第三章 (1)

「――『ひとつの終演に、多大なる拍手を』」


 ひゅん、と崩れかけた街の間を旋風が駆け抜けていった。塩の化粧を纏った空気が、ふんわりと真っ青な空に巻き上げられてゆく。毎日毎日、同じ色をした空が変わらずに地上を見下ろしている。


 支倉が常套句を述べ、そして祈りを捧げるように両手を合わせた。それにならって、右横にいた白波も両手を握り合わせる。


 彼らは現在共に行動している。支倉は相変わらず自分の仕事である『記録作業』に没頭しているし、白波は白波で、彼の真似をして支倉自身をじっと観察している。


 本人曰く、「それがわたしの仕事」だそうなので、気にはなりつつも支倉はそれを止めようとは思わなかった。


 彼らがたまたま訪れたこの街は、やはり例外でなく空から降り注ぐ「塩」により死を迎えていた。朽ちることなく残った建物はいくつか存在したが、人間は人っ子一人見当たらない。念のため廃墟や街の中心部であったろう広場など、あらゆる場所を散策してみたが、生き物が存在した形跡は何ひとつ残っていなかった。


 ……否、それらしいものは確かに残ってはいたけれど、それら全てが塩の結晶と化し、指先で軽く触れた刹那脆く砕け散ってしまった。


 この結晶の具合から察するに、この街は大量に降り注ぐ塩の雨により一晩のうちに消滅してしまったのだと思われる。逃げる余地など、彼らには微塵も残されていなかったのだ。


 さて、と黙祷を終えた支倉が顔を上げ、右横でじっと街並みを見つめている白波の姿を捉えた。華奢な身体に吹きつける風が、彼女の頭をすっぽりと覆い隠していたフードを剥がしてしまう。その中から現れた茶色の長髪が、さらりとなびいた。


「行くぞ。ここの記録は済んだ」

「はぁい」


 歩き出そうとすると、裾が何やら引っかかる感じがする。見ると、白波が支倉の裾を引きながら彼を仰いでいた。澄んだスミレ色の大きな瞳が、ゴーグルの奥の黒色をじっと射抜く。支倉はそれで何となく彼女の主張を察し、無言でその右手と彼女の左手とを繋いだ。彼女は支倉に手を繋いでもらうのが好きだった。


 白波の歩く速度に合わせゆったりと歩き始めると、最早毎日の日課になりつつある白波の質問時間になる。彼女の話をよくよく聞いていると、時折支倉でもどきりとさせられるような鋭い疑問をつきつけられることがあった。加えて、理解力が恐ろしいほどにいい。おそらく彼女が持ち合わせる性質として、何かを考えて結論を出すというその行為が「向いている」のではなかろうか。


「ねえ、ハセクラ」


 このフレーズが、その合図である。支倉は前を向きながら、声だけでそれに答える。


「記録を終えるたびに『ひとつのシュウエンに』って、いつも言っているよね。それはどういう意味なの?」

「ああ……それか」

 支倉はひとつ頷いて見せた。「そりゃあ単なる、祈りの言葉だ」

「祈り?」

「そう。今ちょうど真上にある太陽が沈んで、また昇って、というのをたくさん繰り返しているだろう? それを『時間』と呼ぶならば、太陽が毎日照らし続けたあの街にも、同じ『時間』が流れていたということになる」


 うん、と白波が相槌を打った。それを確認しつつ、そして白波が分かる程度の言葉に噛み砕きながら支倉は続けた。


「俺はね、街の『時間』には制限が与えられていると思っている。俺たち人間が生まれて、自然と老いていって死んでゆく。それと同じ原理の『制限時間』がね。その『制限時間』の中で起こった出来事が、全てその街の物語なんだ。だから、街が死んでいく時――『終焉』を迎えた時が、その物語の『終演』なんだろうと思う。どういう形であれ『終演』を迎えた物語を、俺は拍手を送ってやりたい。ただ、それだけさ」


 白波は首を傾げ、よく分からないと呟いた。そう言いながらも彼女は諦めずに眉をひそめ必死に理解しようとしている。おそらく糸がぐちゃぐちゃに縺れるような大変な混乱が彼女の脳を支配しているのだろう。


