第5話
トウジは受付でプリントを受け取り一年生の教室へと向かった。
クラスはA組からH組までの計8クラス。各クラスの入り口にはクラス分けの張り紙が貼られており、クラスの入り口の前にはがやがやと騒がしい人だかりができていた。
トウジが人波をかき分け張り紙を眺めながら自分はどのクラスなのだろうと名前を探していると背中をポンと叩かれる。
「良かったですね、トウジ君。私たち同じクラスみたいですよ」
振り返れば岡多津美の人懐っこい双眸が覗き込むようにしてこちらを見つめていた。
猫みたいに大きな瞳とぶつかってトウジはどきまぎしつつも平静を装って返事をする。
「ああ、岡さんか。それ本当? 俺、まだ自分の名前見つけられてないんだけれど」
「ほらこっちです。H組に名前ありますよね。トウジ君は出席番号9番に」
多津美の指差す方を見てみると確かにそこには豊田冬慈と書かれていた。
「あ、本当だ」
「それでは、一年間よろしくお願いします」
「うん、こちらこそよろしく。まさか本当に同じクラスになれるとは思わなかったな」
「ええ、嬉しいですね。それでは教室に入りましょうか」
教室には既に半数ほどの生徒が窓側の方から出席番号順に着席しておりトウジの席は窓側から二列目で前から二番目の席にあった。出席番号順のため席は男女できっちりと分かれており岡多津美の席はだいたい教室の中心より少し廊下寄りに位置していた。
いくら多津美と知り合いとはいえ女子エリアの方に行ってまで話に行くのは躊躇われるのでトウジは自分の席に座って時間が来るまで大人しく待つことにした。
暇つぶしに受付で貰った本日の予定と書かれたプリントに目を通しているとこちら側に近づいてくる男子生徒の姿があった。その生徒はそのままトウジの近くに座るのだろうと思われたが意外なことにトウジに話しかけてきた。
「やぁ、どうやら君とは隣同士のようだね」
「ん、そうみたいだね」
初対面の相手だろうが構わず親しげしてくるのはハイブリットの習性なのだろうか、とトウジは頭の片隅で考えつつ返事をする。
「僕は狩谷ナガレ、流れるという字を書いてナガレだよ」
「俺はトウジだ、豊田冬慈。よろしく」
「こちらこそよろしく。珍しいね、トウジ君は純血種みたいだけれど」
「ああ、そうなんだよ。思った以上にハイブリットばかりで正直戸惑っている」
トウジはおどけた口調でそう答える。
間違っても内心では、イケメンめ、ああイケメンめ、イケメンめ。などと思っていることはおくびにも出さない。
「ふ~ん、そう。それにしても綺麗な黒髪だね」
ナガレは目を細めると手を伸ばしていきなりトウジの前髪に触れた。
突然、前髪を触られたトウジは背筋に薄ら寒い感覚を覚えつつおそるおそる尋ねる。
「お、おい。お前まさか、そっちの趣味の……」
「ああ、ごめん。ついついあまりに綺麗な黒髪だったから」
そう言って、ナガレは慌ててトウジの前髪から手を離した。
「それは答えになってねぇよ。悪いが俺には同性愛的な趣味はないぞ」
「ごめんごめん、僕もそっちの趣味はないってば」
ナガレは右手をブンブンと振って疑われたその趣味を否定した。
二人の会話を聞いていたのだろう。
どこからともなく「残念、ないのね」という不穏な言葉が女子エリアから呟かれるのがトウジの耳へと聞こえてきた。
おいちょっと待て。誰だ、今、呟いた奴。
慌ててトウジは女子エリアの方に目を向けたが声が聞こえたあたりには美しい顔をしたハイブリットの女子生徒達が数人かたまって座っていた。
おそらく彼女達の誰かが呟いたのだろうが誰が言ったのかまでは特定ができない。
こんな天使みたいな顔をしているのに腐っているのか、とトウジは戦慄を覚えた。
この『腐る』という表現は純血種時代の後期に誕生した同性愛愛好者を指す言葉でとりわけ男性同士の恋愛を好む女性に対して使われる言葉だ。
トウジは気を取り直してナガレの方へ顔を戻した。
「ふう、焦らせるな。入学早々、いきなりヤバいのに目を付けられたかと思ったぜ」
「ははは、さすがにその趣味はないってば」
別の意味でヤバい奴に目を付けられたがな、という言葉はどうにか飲みこんだ。
「俺としては君たちのようなカラフルでサラサラな髪質の方が羨ましいのだが」
「そう? 僕は日系純血種の黒髪が羨ましいけどね」
