第20話

 試合開始の合図と共に66㎏級の試合が始まった。

 構えの状態から相手を伺う海生。


 外野からは「腰を低く落とせー」という声が聞こえる。

 少し可笑しいという気持ちが、海生の中に込み上げてくる。


「部活が変わっても言われることが同じなんて」


 小声で呟く海生。

 バレーボールをやっていた時は、どんな高さに飛んできたボールにも対応出来るように、出来るだけ腰を低くして構える必要があった。


 レスリングでは相手を懐に入られないようにするために、腰を低くして相手からタックルに入りにくい姿勢を作る。


 右手で距離を計り相手を牽制していると、相手が焦れてタックルに入ろうとしてきた。


 それじゃ甘いよ。

 海生は心の中でそう呟く。無理な体勢で技を仕掛けても、うまく決まらないことを海生はこの一ヶ月間で学んだ。


 よほど腕力や実力に差がなければ強引に持っていくのは難しい。


 タックルを仕掛けてきた相手を両腕でしっかりとガードし、今度は組み合いに持ち込んだ。


 練習で何度も体に覚え込ませた手順を思い出す。

 一歩目の右足で相手の懐に入り込む。

 二歩目の左足は右足の側にそろえて軸足を作る。

 そして軸足を起点に体を半回転させる。


 組み合った状態から一歩目を踏み出すと、相手に警戒されてしまい回避されてしまう。だから一歩目は……


「流れの中で作る」

 海生は組み合った状態で自分の体ごと相手の体を引き寄せた。


 その時、わざと自分の右足をその場に残したのだ。


 そして次の瞬間、海生の首投げが綺麗に決まった。体に覚え込ませた手順は、驚くほど綺麗に、そして考えるまでもなく勝手に動いていた。


 相手は抵抗しようとするも、そのまま袈裟固めが決まっていて身動きを取ることが出来ない。


 1ラウンド開始40秒。

 フォールを決め、この試合は海生の勝利となった。


 海生が勝利した試合が終わると、海生の試合を観戦していた幸隆が走りよってきた。


「すごいじゃないか海生。デビュー戦でフォール勝ちなんて」


 海生は照れながら幸隆に返答を返す。

「そんなこと無いよ。幸隆の方が凄いじゃんか」


「んーん海生は凄いと思うよ?」

 美優も海生の試合を見ていたらしく、すぐ近くまで来ていた。


「普通はじめての試合で、はじめて一ヶ月であそこまで完璧に技を決められないよ。幸隆の方は実質二ヶ月多く練習してることもあるし、さすがだったけど」


 照れ臭さが頂点に達した海生は、その場から急いで離脱しようとする。


「あ、あんまり調子にのせないでください。それで失敗する性質たちなんですからっ……トイレ行ってきます」


 トイレへ向かった海生を見送りながら美優が呟いた。

「海生可愛いな」


 それに対して幸隆は、

「俺男だけどそう思います」

 と答えた。


 幸隆は気づいていない。その言葉は必要以上に美優を喜ばせることを。


  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

「ふぅ」

 幸隆と美優の誉め殺しから逃げた海生はトイレで一息着いていた。


「俺、勝ったんだ」


 口に出してみて実感が沸く。そして思い出す。

 試合に勝った瞬間を。


 嬉しかった。今まで味わったどんな瞬間よりも。

 自分の力で掴みとった。自分だけの力で掴みとった。


「くうっ! 辞められないよこんな嬉しさ味わったらもう」


 今胸を張って言える。レスリングが好きだと。バレーボール部で味わえなかった感動を、今海生は味わっている。


 まだ個人戦は終わらない。次の試合に向けて、気持ちを新たにした海生だった。


トイレを出ようとした海生は、いきなり後ろから声をかけられた。


「海生勝ったんだねおめでとう!」

反射的に笑顔になりありがとうと答えた海生。だがこの場所にいるはずがない、いてはいけない存在がそこにはいた。


「何で男子トイレにいるんですか優香先輩!」

そうここは男子トイレなのだ。

女性である優香がいて良い場所ではない。


「いやぁ出るタイミング逃しちゃってさ。入るのは以外に簡単だったんだけど」


「いやもうどこから突っ込んで良いのか解らないですけど出ますよ!? 幸い今は人いないですし」


優香は海生の後ろに隠れながら男子トイレを後にした。


「いやぁ男子トイレってちょっと興奮するね!」


「お願いですからちょっとは言い訳とかしてください。あれ下手したら捕まってますよ?」


少しも悪びれる様子がない優香に、海生は呆れてしまっている。

ちなみに優香は何故かほんのり顔が赤みがかっている。


「海生さんお願いします何でもしますからこの事は言わないでください」

優香からのお願いに、特に何の感情も込めず海生は答える。


「誰にも言いませんよ別に。それに優香先輩が変態なのはここ一ヶ月で慣れましたし」


「え? 女の子が何でもするって言ってるのにエッチなこと何も要求しないの?」


何を要求されると思っていたのか、優香は少し残念そうな顔で呟いている。


「俺を何だと思ってるんですか優香先輩。まぁでも……」


海生は優香の耳元に口を近づけ、

「パンツぐらいなら見せてもらうかもですね」

と呟いた。


優香は顔を真っ赤にしてうつ向く。

「か、海生もそういうこと言うんだね」


「冗談ですよ。それに男同士だと割と下ネタ言いますし。女の子の前では言わないけど……」

珍しく恥ずかしがる優香に、あくまでそっけない態度で答える海生。


「あれ? ねぇ海生。それって私を女の子として見てないってこと?」

先を歩く海生に、袖を引っ張りながら問いただす優香。


その発言を無視し、そのまま歩き続ける海生。


「ねぇ海生ってば」

海生は袖を引っ張られながら、開場に戻り次の試合の準備をした。

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