第4話
横州高等学校はトウジの住む郊外から公共交通機関で15分ほど先にある片田舎に位置している。ここでいう公共交通機関とはいわゆるトレインのことなのだが、この時代の電車は酸化還元反応の際に行われるイオン交換を利用した大型燃料発電機でモーターを動かしておりその燃料は水素だ。
そしてその水素を作り出す元となるのが海水なのだが、海水から水素を取り出すためにトレイン用燃料発電機内では更に三重水素を利用した核融合によって作られた電気を使ってわざわざ電気分解をしている。何故、核融合という高度な発電技術を直接利用しないのか言えば単純に危険なためだ。最低限の核融合反応を用いるものの一旦それを水素に置き換えることで安全を保障しているのだ。
今では発電の大半が水素で行われており化石燃料で文明を動かしていた時代と比べて随分とクリーンな社会になっていた。
ちなみに昔とは違って大型発電所が都市の電気を担っているわけではなく、各家庭や各機関が個々で所有する水素発電機が独立して発電を行っているためこの時代には水素ステーションはあるものの前世代的な大型発電所というものは存在しない。よって電線や電柱といった過去の遺物はほぼ見ることができないのだった。
トウジは横州駅に到着してトレインから降りると駅の高台からその景色を眺めた。駅周辺こそ商店や飲食店がならぶものの少し遠くに目をやればそこには畑や田んぼが並んでおり田舎特有の青くさい香りが風と共に吹かれてトウジの鼻孔をくすぐった。
どれだけ科学技術が発達しようとも農業の基本は変わらないらしい。
横洲高校はそんな自然あふれるなだらかな丘陵地帯の一角に位置していた。高校は赤茶色と白をベースにしたレンガ模様の建物で一見して歴史を感じさせる造りだが、ある事件を切欠に校舎は改築されており実際は見た目に反して築八年。遠くからでもその建物の大きさと敷地の広さはよく分かり、校舎の南側と東側には二つ別々の大きな運動場が見えていた。
いいところだな、とトウジは新たに始まる高校生活に胸を膨らませた。
さてそろそろ校舎の方に向かおうか。
トウジが駅の出口へと歩き始めると後ろから声をかける者がいた。
「おはようトウジ君」
振り向くと栗毛色のさらさらしたショートヘアーがよく似合う綺麗な少女が立っていた。小学校から付き合いのあるトウジの幼馴染で岡多津美という第二世代のハイブリッドだ。シュロムの血が混ざっているだけあって整った顔立ちをしており薄紫色をした瞳が印象的な美しい女の子だ。
「おはよう多津美、そういえば同じ高校なんだっけ」
「ええ、よろしく。正直トウジ君と同じ高校に通えるとは思いませんでしたよ」
「そうだね、多津美は常に学年トップだったから俺とは雲泥の差だ」
トウジが自嘲気味に言うと多津美は慌てて両手を顔の前でぶんぶんと振る。
「あ、いえ、ごめんなさい。そうではなくてですね。単純にトウジ君と同じ高校に通えるってことが嬉しいんですよ」
はにかむようにして頬を人差し指でかく多津美に対してトウジは参ったなぁと思った。
相変わらず多津美は可愛いうえに人懐っこすぎる。
アオイ姉さんにしてもそうなのだがハイブリットの人たちは抱いた好意を隠そうとしない人が結構いるのだ。
その好意が特定の相手に向けられたものであるのならばまだ良いのだが、それが誰に対しても当てはまるので性質が悪い。つまりトウジの抱いた、参ったなぁ、という感情は要約すれば勘違いして好きになっちゃったらどうしてくれるんだよ、という類のものだったりする。
しかし、もう手遅れなのだろうなぁ~ とトウジは内心そう思ってもいた。
これが恋心かどうかはともかく、好きか嫌いかで言えば断然好きなのは間違いないのだから。
多津美の言葉に対してどう返事をしようか迷ったものの
「ま、まぁ、とりあえず立ち話もなんだから歩きながら話そうか」とトウジは言った。
多津美は、うん、と頷いて屈託ない笑顔でトウジの横に並んだ。
近い、近いってばっ。などと心の中で叫びつつトウジは再び参ったなぁと思う。
「それにしても純血種なのに凄いですよね。トウジ君、推薦でしたっけ?」
「いや、まぁ、俺の場合は学力で推薦合格したわけではないから」
