第一章 (3)

 支倉が滞在していた場所に彼女を連れて戻った後、彼は鞄から手持ちの携帯食料とサプリメント、それから魚を煮詰めて缶に密閉させていたものを取り出した。

 これらが支倉の通常の食事である。勿論、運がよく生きている街に辿り着いたときはもっときちんとした食事を摂るが、そんなことは滅多にない。


 まずいだろうけど、と申し訳なさそうに支倉は言ったが、少女はとてもおいしそうにそれらをたいらげた。携帯食料をここまでおいしそうに食べる人を、正直なところ支倉は初めて見た。


 さて、簡単な食事を終えた後、後片付けをしつつ彼は彼女に色々と尋ねてみた。


 名前は何か、どこから来たのか、など。


 しかしどの質問に対しても彼女は首を傾げ、もしくは沈黙を貫くばかりで何ひとつ答えてはくれなかった。ただ唯一、「どこから来たのか」という質問にだけは、今は閉じている窓に向かって指を差す程度の動きは見せたが。


 とりあえず全てのことは明日にしよう。きっと一晩明ければ、彼女だってもう少し色々と話してくれるようになるだろう。支倉はそう思うのだった。


 自分の黒い前髪をぐしゃりと掻き上げ、足元で膝を抱える少女を見つめる。この夜に耐えられそうもない、かなりの薄着だ。その恰好をどうにかしてやることが最優先事項だろうか。何せ、外は死の塩に満ちた世界だ。生身で出て行ったら、自らもその塩の一部となって体が消滅してしまう。そもそもそんな世界のど真ん中に彼女のような生物がいるというのが不思議でならないが、まあ、それは敢えて追及しないことにする。


「ねえ、ハセクラ」


 彼女に呼ばれふと気が付くと、今まで足元でうずくまっていた彼女はそこにはいなかった。首だけを動かして探すと、彼女はどうやら支倉の持ち物に興味をもったらしく、それらが置いてある部屋の隅に座りこんでいた。そしてその中の一つ、記録用紙を指して言う。


「これは?」


 ああ、と支倉は生返事を返す。


「それは俺の仕事道具だ」


 見てもいいか、と問われたので、彼は適当に首を縦に動かした。普通ならば紙に触れることすら許さない支倉だが、どうせこんな少女が見ても支障はないだろうし、意味も成さないだろう。そう思ったからだ。


 案の定、日付や場所などがびっしりと埋められている紙を見ても、一体何のことだかさっぱり分からないといった表情で彼女は首を傾げるばかりだった。価値が分からない者にはただの落書きにしか見えない――それで構わないと彼も思っていたし、彼女が理解することを期待してもいなかった。


 一応最後までその文字の羅列を眺めた後、ぽかんとしたままの表情で少女は支倉に尋ねた。


「……ハセクラは一体なんのお仕事をしているの?」

「『記録者レコーダー』、だ」


 『記録者』とは? と尋ねられたので、できるだけ彼女に分かるように言葉を砕きながら、支倉は説明してやった。


 支倉が育った家では「記録」をすることを生業としていた。記録の内容は問わない。世界に生きるあらゆる生物の種類を記録した者もいるし、各国の料理のバリエーションを記録した者もいる。とにかくなんでもいい、記録を取りそれを他者に売ることが仕事だった。そういった職業に就く者を、人は『記録者レコーダー』と呼んでいる。『記録者』が書く記録にはとても価値があり、上手に使えさえすれば億万長者も夢ではない。だから、記録者は自分が売ると決めた者以外に自分の記録を決して見せないし、相応の防御策を講じるのだ。


 支倉の場合も例外でなく、十歳を少し過ぎた頃記録を取るために家を出た。調査の内容はもう決めていた。


 世界で一番綺麗なものを見つけること。

 塩に埋もれてしまったこんな世界でも、きっと呼吸を忘れてしまうくらいに素晴らしい光景があるはずだ。そう、あまりに美しすぎて「このまま死んでも構わない」と思えるほどの凄まじい光景が見たかった。ならば、「塩」の計測を行うことが実現の近道だろう。「塩」のメカニズムが分かれば、どういった自然条件でどういう景色が現れるのか、そういったことを知ることができるはずだ。


 そこまで話すと、突然支倉は黙りこんだ。少女は一体どうしたのだろうと俯いた彼の顔を覗きこんだが、刹那彼は自嘲めいた笑いを口元に湛えた。


「つまり、ただ知識欲を満たしたいだけなんだ。俺は」

「ちしきよく?」

「お嬢さんみたいに、何でもかんでも『知りたい』と思うことだ」


 さて、と支倉はカンテラに手を伸ばし、静かに明かりを消した。橙色の暖かさに包まれていた小さな部屋は突然冷たい暗闇へと変貌し、すぐに互いの顔が見えなくなった。支倉は滑り込むように、あらかじめ引いていた薄手の毛布に寝そべる。


 実は彼女を連れてきた時に、一応自分以外の客、それも相手が少女ということで、そちらに毛布を貸し自分は直接床に寝ようとしていた。しかし、彼女がそれを良しとしなかったのだ。


「一緒に眠ればいいでしょう?」


 頑として譲らない少女に、とうとう支倉が折れた。

 そういう訳で、今支倉の横には彼女が横になり安らかな寝息を立てている。長い髪がまるで絹のように緩やかに広がり、支倉の腕に絡む。ちなみに彼の左腕は今、彼女の枕である。


 無防備に瞳を閉じる彼女を黒の双眸でぼうっと見つめ、それから支倉もゆるゆると同じように瞳を閉じた。


 まさかこんなことになるとは思っていなかった……。


 そんな心の声が、支倉の脳裏で鐘の音のように何度も何度も繰り返し響き渡っていた。


 夜は、次第に更けていく。

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