「ハイブリットは外見だって整っているだろ。髪よりもそっちが羨ましいよ」
「そうかな。そういうトウジ君だってなかなか綺麗な顔していると思うけど」
そうナガレが言った瞬間
「はぁはぁ、いい、良いわあの二人……」
吐息交じりの興奮気味な呟きが女子エリアから聞こえた。
トウジは頭を抱えたい気持ちを押さえつつ敢えてそれを無視してナガレとの会話を続ける。
「綺麗って嫌味かよ。残念ながら容姿でハイブリットの足元にも及ばないことくらいは自覚しているさ。それに知力にしても身体能力にしても平凡な純血種には限界ってものがあるんだ。ハイブリットを羨ましいと思わない純血種は稀だよ」
「そういうものなのかな」
「そういうものなんだよ。隣の芝は青いものだけれど、純血種の持つ芝とハイブリットの持つ芝の色は明らかに違うからな。総合能力ではどうしても勝てない」
「君はそう言うけどさ、この社会を回しているのは基本的に純血種だろう?」
「単純に人口が多いだけだ。次第にそのバランスも崩れてハイブリット中心の社会になるだろうよ。まぁ、権力者に純血種が多い理由は多分それだけじゃないけどね」
「それだけじゃないって?」
「純血種はハイブリットと比べて欲深いんだよ。君たちにはピンとこないかもしれないけど」
「欲深い、ね。それはトウジ君もかい?」
「当然、俺もだよ。欲望ってやつは純血種にかけられた呪いみたいなものだ。純血種は欲望故に無駄な苦悩をしなければならない」
「いいね、それ」
「どこがだよ」
「僕達よりも純血種の方が生とちゃんと向かい合っている気がする。多分、気のせいじゃない」
「おかげで純血種には自殺という文化がある。緊急時の例外を除いて君たちには殆どない文化がね」
トウジは皮肉じみた言い草でニヤリと自嘲的に笑った。
丁度そのタイミングでスーツ姿の女性がバインダーを片手に教壇側の扉から入ってきた。
スーツを着ているからには教師なのだろうが制服を着ていたら生徒でも通用したかもしれない。
ローズピンクの髪は赤いリボンでポニーテールに束ねており顔だけ見れば活発な少女のような趣がある。しかしながら服の上からでもそのボリュームが分かるくらい胸が大きくグラマラスな体型をしているため大人の色香までは隠しきれていない。
これに関しては絶対にそうだとは言いきれないものの、女性の場合は高次世代ほど胸が大きくなりやすいという傾向があるため、おそらくこの教師は第二世代以上のハイブリットである可能性が高いだろう、とトウジは思った。
我ながらどこを見て判断しているのやら、という若干の自己嫌悪を覚えつつあらためて彼女の耳に注目する。リセットと第一世代なら耳の尖り具合でだいだい判別できるのだ。第二世代以降はその特徴が薄くなるため外見からの世代判別は難しくなる。彼女の耳を見ると純血種と同じような耳の形をしておりトウジが最初に思った印象を裏付けていた。
「みなさん、ご入学おめでとうございます。私は今後一年間、みなさんのクラスの担任を務めることになりました、かねこやとみです。よろしくお願いします」
彼女はペンの形をした機械を左手で握ると電子ボードに金子夜兎美と漢字で書いて、ぺこりと丁寧なお辞儀をした。その凛とした立ち居振る舞いにトウジは思わず息を呑んだ。
品質が高い、という表現を人に使うのはおかしいかもしれないがトウジが担任教師に抱いた印象はそれだった。品があって、質が高い。これはいい先生にあたったかもしれないな。
「もうすぐ廊下に整列をして入学式に向かいますので自己紹介はほどほどにして、簡単に今日の予定を説明いたします。まずは九時半から入学式です。進行に関しては受付でもらったプリントの通りになります。十時半には式は終わりますので、その後はこちらの教室に戻ってホームルームです。ホームルームでは皆さんにも自己紹介をしてもらい、その後に私から明日以降の予定をお話しますのでよろしくお願いします。何か質問があれば挙手してください」
金子教諭は教室を見回して挙手のないことを確かめるとこくりと頷いた。
「それでは時間になりましたら、廊下に並んでから体育館に向かいます。出席番号順になるので窓際の席の人から順番に廊下に出て整列してください」
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