み、結歌がドアノブに手をかける。
結歌は一瞬、目線を三人に送って、開けて良いかどうかを伺う。三人とも、静かにうなずく。結歌は静かに、ドアノブを回す。
空港のロビーの様に広い空間。その中央に、ガラスでできた透明なドアがあり「Immigration」と大きく書かれている。
空間の白い壁。その一角が小さく開いた。
開いたドアから、結歌がそっと顔を出す。ぐるっと空間を見回して、首を引っこめる。ドアの中から、女の子の小さな話し声が漏れてくる。声は、怒っている様でもあり、戸惑っている様でもあり、悲しげでもあり、冷静でもある。
声が止む。
しばらくして、パッと、ドアから結歌が飛び出た。
一瞬、硬直したが、全身の力を抜いて、ゆっくりと辺りを見回す。
明るく、静かで、清潔だ。警報が鳴るわけでもなく、警備員が来るわけでもなく、それどころか、人の気配がまったくしない。
「結歌」
後ろから、美琴の小さな声が聞こえる。
「大丈夫そう?」
「うん」
三人が、ゆっくりとドアから入ってくる。三人は、一様に広い空間を見回した。
「誰もいないね」
「元の曲でも、登場人物は主人公とヒロインだけですからね」
「あの『Immigration』て書いてあるゲートは、軌道エレベーターの出入口ね」
「宇宙ステーションに住むお嬢様が、地球の美しさに憧れて、こっそりと地上へ降りてくる」
「そこで出会う。軌道エレベーター地上基地、唯一の永住者であり管理者である彼と」
「そこから始まるラブストーリー。まるでロミオとシンデレラ」
「ローマの休日」
「タイタニック」
「恋に落ちるも、初音ミクに似たヒロインは、宇宙ステーションへ帰らなければならない」
「宇宙へ帰った彼女を思いながら、日々、地球で過ごすカイト。時々、青い空へつづく白いエレベーターを見上げて」
「特に落ちの無いお話ですけど、いつか宇宙へ行く日を夢見ているのか、それとも、彼女が宇宙から再び降りてくる日を夢見ているのか。日々、空を見上げるカイトの心理描写は曖昧で、どちらとでもとれる処から、解釈がファンの間でも分かれてますよね」
「で、結歌。これからどうするの?」
結歌は何か考えている。
「なにか良からぬ事、考えてるんじゃないわよね?」
「まさか」
「それで?」
「あれに乗って、宇宙へ行きたい!」
「はい却下。このバカ連れて帰りましょう」
「ちょっと待った!」
「なに?」
「前回も同じような事があったじゃん?」
「結歌とネグさんが『パ・ディ・シャ』の世界に迷いこんだって奴?」
「それ! でね、あれからいろいろ考えて、なぜ迷いこんだかはとりあえずおいといて、どうして抜け出すことができたかを考えた訳よ」
「それで?」
「あたしたちは曲の内容を大きく改変しちゃった。失恋で終わるはずのラブストーリーを、ハッピーエンドに。つまり、今回も、曲をハッピーエンドに変えれば、現実に帰れるんじゃないかな?」
「うっすい仮説から導き出された、現実味の無い結論だこと」
「じゃあ、美琴はどうやったら現実に帰れると思う?」
「夢みたいなもんだし、そのうち自然と目が覚めるでしょ」
「あの? ちょっといいですか?」
「なに?
