第5話
さっそく練習に参加することにした海生は、まず靴を選ぶことから始めた。練習用の靴は、過去に先輩達が使っていた靴がいくつかあり、一番サイズが近いものを履くというものだった。
部員は今のところ集まっているのは全員で十名ほど。
そのうち一年生は海生も含めて三人。昨日の練習の見学者の一人だ。
名前は
昨日の見学者で入部をしなかった者は、プロレスとレスリングが同じものだと思っていたらしく、違うと解って去っていったらしい。
これは紀之から聞いた。ありがちな勘違いだ。海生も試合中に着るユニフォームの乳首の件があったのであまり人に言えない。
詳しい違いはわからないが、プロレスは打撃技有りのリング上で行うもので、レスリングは打撃技無しのマット上で行うもののようだ。他にも色々と違いはあるのだろうが、海生はあまり良く知らない。
三年生は龍生先輩をはじめ三人。二年生は四人で、二、三年生で合計七人になるらしい。
最初の準備運動を終えると、さっそくヤクザもとい上地先生が直々に新入部員二人に構え方を教えに来た。
「じゃあ最初は私が教えるから、細かいところは実際に練習のなかで身に付けていくと良いよ」
ヤクザは見た目に反して口調だけじゃなく教え方も丁寧だった。
「まずは足を肩幅と同じくらいに開いて両手を膝におく、そこから背筋を伸ばすんだ。
次に膝においていた手を前に出す。これが基本の構えになるからこれを崩さないように動けるようになること」
言われた通りに膝に手をおいてから背筋を伸ばし、そして手を前に出してみる。練習を見学した時も思ったが、やはりバレーボールの構えに似ている気がする。
「おっ海生はもう出来てるというか様になってるね。そのまま前後左右に動けるようにしてごらん」
この構えのまま動くことなんて造作もない。バレーボールでずっとこの体制で動いてきたのだから。
「あれおかしいな?」
紀之はというと何故か背筋が伸びきっておらず、姿勢を正そうと四苦八苦していた。
もともと猫背だったりするのだろうか?
「ちなみに海生。なんで手を前に出すかわかるかな?」
「えっと……相手を牽制するためですか?」
海生は両腕をを前に出して牽制するような仕草をする。
「それも間違いじゃないね。手を前に出すのは相手にタックルを入らせないようにするためでもあるんだ」
ヤクザもとい上地は、海生にゆっくりとタックルに入るモーションを起こす。
すると海生は特に意識した訳ではないが、自然と前に出していた両手で上地の肩を受け止め、タックルに入るのを阻止した。
「そう、そんな感じだ。じゃあ逆に自分がタックルに入るときはどうにかしてこの腕をどかさなきゃいけない」
そう言葉を続けながら、上地は海生の出されていた手首をつかんだ。姿勢を低くしながら掴んだままの腕を自分の肩の上から後ろに持っていき、その手を離すと同時にそのままタックルに入った。
「この入るか入られるかの駆け引きを制した方が勝つというような感じだね」
「なるほど」
受け身も取れずに転倒しながらも、海生は納得して頷いた。
「後は組み合いになってからの駆け引きなんかもあるんだけど、それもどんどん教えていくから」
新しく入ってくる知識と技術に海生は久方ぶりにワクワクした。
少し早いけど、と前置きをされて技の基礎まで教えてもらった。技の種類はタックルと投げ技だ。
タックルにも投技にも幾つか種類があるらしく、教えてもらったのは基本となる正面からいくスタンダードなタックルと、投技の基本である一本背負いだ。
「技自体は色んな種類を覚えてまんべんなく使えるのが理想だけど、得意技を見つけるのも良いかもしれないね。自分が気に入った技のほうが覚えるのが早くなったりするから」
上地はそう言って基礎を教えてくれた後練習全体を見るのに戻り、10分ほどの休憩になった。
飲水を準備していたマネージャーの先輩たちが部員にコップを渡していく。
「入部してくれたんだね」
声をかけて来たのマネージャーで二年生の先輩の美優だ。
「どう? 仲間は出来そう?」
「仲間ですか……」
正直一年生としか話していないが、どうなのか良く分からない。紀之は仲良くなれそうな気はするし、幸隆も悪い奴ではないと思う。
「個人的には相棒とか出来てくれると嬉しいかな。その方が妄想が捗るし」