「たしか、案内人としてでしたよね。もしかして背中に背負っているそれって案内用の道具なのですか?」
多津美はトウジが背負った黒くて細長い革製のケースを指差して言った。
「入学式なのにもう持ってきているんですね」
「まぁ、必需品だからね。中学の時とは違って生徒の殆どがハイブリットの人たちだから。今までは純血種が大半だったけれどこれからは俺のほうがマイノリティなわけだし」
「そっか。もしも私に何かあったらトウジ君が案内役をお願いしますね」
「やめてくれよ。縁起でもない」
トウジが嫌そうにそういうと多津美はクスクスと笑った。
「冗談です。でもトウジ君、大丈夫なのですか? 私、心配ですよ」
「君も妹と同じことをいうんだ」
「そりゃ心配しない方がおかしいですよ。トウジ君が強いことは知ってますけど、腕相撲したら私の方が勝っちゃうんじゃないですか?」
多津美はそういってグッと握りこぶしを作った。
一見して華奢で力強そうには見えないが第二世代の女性の平均握力を考えるとどれだけ少なく見積もっても優に150㎏は超えているはずだ。
「多津美の実家は古武術道場でしょ? 多分、腕相撲じゃなくても勝てないんじゃないかな。ところで多津美って握力いくつあるの?」
「去年の四月に計った時は、たしか380kgくらいはありましたね」
ゴリラじゃん!
「酷いですね。ゴリラはあんまりじゃないですか?」
思っていた心の声がどうやら口に出ていたらしい。
ぷんすか、と可愛らしく怒る表情の多津美にトウジは、ごめん、と謝った。
「でも380㎏って第三世代の男性並みじゃない?」
「第三世代の男性ならもっとあります。だいたいトウジ君こそ握力いくつなんですか?」
「確か去年の時点で230㎏あったかな?」
「人のことさんざんゴリラ扱いしておいて、君も十分、純血種を止めてるじゃないですか」
「ははは、そうかな?」
トウジは誤魔化すように頭を搔いて苦笑いをした。
自分が真っ当な純血種ではないことくらいトウジ自身も自覚している。
「トウジ君はどうして案内人になろうと思ったのですか? そんなのハイブリットに任せておけばいいじゃないですか」
「正直分からない。なろうと思ってなったんじゃなく、気が付いたらなってたんだ」
「そうなんですね。良く分からないけれどそういうものなんですね」
多津美は独り言のようにそう言うと、しばらく黙り込んで考え込むような素振りをした。
「まぁ、何はともあれ三年間よろしくお願いします。一緒のクラスになれると良いですね」
「ああ。こちらこそ、よろしく」
トウジは多津美の人懐っこい笑顔に内心では戸惑いを覚えつつもそれを顔には出さずに落ち着いて答える。
気が付けば桜の並ぶ坂道に差し掛かっており高校の校門がもうそこまで見えていた。
校門をくぐってすぐの十字路には「新入生受付は直進」と書かれた札が立てられており真新しい制服を着た初々しい学生たちが校舎の方へ向かって歩いていた。
彼らにまざって十字路を直進しようとした時、自分の名前を呼ぶ聞きなれた声が聞こえた。手を振りながら駆け足で近づいてくる女性の姿を視界にとらえたトウジは彼女に向かって手を挙げる。
「アオイ姉さん。わざわざ来てくれたんだ。仕事は大丈夫なの?」
「大丈夫よ、大事な弟の入学式だもの。入学おめでとう、その制服よく似合っているわ」
「ありがとう、アオイ姉さん」
トウジはこそばゆそうに頬を赤らめて素直にお礼を言った。
「トウジ君、その子はお友達?」
アオイはトウジのすぐ後ろにいた多津美の存在に気が付くと首をかしげた。
「小学校、中学校と同じ学校に通っていた岡多津美です」
やや緊張した面持ちで多津美は自己紹介をした。
「あら、そうなの。トウジ君の姉の内海アオイです。トウジ君と仲良くしてあげてね」
「あ、はい。お姉さん、ですか」
ん? といった表情で多津美が疑問符を浮かべたので
「アオイ姉さんは俺の従姉なんだ」とトウジが補足した。
姉という紹介に多津美が違和感を覚えたのはアオイが第一世代のハイブリットだからだ。
純血種のトウジとは同じ両親から生まれた姉弟ではないことが外見的特徴から明らかなのだ。純血種離れした端正な顔立ちと胸元まで伸びたスカイブルーのストレートヘアー、そして特徴的なやや尖った耳を見れば彼女がハイブリットなのがすぐに分かる。
