第3話
「お兄ちゃん、卵とって」
「ん、どうぞ」
冷蔵庫から卵を取り出しサキの差し出した手のひらにのせると。サキは、ありがと、と言ってそれを受け取り慣れた手つきで卵を割るとボールに入れてかき混ぜた。
「お兄ちゃん、バター」
「おっけー」
サキがオムレツを作ってくれている間にトウジは野菜を切ってサラダを盛り付ける。
アオイ姉さんが結婚してこの家を出て行ってしまってから、朝食の準備は二人で行うようになっていた。それまではアオイ姉さんが家事の全般を担ってくれていたが一年前に内海さんという素敵な純血種の男性と結婚式をあげており、今は隣町の住宅街に新居を構えてそこで暮らしている。
ちなみにアオイ姉さんは両親が亡くなって以来、兄妹の親代わりをしてくれていた二人の従姉にあたる人物だ。
「んー、こっちは完成したよ」
「おう、じゃあこっちに盛り付け頼む」
サキは慣れた手つきでフライパンから滑らすようにしてプレートに盛り付けたサラダの横にオムレツをのせた。トウジはトースターでかりかりに焼いた半切れの食パンを空いたスペースにのせ、それをダイニングテーブルへと運んだ。
「お兄ちゃん、もう一個のお皿もお願い」
「はいよー」
朝食の準備を終えて二人とも席に着く。
「いただきます」
「いただきます」
二人とも行儀よく手を合わせてから食事に手を付ける。サキはおかずを数回口に運ぶと何か思い出したみたいに食事の手を止めた。
「ねぇ、お兄ちゃん。本当の本当は妹として色々と言いたいことはあるんだけれども、とりあえず入学おめでとう」。
「あ、ああ、ありがとう」とトウジは曖昧な笑みを浮かべて感謝の言葉を述べた。
「横州高校ね。横州高校かぁ。単純に妹としてはお兄ちゃんが横州高校に入学することには鼻が高いけどさ。大丈夫、お兄ちゃん。勉強についていけるの?」
トウジは痛いところをつかれた、といった苦い顔をして素直に白状する。
「無理だろうね。ただ、まぁ単位はもらえるだろうから出席さえすれば卒業はできると思うよ」
それを聞いてサキは、はぁ、とため息をついた。
「だよねぇ。落ちこぼれ確定だよ。あそこ一年で大学受験の内容を終えるって話だもん。噂では数学でフェルマーが予想した定理の証明とか、ボンカレー予想の証明とかやるんだってさ」
ボンカレー予想? なんだよ、その美味しそうな響き。
「ポワンカレ予想な。それは数学愛好会とかの話じゃないかな。さすがにそれはやらないと思うぞ。……やらないよな、きっと」
「ぶっちゃけ純血種の行くところじゃないよ。あそこは第二世代、第三世代のハイブリットだってうようよいるんだよ」
「うようよって魑魅魍魎みたいに言うなよ。それに、だからこそ俺はお金を貰って学校に通えるわけだから仕方ないといえば仕方ないじゃないか」
「だからこそって、だからこそ心配なんだよ。いくらお金が貰えるからってさ、無理してあんな所に行く必要はなかったんじゃないかなぁ。学費だってアオイ姉さんが出すって言ってくれていたんだし」
「アオイ姉さんの好意にはこれ以上甘えられないって。新婚夫婦の生活を俺たち兄妹が邪魔するわけにはいかないだろう」
「まぁ、それは。分かっているんだけどさ」
サキはしぶしぶ納得してみせるが、腑に落ちないといった表情は変わらない。
「でも全校生徒の殆どがハイブリットなんだよ。純血種なんてクラスできっとお兄ちゃんだけだよ」
「大丈夫だよ。いじめとかそういう事する人たちじゃないんだから」
「いじめの心配はしてないよ。だいたいさぁ、お兄ちゃんは自分が優秀っていう自覚ある? お兄ちゃんきっとあの人たちにはモテると思うよ。あの人たちに好かれたら万が一って事もあるんだよ」
問い詰めるようにしてそう言うサキは本気でトウジの身を案じているようだった。
「落ちこぼれだって言ったり、優秀だって言ったりどっちなんだよ」
「純血種の中では優秀だよ。だからこそだよ」
「大丈夫だって、俺はこう見えてこうして校長から直々にスカウトが来るほどの案内人なんだぜ」
「知ってるってば。まったく、私、うららさんには感謝しているけれどお兄ちゃんを案内人にしたことだけは許せないな」
「まぁ、そう言うなよ。俺はそれも含めて師匠には感謝しているんだから」
「はぁ。お兄ちゃんってばうららさんといいアオイ姉さんといい、美人さんに弱いよねぇ」
サキはじとりとした流し目を兄に寄こした。
「お前だって、イケメンには弱いだろう」
トウジがそう言い返すと、サキは口角を吊り上げ意地の悪い目つきをする。
「まぁ、だからこそお兄ちゃんには強くでられるんだけどね」
「それは兄妹だからだろう」
「イケメンじゃないからだよ」
「………………」
「………………」
「お兄ちゃん、泣いていいかな」
「どうぞ」とサキは手のひらを差し出し促すように言った。
ずいぶんと容赦のない妹だ。
「そういえばさ、今日の入学式はアオイ姉さんが行くってさ。さっきメールが来てたよ」
「マジで」
「うん、マジで」
「まだ時間あるよな。ちょっとシャワー浴びてくる」
トウジはプレートに残ったサラダとオムレツを口の中に突っ込むと咀嚼を終える間もなく立ち上がり浴室へと向かった。一人ダイニングに残されたサキは慌てて部屋から出ていく兄の背中を見つめながら呆れ顔で溜息をついた。
「本当、美人さんには弱いんだから。妹としては心配だよ」
サキは時間をかけてゆっくりと朝食を味わって食べ終えると、慌ててシャワーを浴びにいった兄の分の食器も一緒にキッチンへ運び食器洗浄機へと放り込んだ。
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