「ボカロ部での通称どおり、
「じゃあ、笛さん」
「今の話、聞いてて思い出したんですけど、ゆうかさんの容姿、ネグさんが言っていたとおりだな、と」
「私もそう思った」
「ベルも?」
「ネグさんがゆうかさんと迷いこんだ世界。そこでゆうかさんはネグさんと初めて会ったんですよね?」
「うん」
「現実の世界で会った事は無い?」
「無い」
「その世界で、初めて会ったゆうかさんの容姿を、ネグさんはある程度覚えていました。そしてそれは、今、あたしたちの認識と一致しています」
「それが、ゆうかさんとネグさんが異世界で会った証拠とでも言うつもり?」
「少なくとも、現実とリンクしているか否かは証明できるかも知れません」
「どうやって?」
「みなさん、今、スマフォ持ってます?」
四人はスマフォを取り出した。
「電波は?」
「圏外」
「圏外ね」
「圏外です」
「私のも圏外」
「外と通話しようとしたの?」
「できたとしても、これが夢なら普通に通話できるでしょう。今ここで、お互いの携帯番号とメールアドレスを交換して、アドレス帳に登録してください。それと、さっきあたしが外で撮影した風景写真も送りますので、保存しておいてください」
「いつの間に写真を」
「気が動転してたから、写真を撮るっていう発想が浮かばなかったわ」
「すごいね。笛さん」
「それじゃあ」
四人は、お互いの携帯番号とメールアドレスを交換し、笛子の撮影した写真を保存した。
「このデータを、外へ持ち出すことができたら、少なくともこの世界は、夢ではなく、現実とリンクしたなんらかの世界ということになります」
「なっるほどぉ。笛さん頭良い」
「それでゆうかさん。これからどうするのですか?」
「いずれ、あのゲートからプリンセスが出てきます。まずは、彼女と仲良くなってしまいましょう」
カイトは、宇宙ステーションからの来客にあわせ、到着時刻前に、ゲート前で待っていた。
ほどなく、ゲートが開いて、ミクがやって来る。カイトは来訪を歓迎し、ミクを応接室に通す。お茶の用意をしますと言って、応接室を出て行く。曲のとおりなら、ミクは応接室を抜け出し、建物の外へ飛び出す。そこをカイトが追いかける。ラブロマンスの始まりである。
応接室を覗きこんでいる、四人の女子高生がいる。
「曲のとおりね」
「うん。Tda式初音ミク・アペンド衣装ver」
「PVのとおりです」
「カイトが出て行ったわ」
「それじゃ行きましょう」
コンコン!
カイトが出て行った逆側のドアが鳴る。
「はい」
ミクが応える。
「失礼します」
ドアが開き、結歌、美琴、笛子、鈴の四人が入って来る。
「私ども、この建物でお手伝いをさせていただいてます。お嬢様には、さっそく、お召し替えをしていただきます」
「はい?」
「さあさあ」
「あ、あの…」
戸惑うミクを、半ば強制的に別室へ連れて行く。
ミクを強制連行したのは、ドレスルーム。
「お嬢様。地球では、それにふさわしい服装がございます。こちらをお召しください」
結歌が手にしているのは、白のワンピース。
「さあ、お嬢様」
テキパキと着替えを手伝いながら、結歌は話しかける。
「お嬢様。地上は初めてですか?」
「は、はい」
「申し訳ございませんが、上の者から、お名前を伺っていませんで」
「アンです」
「アン様ですか。まるで新聞記者と縁のありそうなお名前ですね」
「はあ…」
四人は、思わず出しそうになっている言葉を、ずっと飲みこんでいる。
「「「「声が初音ミクだあ♡」」」」
声に出したら、その瞬間、この世界が消えてなくなりそうな気がする。
「アン様。本日はたいへん天気がよろしゅうござます。後ほど、外へご案内いたします」
「本当ですか!」
初めて、ミク似のアンが、嬉しそうな声をあげた。
「ところでアン様。上でのお暮らしはいかがですか?」
「別に、変わったことはないわ」
「いつもは護衛を付けていらっしゃるのに、今日はおひとりなんですね」
「うん、そ、そうなの」
「たまにはおひとりで羽を伸ばすのも良いでしょう。この事、上には内緒にしておくので、存分に楽しんでいってください」
「あ、ありがとうございます」
アンの着替えが終わる。
着替え終わったアンを見て、四人は同じ事を思っていた。
「「「「Tda式初音ミク・白ワンピースVerだ。か、可愛い♡」」」」
「それではアン様、こちらから外へ出られますよ」
「はい」
その通路は、結歌たちが忍びこんだ時の通路である。
「私たちは、アン様をご案内します」
結歌と笛子が、アンを連れて行く。
