第9話
帰宅時間は午後十二時半。
トウジは玄関の鍵を開けて誰もいない空間に「ただいま」と一言声をかけてから学生鞄を靴箱の隣に下ろした。
地元の中学校に通っている妹の方が先に帰ってきているかと思ったがどうやらいない様子。もしかしたら一旦帰ってからそのままどこかへ出かけたのかもしれない。
そう思ってリビングへ行ってみるとどうやら先に帰った妹が用意したらしいチャーハンとサラダがダイニングテーブルに置いてあった。
「あたためてからたべるよ~に」
丸っこいひらがなの書置きが置かれ、お皿に用意された昼食は丁寧にラップがされていた。
まったく、よくできた妹だよ。
トウジは心の中で妹に感謝をして両手を合わせありがたく頂いてから二階の自室に戻る。着替えをしようとトウジが学生服の上着をハンガーにかけようとした時に胸元に妙なごわつきがあるのを感じた。アオイからもらった祝儀袋だ。
トウジはポケットから取り出して袋を開けた。中には折りたたまれたA4サイズの紙が入っている。なるほど、そういえばメッセージだと言っていたな。
『トウジ君、横州高校へのご入学おめでとう。
あんなにも小さくて可愛らしかったトウジ君がもう高校生になってしまったのかと思うと、なんだか嬉しいような淋しいような気がします。トウジ君もサキちゃんも元々あまり手のかからない子だったけれど全く手がかからないというのもそれはそれで結構淋しいものなのです。こうして成長してほとんど手がかからなくなってしまいましたが、私は今でも君たちの姉なのですからもっと頼ってくれてもいいのですよ。
トウジ君が横州高校に入学したことは素晴らしいことで私としても誇らしくはあるのですが、君が無理をしていないか少々心配です。トウジ君はきっと否定するでしょうし絶対に認めないでしょうけれど、君が案内人になったのも横州高校に推薦入学したのも全部サキちゃんや私のためなのでしょう?
案内人の仕事をしているのもトウジ君は「師匠と呼ぶその人に憧れたから」と言うけれどそれは理由のほんの一部であって最大の理由はお金のためではないでしょうか。
トウジ君がサキちゃんに苦労をさせたくなくて、私にも負担をかけたくないって思っている事は分かっています。そのことが良いとか悪いとか言うつもりはないのだけれど、私にはやっぱりそれがちょっと淋しいのです。そんなわけでトウジ君が私立高校に一般入試で行きたがっても大丈夫なように用意していたお金の一部を入学祝として渡すことにしました。
私としては用意していた全額をあげたいのですが、それだとトウジ君は絶対に受け取ってくれない気がするのでだいぶ減額しています。私もこうして妥協したのでトウジ君も諦めて受け取って下さい。
あらためてご入学おめでとう。
トウジ君が立派に逞しく成長していることは姉として素直に嬉しく思っていますよ。
内海 葵 より』
やれやれ、なんというかアオイ姉さんらしいや。
祝儀袋の奥に一緒になって入っていたトウジ専用のマネーカードを手に取った。トウジはそれを掲げて苦々しくも微笑ましげという器用な表情を浮かべた。
さすがにこれは突き返すことはできないかなぁ、と呟くとお礼の連絡をするべく携帯端末を手に取ったものの途中でやめる。こういうのは直接会って言った方がいいだろう。
そう思いなおしてトウジは入学式に来てくれた簡潔なお礼と今晩自宅にお邪魔してもいいかという旨のメッセージを携帯端末で送った。
それにしてもやはりと言うべきかアオイ姉さんには隠し事はできないらしい。
実際は当たらずとも遠からず、といった感じなのだがアオイの書いた内容を否定する材料は見当たらない。
もちろんトウジには自分が無理をしているという自覚はない。
しかし仮に自分にサキという妹がおらずアオイがいなかったとしたらこうして案内人になることも横州高校へ進学することもなかった可能性が高い。
とはいえ、トウジには自分を犠牲にしているとは全く思っていない。
トウジはこの現状をあるべき姿に落ち着いただけだ、と考えている。
今朝、岡多津美にどうして案内人になったのか? と問われたトウジは、気が付いたらなっていた、と答えたがそれは決して嘘ではない。
トウジとしてはアオイが気に病む必要はないと思っていた。
しかし、そういう風に思ってくれるアオイの態度にトウジがある種の心地よさを感じているのも事実なのだ。
手元のマネーカードはありがたく頂戴して、将来的にサキが必要になった時に使えばいいだろう。そんな風に考えるあたりトウジもアオイと似た者同士なのだが、自分のことを棚上げしている自覚はトウジにはない。
トウジは手紙とマネーカードを祝儀袋に戻してそれを勉強机の一番上の引き出しにしまうと、あらためて着替えをしてジーンズに襟付きシャツというラフな格好になった。
トウジは壁に立てかけておいた黒いケースに手を伸ばしベッドの上に腰掛ける。
ケースの中から取り出した長物は刃渡りが70cmほどある漆黒の太刀。
なだらかな女性の背中のような曲線を描いた刀身は艶やかに光を反射させ妖しく輝いた。トウジは刀の切っ先を愛おしげに眺めた後、両手で柄の部分を握ると両目を閉じて心の中で強く念じた。
「師匠、うらら師匠。聞こえますでしょうか」
ほどなくして子供っぽさの残る可愛らしい女性の声がトウジの頭に直接響く。
「やぁ、こんにちは。入学式は終わったかの」
「ええ、おかげさまで無事に終わりました」
「そう。なにはともあれ入学おめでとう」
「ありがとうございます。ところで師匠。今からいつもの森に遊びに行っても構わないでしょうか。明るいうちに会っておきたいのですが」
「構わんよ。我は常に暇だからの。トウジが来てくれるなら我もそちらに向かおう」
「それなら一時間ほどでそっちに向かいます。新しい着替えも用意したので持っていきますね。他に必要なものは?」
「ありがとう助かるよ。できればチョコレートを食べたいの」
「ええ、もちろんそれも用意してあります。それでは、また」
そうトウジが心の中で呼びかけると同時に師匠の声は聞こえなくなった。
トウジは太刀を通じてうららと会話ができるのだ。トウジの持つ太刀は職人が作ったただの太刀ではなく、うららがトウジのために用意した世界でたった一つの特別な代物だ。
トウジが純血種ながら案内人として今まで無事に生きていられるのもほとんどがこの武器のお蔭なのだ。それは自身の実力に見合わない過ぎた代物であるという自覚がトウジにはあった。いつかはそんなうららの好意に報いるためにもこの太刀に見合った実力をつけたいとトウジは強く願っていた。
大きなリュックに新しい服とチョコレートを詰め込むと家をでてケッタルーに乗った。
ケッタルーとは自転車にとてもよく似た二輪車の商品名だ。
中部地区の有名なバイクメーカーによって開発されたヒット商品で、中部地区で自転車を意味する「ケッタ」とフランス語で車輪を意味する「ルー」が名前の由来。
前輪と後輪がありサドル、ハンドル、そしてペダルもある。ただし、チェーンはない。
乗り方は自転車と同じなのだがニッケル水素バッテリーを内蔵しておりペダルに全くトルクが発生しないのが特徴だ。電動アシスト自転車の進化系であり漕ぐペダルの速さに合わせてスピードが変わるため自転車と同じ感覚で運転ができる特徴を持っている。
そのため自動車やオートバイの免許が取れない学生が好んで使う乗り物なのだ。トウジはペダルに足をかけると待ち合わせ場所へ向かった。
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