「シラナミ。俺の持論だから、分からなくていいんだよ」

「ええと……その持論は義務、なの?」

「義務じゃない。そう在りたいという、希望」


 勿論俺個人のね、と言いながら、支倉は笑う。


 風は今日も強く、塩の粒を撒き散らしながら二人の間を駆け抜けていった。太陽の光を反射した粒は、きらきらと瞬きながら地上へと再び舞い戻る。その繰り返しだ。


 白波が唐突に足を止め、その細やかな銀の輝きをじっと目で追った。


「きれいね」


 これは何と言う名前? と彼女が尋ねたので、支倉はひとつ頷いて答える。


「『塩の花弁ソルティー・ぺトル』」

「塩の花弁?」

「そう。この大きい塩の結晶が、白い花弁みたいだろう」


 支倉は左手を宙に伸ばし、風に舞う塩粒を掴み取った。そして、白波の前でゆっくりと開いて見せる。彼の手の中で、ざらざらとした塩の粒が星屑のようにきらきらとした光を纏っていた。


「昔、空から水が降ってきた頃に水の結晶が降ることがあったらしい。それを雪というらしいんだが、きっとこんな感じだったんだろうな」


 空から水? と彼女が首を傾げたため、それについて支倉はさらに説明を加えなくてはならなくなった。とはいえ支倉自身が直接体験したことではなく、あくまで伝承として聞かされた部類のことなので、信憑性に欠けると言われたらその通りなのだろう。


 実際、本当に空から水が――しかも塩分の濃度が限りなく低い水が降るなんて、支倉はこれっぽっちも信じていない。そんな夢のような話があってたまるかと幼い頃から考えていたものだ。


 しかし、白波はそうは思わなかったようだ。支倉の適当とも言える説明を、相槌を打ちながら聞き、そして続きが知りたいと何度も何度もせがんでくる。おかげでぼんやりとして輪郭のはっきりしない己の記憶を無理やり引きずり出す羽目になってしまった。


 その苦労の甲斐あって、白波は支倉の回答に大満足だったらしい。にぱっと無邪気な笑みを浮かべ、こんな風に言い出した。


「ハセクラはもの知りなんだねっ」

「物知り、じゃないな。ただそういう風に育てられただけだ」


 『記録者レコーダー』として。その部分は決して口にすることはできなかったけれど。


 一旦繋いだ手をそっと握り返し、支倉はぼうっとしながら蒼すぎる空を仰いだ。

 思えば、彼が覚えていることの大半は『記録者』になるために必要なものであるとして無理やり叩き込まれたものだ。自ら率先して取り込んだものではない。だからこそ、何でも素直に「あれは何?」「どうして?」と自分の意思でストレートに表現し、欲しいだけ取りこんでいける白波のことが羨ましいと思う部分もある。


 自分はどうしてこうなってしまったのか、と。

 おそらくはじまりの地点は彼女と同じであったはずなのに。


 思わず繋いでいた手に力が加わる。


 どうして――


 その時だった。繋いでいた手の中で妙な感触を覚えたのは。


 目を瞠りつつ支倉が視線を落とすと、動揺した様子で白波が己の腕を見つめていた。

 支倉はゆっくりと繋いでいた手を開き、その感触が一体何だったのかを確かめようとする。


「見ないでっ!」


 白波が叫ぶ。彼女がここまで切り裂かれたようなひどい声を上げたのは、初めてのことだった。咄嗟に支倉の手を振り払い、体を丸め自分の姿が彼に見えぬよう必死に堪える。


 しかし、支倉は既にその異物感の正体を見てしまっていた。


「塩……?」


 そう、彼の右手には、今も細かく砕けた塩の破片が残っていた。振り払う残像に微かに見えた彼女のその掌は、初めて見た時は確かに滑るように滑らかな皮膚だった。

 しかし、つい先程彼の手の中にあった手は、ところどころに亀裂が走り、ざらざらとした粒の粗い白の粉にまみれている。ぴし、と小さい亀裂の走る感触が妙に生々しかった。


 白波の細い声が洩れる。その度に、細かい亀裂が増えてゆく。


「シラナミ……?」


 ようやく思考が追いついてきた。支倉が足元で丸くなっている白波へと目線を落とし、ゆっくりと彼女の横にしゃがみこんだ。そして背を擦ってやろうと左手で彼女に触れると、


「やめて」


 鋭い彼女の拒絶を受けた。彼女はそのスミレ色の大きな瞳を濁らせ、小さく震えていた。かたかたと震える度に、歯がぶつかり合う音がする。


「……ごめんなさい。ハセクラ」


 そして、はっきりと言い放った。

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