「あなたたち、後はわかっていますね?」
「「はい」」
美琴と鈴が返事をする。
「では参りましょう」
アンを連れ、結歌と笛子は、忍びこんだ時のルートを逆に通り、外へ出た。
建物を回りこむと、小麦畑の反対側は湖になっている。湖畔は緩やかな丘陵地で、蒼い夏草が風になびいている。湖の反対岸は森だ。
目をうるうる、感動に潤ませながら、結歌は言う。
「PVで見たまんまだ」
笛子も感動している。
「まさか、実際にこの目で見ることができるとは、想像もしてませんでした」
「さあ、お嬢様。水辺まで参りましょう」
結歌はアンの手を引いて、湖の畔まで歩いて行く。
その頃、建物の中では、カイトを待たせて、美琴と鈴が料理をしている。
「さっき、農場にいた子たちだよね」
「はい」
「どこから来たかは訊かないでおく。食事が住んだら、開いている部屋を貸してあげよう。施設を紹介するから、そこへ移ると良い」
「おきづかいなく、カイトさん」
「どうして僕の名前を?」
「先ほど軌道エレベーターでいらっしゃったのは、かの国のお姫様ですか?」
「彼女は、宇宙ステーションを運営している財閥のご令嬢だ。それで、どうして僕の名前を?」
「今、作っているのは私たちの食事ではありません。ピクニック用にサンドイッチなど作っています」
「ピクニック? サンドイッチ?」
「お嬢様は、湖の湖畔で、地球の風と香りを楽しんでいらっしゃる頃でしょう。カイトさんには、お嬢様の接待をしていただきます」
「接待?」
「ご安心ください。必要な物は全て、こちらでご用意いたしますので」
「それで、俺の名前なんだけど、どこで…」
「ところでカイトさん。お嬢様を接待されるのに、その衣服では少々問題があるかと。今のうちに、お着替えをなさってきてはいかがですか?」
「あ、ああ。そうかな」
カイトはキッチンを出て行こうとした。
「ところで、俺の名前だけど…」
「ご心配なく! 全て、こちらでご準備いたしますので」
「お、おう」
カイトは部屋を出て行った。
蒼い水面を、さざ波立てて風が駆け、夏草をなびかせてアンの髪をかきあげてゆく。
アンは、すーっと深呼吸する。
「気持ち良い」
「どうです? 地球は」
「はい。とっても気持ち良いです」
「閉塞した宇宙ステーションの中じゃ、なかなか体験できないでしょ」
「風がこんなにも自由だなんて、思いもしませんでした。そして、とても良い香り」
笛子が結歌に耳打ちする。
「宇宙ステーションでの事なんて、わかるんですか?」
「要は、
「ISSのこと、知ってるのですか?」
「ニュースでね」
アンは、水辺へ小走りに駆けよって、水に手を入れた。
「冷たい」
手で水をすくう。
「綺麗」
今度は結歌が、笛子に耳打ちする。
「どうやらご満悦の様ね」
「そうみたいですね」
「ぐうぅ」
「どうしました?」
「遊びたい」
「え?」
「あたしも、あ・そ・び・た・い~!」
靴を脱ぎ、さらにニーソを脱ぎ捨て裸足になると、結歌は水辺を走り出した。
「ひゃほう!」
呆然とするアン。
「フフ。私以上に、楽しそう」
「アン様。私の友人たちが軽食を持って来ます。まだ少々、時間がかかりそうですので、お話しませんか」
「ええ。喜んで」
子供のように走り回る結歌を見ながら、笛子とアンは、水辺にしゃがんで語りあう。
やがて、カイトを連れ立って、美琴と鈴がやって来る。
走り回ってる結歌を見て、美琴は唖然とする。
「なにやってんだ、あいつ」
「じっとしてられなかったんじゃないの? Tda式白ワンピミクが『WAVEFILE』のPVどおりに実在してるんだから。この景色を生で見て、感動しないボカロ好きはいないでしょ」
「あなたも?」
「もちろん」
遠く、丘の上から手を振っている。
「まったく。私たちが置かれた状況、わかってんのかな」
美琴たちが、アンと合流する頃、結歌が走ってきた。
「いやあ、気持ち良いね!」
「おまえが楽しんでどうする」
「まあまあ。そんなことより」
「用意はしてきたよ」
「それではアン様。カイトさん。食事にしましょう」
湖を見渡せる、平らな草原にシートを広げ、バスケットからサンドイッチやフルーツ、唐揚げなどの入った弁当箱が開けられる。グラスにジュースが注がれると、美琴がカイトに耳打ちした。
「さあ、よろしくお願いしますよ」
カイトは、すっと立つ。
「アン様。ようこそおいでくださいました。ご覧のとおり、何も無いところですが、存分に楽しんでいってください」
「「「「「「乾杯!」」」」」」
*
