第2話

「トウジ君。君が予想した通りそっちに二体行ったで。一体は鹿のようなアニマル型の第二世代の摂食個体。もう一体は蜘蛛に似たインセクト型の摂食チャイルド。報告通りならこちらも同様に第二世代や」


 田川ミツルの声が無線式のイヤホンに届く。

 杉やヒノキといった木々がそびえ立つ山道は昼間だというのに日光が遮られており視界はやや薄暗い。そのうえトウジの立っている砂利道は細くて狭い。緩やかな勾配が続く山道の幅は3メートルほどしかない


 この世の物とは思えぬ大きな咆哮がどこからともなく聞こえてくる。

 草木に覆われた森林は奴らの住処だ。どこから襲われるか分かったものではない。


 トウジは深く鼻から息を吸い込むとゆっくりと時間をかけて口から空気を吐き出した。

 三月中旬の山の空気はまだだいぶ冷たく吐く息も大気に冷やされて白くうつる。

 トウジはしっくりと手に馴染んだ太刀の柄を握りしめて精神を集中させる。


 彼が右手に持つ太刀は光届かぬ地底の闇のように黒い色をしている。

 柄はもちろんのこと刃に至るまでが漆黒であり一体何の材質で出来ているのか外見からはよく分からない。常識的に考えれば何かの金属で出来ているのだろうが、質感がどうも金属とは異なっている。


 反り返った刀身は女性の曲線美を思わせるほど艶めかしい。

 太刀は妖しい魅力を漂わせており太刀でありながら妙に色っぽい。

 美術刀剣として芸術としての価値も高いだろう。


 だが使い込まれた形跡が見て取れるわりに刃こぼれ一つない鋭利な刀身はその恐るべき切れ味を物語っており、ナマクラではないことは明らかだった。


 トウジはその漆黒の太刀を見つめながら、

「了解しました。俺の方で二体とも案内します」と返事をした。


「……無理せんといてな」


 そうミツルが言葉を返すまで一時の間があったのは、一人で大丈夫というトウジの返事が意外だったからだ。ミツルはトウジの身を案じて言葉を続けた。


「荷が重い思うたら下がって他のチームと合流せいや」


「いえ、大丈夫です。第二世代の中型個体なら俺でも何とかなりますよ」


 無理は禁物だがここで奴等を逃がしてしまうとまた面倒なことになる。ミツルもそのことは良く分かっているので「ほな俺もそっち向かうさかい、それまで任せたで」と言って通話を切った。


 会話が終了すると再び木々が騒めきはじめる。

 太陽の光がまばら辺りを照らしており、陽の光がトウジの黒髪に当たっている。

 トウジは耳を澄まして敵の出現を静かに待った。

 人の味を覚えた怪物ならばか弱いはずの純血種であるトウジの匂いを辿ってくるはずだ。


 しばらく精神を集中させていると

 遠くの方から大きな生物が迫ってくる気配をトウジは感じ取った。

 そして周囲にいた小鳥たちが一斉に飛び立ちあたりから姿を消した。近くにいた小動物たちも命の危険を察してかその場から逃げたようだった。


 そして次の瞬間、悍ましい怪物が姿を現す。

 砂利道を凄まじいスピードで下ってきたのは馬ほどの大きさをした鹿に似た生物。


 二本の大きな角を生やしており瞳は血のように赤い。肉食獣のような牙が上あごに二本あり、前足には長さ20㎝ほどの大きな爪が伸びている。とても硬そうな灰色の剛毛に覆われており毛の一本一本がまるで松の葉みたいな形状をしていた。全身は鹿に似ているがその頭は蝙蝠のそれに近い。

 その風貌は醜悪であり本能的な恐怖を呼び覚ますものだった。


 悪魔。

 そう呼ぶのが相応しい醜くて不気味な怪物。

 だがそんな化物と対峙しながらもトウジが抱いた感情は恐怖ではなく哀れみだった。


 摂食個体。

 それは摂食発作を起こした人間とシュロムとの混血児、通称ハイブリットの成れの果て。


 摂食発作が起こる確率は決して高くはないが、病気ではなく遺伝的に組み込まれたシステムであるため一定数のハイブリットはどうしても発作を起こしてしまう。


 そしてそれは男性個体には発作は起こらず、摂食発作は女性個体のみに発生する。


 摂食発作を起こすと人を食らいたい衝動に駆られてしまう。

 それは食欲であると同時に性欲でもある。

 摂食発作は食べた相手の遺伝子を取り込み妊娠するための生殖行為でもあるからだ。


 摂食対象の初期症状はその人が愛した人物に、そして時間が経つにつれて徐々にそれは無差別的なものへと変化していくのだ。こうして人を襲い食らったら最後。

 全身の細胞が変質化するメタモルフォシスという現象を起こして『人ではない何か』へと変わってしまうのだった。


 そして『人ではない何か』に変貌した摂食個体は妊娠して摂食チャイルドという『人ではない何か』を生み出してしまう。


 トウジは報告書に書かれていた内容を思い出す。

 たしか蝙蝠の顔をした鹿の化物は二週間前に摂食発作を起こした第二世代の少女だったはずだ。


 少女は仲が良かった学友4人とバーベキューをしていた時に発作を起こしてしまった。


 最初に犠牲になったのは少女と交際をしていた純血種(ホモサピエンス)の男の子。少女は少年の肉を喰らいその場でメタモルフォシスを起こして異形へとなり果てた。


 摂食発作の信号を感知して案内人が到着した頃には4人のうち3人が喰い殺され、発作を起こした少女はその場から姿を消した後だった。町中ではなく人里離れた山林付近で起こった発作だったため案内人の到着が遅れたのが3人も犠牲になってしまった要因だった。