二言目は声が小さくて聞き取れなかった。相棒となると仲間や友達よりハードルが高い。
練習しているうちに仲良くなることも出来ると思い、欲しくないわけではない相棒の提案に純粋に答える。
「相棒欲しいですね。相棒って呼べるほど仲が良くなってくれる奴がいればの話ですけど」
「そっか……欲しいんだ……」
何故か少し機嫌がよくなった美優は、150センチ程度しかなさそうな小さな体をいっぱいに伸ばし海生の頭を撫でてきた。
「よしよし憂い奴じゃ」
「っ!?」
予想外の行動に変な声を出してしまう海星。年上とは言え、女性から頭をなでられるのは思春期の男子にとって異常に恥ずかしい。
「せ、先輩恥ずかしいです……他の人達も見てますし」
「おーい美優! なんだ気に入った奴でもいたのか?」
笑いながら声をかけてきたのは、ガタイが良く背の高い短髪の頭を丸めた先輩だった。
「
180センチはありそうな背の高いガタイの良い先輩は快活な笑みを浮かべ、こちらに近づいてくる。
「気をつけろよ一年生。いつ何のネタにされるか分からないからな?」
「ネタ……ですか?」
何の話か解らずに首を傾ける。
「余計なことは言わなくていいです」
その続きを美優が遮る。気になってしまいその理由を問おうとすると、
「海生。知らない方がレスリングを楽しく続けられることもあると思うの」
その言葉をいう美優は、これ以上話すことを許さないとでもいうような、不気味な笑みを浮かべていた。
休憩が終わり、前半の練習で上地から教えてもらった事の復習をしながら紀之と組んで練習をする。
タックルは構えた状態から相手の懐に飛び込む際の足の位置が大事だ。
相手の両足を自分の両腕で抱え込みバランスを崩させることで相手を倒しやすくなる。
投げについては一本背負いだ。組み合った際に、左手の小指を相手の腕の関節にひっかけ、頭の後ろに回していた腕を相手の右腕の脇腹に下から回し、一歩踏み出した右足を軸に体を半回転させ相手を背負って投げる。コレは意外に難しい。
構えからはじまり、一日目でこの情報量の多さは海生にとってはかなり覚えるのが大変そうだったが、今はそれを教えてもらえた嬉しさでいっぱいだった。
バレーボールを始めた時はこんなに一気に教えてもらえたことはなかった。その日の練習は構え、タックル、投げを練習して部活の終わりの時間となった。
「海生お疲れ。まだ続けるのか?」
声をかけてきたのは幸隆だ。練習時間が終わる時間だったが、まだ着替えずに練習を続ける海生。
先輩方も気にかけて声をかけたりしていたが、海生の答えは、
「もう少しだけ続けたくて」というものだった。
練習自体は幸隆がやっていた投げの練習。
壁の板に打ち付けられている柔道着の帯を使って投げの手順を体に覚えさせるものだ。
「一日目から飛ばしすぎたら体がもたないぜ? 休息も取って体を鍛えなきゃだ」
心配する幸隆に他の面々も駆けつける。
「そーだよー」
「頑張り屋なのは良いことだけど、体壊しちゃ元も子もないし!」
マネージャーの美優と優香も話に割り込んできた。
初日というのは特に、慣れない環境のせいで疲れが一気に出たりする。それを解っているのだ。
「ありがとうございます。でも、皆が帰る間のもう少しだけ。俺、まだレスリングの事が好きかどうかは解らないんです。でも、好きになれそうな気がするんです」
中学の頃は好きだと気づくのが遅かった。本気になるのが遅すぎた。間に合わなかった。
気づける場面はあったのに。頑張るきっかけもなかったわけではないのに。
だから今度はそうはならない。出来る時に、出来るうちに努力を積み重ねておきたい。
「好きになれた時に後悔したくないから……」
噛み締めるように話す海生に誰も何も言えず、
「そうか……じゃあ少しだけ練習付き合ってやるよ」
幸隆が練習相手を申し出る。
「えっ? いや悪いよ幸隆は先輩方と同じ練習量こなしてるのに…」
「俺がやりたいんだよ。それに、投げ技は練習相手がいた方が実践しやすい」
そう言って練習を始める二人を、マネージャーの二人は口許を綻ばせながら見守った。
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