結歌が、カイトをけしかける。
「カイトさん。さあ」
戸惑い、応じるカイト。
「あ、アン様。少し歩きませんか?」
「はい」
アンの手を取って、カイトとふたりは水辺を歩いて行った。最初、堅そうだったが、徐々にうちとけ、ふたりの表情は和らいでいった。
美琴が結歌に耳打ちする。
「さあ、ここまでだいたい作戦どおりよ」
「カイトとアンの仲をより親密にする作戦。今のところ順調ね」
「それで、あんたの作戦の確認だけど」
「なに?」
「元の曲では、ふたりの仲が進展しなかったため、ふたりは再会の約束もせず、曲のラストは曖昧なまま。だから、再会の約束を取りつければ、曲はハッピーエンドになると」
「あわよくば、アンがこのまま地上に残って、カイトと一緒に暮らしてしまえば良い!」
「それがうまくいったとして、あなたはどうするの?」
「エレベータで宇宙へ行く」
「どうしてそうなる」
「ふたりが幸せになって、あたしたちも宇宙旅行ができて、一石二鳥」
「仮に、宇宙ステーションへ行けたとして、どうやって帰ってくるの?」
「曲がハッピーエンドに変われば、自然と、元の世界に帰れるよ」
「根拠は?」
「そんな気がする! なんとなく」
「頼りない根拠だな」
ほどなく、アンとカイトが帰って来る。笑顔ではあったが、手も繋がずだ。
「あの甲斐性なしが」
「まあ、そういうキャラだしね」
「カイト本人の大ヒット曲中では卑怯なのに。このままじゃ間が持たないぞ。どうする?」
「う~ん」
「あたしが行きましょう」
笛子がすっと立って、両手にカイトとアンの手を取る。
「踊りませんか?」
カイトとアンの間に立って、バレエを踊りだす。アンはスカートをつまんで、笛子の手に合わせ身体と足を踊らせる。カイトは呆然と立ちつくす。
「さあ、カイトさんも」
「いや、僕は踊った事なんてないから」
「踊りなんて、適当でいいんですよ。楽しければ」
「そうですよカイトさん。踊りは楽しければそれで良いのです」
笑顔のアンと笛子に振り回され、カイトは右往左往するばかり。見かねた笛子がカイトの腰に手を回し、身体を押しつけてリズムを刻む。アンがカイトの手を取って、振りを付ける。
「なんだかんだで、卑怯な展開になってきたじゃん」
「両手に花なんて卑怯だ! あたしも行く!」
「結歌! ふたりの邪魔しちゃダメよ」
「邪魔はしない。しかし、この光景は撮らざるを得ない!」
結歌は三人の元へとんで行き、踊る三人をスマフォで撮り続けた。
小一時間ほど踊って、疲れた三人が美琴の元にやってきた。
「こんなに楽しく踊ったのは、何年ぶりでしょう」
「さすがアン様。基礎も体力もしっかりしていらっしゃいます。あたしの方が勉強させていただきました」
「そんな笛さん。とてもお上手ですわ」
「お腹減りませんか? 昼食にしましょう」
「はい」
美琴からタオルが手渡され、汗を拭きながら、アン、笛子、結歌がシートに座る。バケットから鈴がサンドウィッチを手にとって、アンに手渡す。サンドウィッチを頬張ると、満面が笑顔に満ちる。
「美味しい」
「このサンドイッチ、ほとんどベルさんが作ったのよ」
「ベルさんは料理が上手なんですね」
「べ、別に。両親が共働きで、弟たちに食事を作ってるから。その程度よ」
ふらふらのカイトに、美琴がタオルとジュースを手渡した。
「ありがとう」
「ホントはアイスをあげたかったんだけど」
「え?」
「アイスは作れなかったので」
「なんでアイス?」
無言の美琴。
それが逆に、ボカロ部メンバーの笑いを誘った。
「プッ」
「あはは!」
「ふふ」
「え? なんでみんな笑うの?」
*
楽しい時間はあっというまに過ぎ、日が暮れる頃、アンが宇宙ステーションへ帰る時刻となった。
軌道エレベーターのゲートでは、いつものアペンド衣装を着たアンが、結歌たち四人と別れの言葉を交わしていた。
奥の方でたたずんでいるカイトが、なにか言いたげに、もじもじしている。
もちろん、結歌たちは、そんなカイトのそぶりに気がついている。気がついていて、わざと、アンとの話を長引かせている。
「ねえ! 最後にみんなで写真、撮らない?」
結歌の発案は気持ち良く、みんなに歓声され、アン、結歌、美琴、笛子、鈴が並んだ。そこで、結歌がさらに声をあげる。
「カイト! 撮って!」
もじもじしていたカイトは、しょうがないなあという体で列に近づき、結歌のスマフォを手に取った。
「じゃあ、並んで」
アンをセンターに、五人、肩を合わせてポーズを取る。
「はい、チーズ!」
カシャ!