「ああ、そうなんだ」
多津美は得心がいったとばかりに数回頷くと、そのまま曖昧な笑みを浮かべて黙ってしまった。複雑な家庭の事情に触れてしまったのではないかと思っているのだ。
多津美がそう考えるのももっともだった。
小学校からの付き合いである彼女はトウジの両親に何が起こったのかを知っているのだから。
トウジが黙り込んでしまった多津美に、どうしたのかな、といった表情を向けた。
視線を感じた多津美は妙に居心地が悪くなってしまい
「あ、ごめん。トウジ君、私、先に行ってますね」とトウジの背中をポンと叩くとそそくさ受付へと向かってしまった。
「あらあらもしかして私、お邪魔だった?」
アオイは立ち去る多津美の背中を見つめながら口に手を当てた。
「いや、アオイ姉さんが邪推するような関係じゃないから大丈夫だよ」
「あら、そうなの。でも綺麗な子よね」
「まぁ、そうだね」
トウジは認めた。そして心の中で、それを姉さんが言うのかよ、と付け加える。
トウジの初恋はアオイだった。
幼い頃は「僕は大きくなったらアオイ姉さんと結婚する~」と公言したものだ。
さすがに小学生の高学年を上がるころにはそんなことは言わなくなったが、淡い少年の初恋は消え去ったわけではなく、アオイが成長して綺麗になればなるほどその想いは募っていった。
去年アオイが婚約者の内海零士さんと式を挙げた時、こっそりと式場のトイレの個室に籠もったトウジが一人で泣いていた事をアオイは知らない。
このことは誰も知らない、とトウジは今でも思っている。
ちなみに妹のサキは知っているのだが、サキが知っていることをトウジは知らないのだ。
「今更だけどトウジ君。無理してここに通う必要なんてなかったんだよ」
「それ今朝、妹にも言われたから」
「だってここって殆どの生徒がハイブリットなんだよ。私、心配だな」
「ちなみにそれを言われたのは今朝で三回目」
「ねぇトウジ君、分かってる? 私、本当は怒っているんだよ」
「怒られるようなことはしてないと思うけれど」
トウジは涼しい顔をしてそう返答した。
可愛らしく眉を吊り上げるアオイに見つめられて、これはこれで悪くないな、などとトウジは不埒なことを考える。美人が怒った顔にはある種の魅力がある。
「あのね、トウジ君。いくら私が結婚したといっても、君は私の可愛い弟なんだから学費の負担くらい何でもなかったんだよ。私も働いているし、零士さんだってその辺の理解はある人だから好きなところに行けば良かったんだよ」
「好きなところがたまたまここだったんだ」
「まぁ、それが本当なら良いんだけれどね」
納得いかないという顔つきのアオイに対してトウジは冗談めかして言った。
「ほら、ここってハイブリットの人たちばかりだろ。つまりアイドルも吃驚の綺麗な女の子たちがいっぱいいるわけだ。そんなレベルの高い美少女たちが集まっている学校があるならば行くしかないって思うのは男として当然だろう?」
不純な動機ではあるが世の中の男性が聞けばこれ以上納得のいく説明もないだろう。
しかしアオイはどうやらこれを完全にトウジの冗談だと受け取ったらしく呆れ顔をして軽口を返した。
「そんなこと言うトウジ君ならいっそ食べられちゃえばいいと思うよ」
アオイから冷たい眼差しを向けられたトウジは背中にぞくぞくするものを感じながら
「いやいや、そこはそうならないように祈ってくれよ。姉として、人として」と言い返した。
「ふふ、それもそうね。トウジ君が無事に楽しい高校生活を送れることを祈っているよ」
アオイは大きく成長したトウジの姿を眩しそうに見つめた。
そして柔らかな笑顔を浮かべたアオイはそっとトウジを抱き寄せると耳元で、入学おめでとう、と言った。
いきなり抱きしめられたトウジは鼻孔をくすぐる柑橘系の甘い香りに戸惑いを覚えつつも大人しくされるがままになる。
「ありがとう、アオイ姉さん」
美人のお姉さんに抱きしめられる男子生徒の図というのはたとえ相手が肉親だとしても普通の高校ならやや浮いてしまったかもしれない。しかしハイブリットが大多数の横州高校において彼らを奇異に見る者はいない。純血種にとってはやや過剰に思えるようなボディタッチも彼らにとっては日常茶飯事なのだろう。
アオイは数回トウジの背中を右手でポンポンと叩いてから身体を離すとバックの中から白い封筒を取り出してトウジに差し出した。
「そうそう本当は捕まらなかったら後日に渡すつもりだったんだけれど、これ私からのお祝いのメッセージ。ちゃんと家に帰ってから開いて読んでね」
「ん、メッセージ?」
受け取ったトウジが首を傾げたのはその封筒がどう見ても祝儀袋だったからだ。
「まぁ、メッセージも入ってるかな」
「ならメッセージ以外のものも入ってるんじゃん」
「そっちはついでかな。そんな大したものじゃないから遠慮なく受け取りなさい」
「それならありがたく」
トウジとしてはアオイにあまり気を使って欲しくはないのだが意固地になって好意を辞退するのもかえって悪い気がして素直に受け取り胸元の内ポケットにそれを入れた。
「それじゃあ私はあっち側だからもう行くね。入学式だけ見て帰るから、また今度。あ、あとその袋は自宅に帰ってからあけるのよ」
アオイはそう言って手を振ると保護者側の入り口へと向かっていった。トウジはアオイをその場で見送った。
アオイの姿が見えなくなるとトウジは周りを見渡して視界に入ってくる保護者たちを確かめた。そして思わずため息を吐くとトウジはこう思った。
制服を着ていなければ誰が生徒で誰が保護者なのか分からないな、と。
ハイブリットの人たちは完全に不老というわけではないが、老いるのがとにかく遅い。
四十代、五十代くらいでは外見的に純血種の十代、二十代と対して変わらないのが普通だ。
今年で二十三歳になるアオイにしても大人びた雰囲気のおかげでトウジの姉を名乗っても違和感はないが、あと五年もすればトウジと並んだ時に妹に見えても不思議ではないだろう。
「そりゃ純血種もそのうち絶滅しますわ」
誰にも聞こえないように小声でトウジはそう一人ごちると自分も新入生受付の方へと向かった。周りを見渡しても殆どがハイブリットの生徒ばかりなのでトウジは改めて自分がマイノリティであることを自覚する。
周りの生徒たちもトウジにやや物珍しげな視線を向けているようで、トウジは自分が見られている事を意識した。視線にも色々な種類があるが向けられているのが悪意ではないのが幸いだ。
それは単純に好奇心。
おそらく彼らはこう思っているのだ。彼は一体どんなタイプの天才なのだろうか、と。
不思議なことなのだが統計をとってみるといわゆるずば抜けた天才は平均的にIQが高いハイブリットの中からよりも純血種から生まれやすい傾向にある。
世界中で名の知れた優れた研究者や発明家にハイブリットよりも純血種の方が多いのは、彼らと比べて絶対数が多いせいばかりではない。
平均的には圧倒的に劣っていようとも極一部の純血種は優秀なハイブリットの人たちと比べても全く遜色のない優れた能力を発揮する。
そのせいだろう彼らのトウジを見る目にはある種の敬意すら混じっているようだった。彼らは純血種の身で横州高校に合格したトウジをその手の天才だと思っているのだ。
そんな視線を受けてトウジは妙に居た堪れない気分になった。
確かに中学時代の成績は優秀な方ではあったが、それはあくまで一般的なレベルの話である。
もっとも、推薦合格の要因となった案内人としての資質に関して言えば多少の自信はある。
しかしながら、その資質に関して自分が天才的であると思うほどトウジは自惚れ屋ではない。
純血種の自分が案内人としてやっていけているのは自分の実力というよりも、むしろ師匠であるうららのお蔭によるものだとトウジは考えていた。
それにしても…… とトウジは思う。
今までは全く気が付かなかったがこうしてハイブリットの人たちに交ざると黒髪の純血種というのはよく目立つ。しかも周りが男女含めてこうも美形ばかりだと、月並みな容姿である自分にはやはり場違いであるような気もしてくる。
女の子が綺麗なのは嬉しいのだが男までも美形なのは妬ましい。
「イケメンめ、ああイケメンめ、イケメンめ!」
思わずイケメンに対する呪詛の言葉を呟いてしまうトウジは紛れもなく悲しいまでに心が清らかとは言い難い純血種なのだった。
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