シャッターが切られる。
撮られた写真を確認して、結歌は言った。
「アン様と、カイトも一緒に撮りましょう」
「えっ! い、嫌、俺はいいよ」
「なに言ってるの。男でしょ! 決めなさい」
「お、おう」
結歌の剣幕に気圧されて、カイトはアンと並んで写真を撮った。
そして、スマフォの後ろにいた、四人の女から、カイトへ向けて、謎のプレッシャー目線が送られる。
ここまでお残立てされれば、さすがのカイトも、自分が何をすべきかわからないはずはない。
アンの顔を見た。しかし、次の言葉が出てこない。
屈託のない笑顔で、アンは言った。
「また、遊びに来ても良いですか?」
カイトは即答した。
「もちろん! 是非。また、いらっしゃってください」
アンは、笑顔のまま軌道エレベーターに乗りこみ、宇宙へ旅立って行った。
青い空へ上って行くエレベーターの軌跡を、いつまでも追いながら、カイトと四人の女子は満足だった。
その時、辺りがデジタルのノイズに包まれた。
「なにこれ?」
「なんですか」
「なに?」
この現象の意味に気がついたのは、結歌だけだった。
四人の言葉と、人影は、デジタルのブロックノイズに包まれ、この世界から消えていった。カイトだけ残されたが、寂しさの顔はなく、笑顔で今日の思い出を握りしめていた。
中島鈴は、目を覚ますと、自分が学習机に突っ伏して寝ていたことに気がついた。
イヤフォンからはボカロの曲が流しっぱなしになっていた。
ああ、これがあの、変な夢の原因か。と思って、いったん、音楽を止めた。
時計の針は、午前一時を指そうとしている。いつの間に寝落ちしたのだろう。弟たちを寝かしつけ、勉強を始めたのが、午後十時前。ノートの進み具合から、二十分から三十分後ぐらいだろうか。肩に毛布が掛けられている。たぶん、仕事から帰ってきた義母(はは)が、掛けてくれたのだろう。隣の部屋は既に暗い。義母はもう寝てしまったのか。父はまだ帰っていないようだ。今夜は徹夜かな。
う~んと背伸びをして、ふとスマフォが視界に入った。意味も無く手にとって、メールの着信履歴など調べた。フォルダに登録されている写真の数が、記憶よりはるかに多く登録されていることに気がついた。フォルダを開けてびっくりした。なんと、夢だと思っていた『青い空の彼方に蒼い髪の君がいる』で過ごした時が、ハッキリと写っていたのだ。
同じ頃、浅川笛子は、部屋の明かりを点けたまま、ベッドで寝ている事に気がついた。ボカロの曲を聴きながら、ベッドへ横になった。そのまま寝落ちしてしまったらしい。
改めて、ちゃんと寝ようと、スマフォを充電器にセットしようとした。その時、ふと思い出した。夢の中で出会ったボカロ部のメンバーと、携帯番号とメールアドレスを交換した事を。
まさか、と思ったが、一応、アドレス帳を確認した。
あった。
ボカロ部のメンバー三人の、携帯番号とメールアドレスが登録されていた。
あれは、夢じゃなかったのか…。
不思議と、恐怖心は湧かなかった。むしろ、あの出来事が現実であったことの喜びが、ふつふつと心の中に湧いてきて、嬉しくなった。
下田美琴が目を覚ました時、ベッドから飛び起きて、今、見た夢の事を振り返った。
ベッドで横になり、ノートパソコンでボカロを聴きながら寝落ちしていた。そんなことはどうでもいい。よくあることだ。だが、あの夢で見た事は、まるで現実のような実感を持って回顧できる。
スマフォを手に取る。案の定、交換した写真や、ボカロ部のメンバーの携帯番号とメールアドレスが登録されていた。
ちょっと…。否、かなり怖い。
夢で起こった事は、目が覚めれば全てリセットされ、現実と切り離される。夢の中であれば、たとえスカイツリーのてっぺんから落ちようと、海で溺れ、深く海に沈みながら、輝く水面が遠のいても、目が覚めれば、それは無かったことになる。全ては寝ている間に、脳の中で起こった出来事だからだ。
しかし、夢が現実になったとしたら、高いところから落ちれば怪我をするし、海に沈めば溺る。
その時、着メロと同時にスマフォが振動(バイブ)する。
びっくりして、スマフォを落としそうになった。
メールの送り主は「中島鈴」
From:中島鈴 Sb:non title To:下田美琴
「こんばんは」
恐る恐る、メールに返信する。
To:中島鈴 Sb:non title From:下田美琴
「こんばんは」
その頃、藤田結歌は、点滅するスマフォの画面にも気づかず、爆睡していた。
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