 発作を起こした少女に過失はない。

 発作と同時に理性は消滅してしまう。残っているのは遺伝子の命令に従う哀れな本能だけなのだ。だが過失はなくともトウジは二週間前まで少女だったこの化物を冥府へと案内しなくてはならない。


 それが案内人に課せられた使命なのだから。


 大量の砂埃をたてながら突進してくる化物はトウジを見つけると更に加速した。

 あと50mという距離まで近づくと化物は頭を下げて角を突き出すような体勢をとった。そのままトウジを角で突き刺して殺そうとしているのだろう。


 トウジは腰を低く構えると両足でズンッと地面を強く踏んでジャンプした。トウジの身体が宙に浮く。その下を凄まじいスピードで鹿の化物が通り抜けていく。えげつない形状をした化物の角が紙一重でトウジの胸部をかすめる。


「東麗流剣術・浮雲」


 トウジが地面へと着地してそう呟いた瞬間、化物の蝙蝠みたいな頭が胴体から離れた。首は血の尾を引いて地面を転がり、断面部からは噴水のように血が溢れていた。手足はブルブルと痙攣しており頭がなくとも立ち上がろうとしているようだ。しかし、やがて化物の動きは止まりそのまま絶命した。


 その断末魔を見届けトウジがゆっくりと立ち上がったその時だった。

「危ない、後ろやっ!」というミツルの叫び声が聞こえた。


 トウジは口元をニヤリと三日月形に歪めると「知ってる」と不敵に呟いた。


 草むらに隠れて背後から隙を伺っていたインセクト型の接触個体がトウジに向かって飛びかかっていたのだ。だがトウジは落ち着いた様子で振り向きざまに電光石火の剣術を振るった。


 刹那、2mはあろうかと思われるカメムシのような生物の身体が縦に裂けてズルリと左右の胴体がズレた。その醜悪な巨体が仰向けになって倒れると緑色の体液がジュルジュルと地面に流れて異様な悪臭を放つ。


 同時に、ピクピクと6本の脚を動かしもがいている巨大カメムシの額にタガーナイフが投げ込まれてカメムシの動きが止まった。


 ダガーナイフを投げたミツルがゆっくり歩いて近づいてくる。褐色肌の少年の左手には先ほど投げたのと同じ形のダガーナイフをもう一本あった。

 ミツルは二体の遺体を交互に眺めて感嘆の声をあげる。


「流石やなぁ。純血種で唯一のB級案内人という看板は伊達やないなぁ」


「B級といっても下位も下位です。戦闘能力ならC級の上位陣にも劣りますよ」


 トウジは褒められるのが恥ずかしいのか照れたように早口でそう答えた。

 謙遜のように聞こえるかもしれないがそれは事実なのだから仕方がない。実際にC級の上位陣と戦闘になったらトウジには勝てない可能性が高い。


「ははは、まさかコネでB級に上がったなんてことはないやろね」


 ミツルは冗談めかしてそう言いながら巨大カメムシの額からナイフを引っこ抜いた。ドロリとした体液が引き抜いた刃先に付着しておりミツルは気味悪そうに眉間に皺を寄せた。


「まさか。流石にそれはないですけどね」


 トウジは笑いながらミツルの言葉を否定した。

 階級は単純な戦闘力のみで上がるわけではなく、どちらかといえば貢献度に大いに左右されるものなのでより低い階級の者が上の階級の者よりも強いということは決して珍しいことではない。


 トウジは会話を続けようとするミツルに待ってもらうように右手をあげた。

 そして二体の遺体に近づくと傍に屈んで両手を合わせて冥福を祈った。

 次に生まれてくる時にはどうか人としての人生を全うできますように、と。


 哀れな接触個体と摂食チャイルドに祈りを捧げているとミツルもトウジの隣に座ってそれに倣った。


 トウジが黙祷を終えてゆっくりと瞳を開いたのを確認してミツルは言った。


「トウジ君は凄いなぁ。尊敬するわぁ」


「いえいえ、案内人としての戦闘力ならミツルさんの方が凄いですよ」


「はは、そうやろか?」


 ミツルはそういうつもりで言ったのではなかったがデリケートな話題だったため敢えて訂正しなかった。案内人の間では世界でただ一人、純血種でありながらB級ライセンスを持っているトウジの存在は有名だ。そのためトウジの両親がその昔、野生の摂食個体の犠牲になってしまったことを知っている人も少なくはない。


 ミツルの言葉には、摂食個体を恨んでいないのか? というニュアンスが込められていたのだが、その答えは彼の所作を見れば一目瞭然だった。トウジはきちんと摂食個体が哀れな犠牲者であることを理解していた。


「そういえば、君。まだ中学生なんやろ?」


 気を取り直すようにミツルはトウジに別の話題を振った。


「一応は。四月から高校生ですけどね」


「へぇ。どこ通うん?」


「一応、横州高校です」


 一応、とトウジはやや歯切れ悪そうに答えた。

 横州高校は全国でも指折りの進学校なのだが純血種の入学は珍しい。


「マジかいな。俺の後輩になるわけか。これこそ純血種なのによう受かったなぁ。ぶっちゃけ、周りにはハイブリットしかおらへんで」


「あ、やっぱりそうなんですか?」

 分かっていたことではあったが、実際に通っている人からそう聞くと説得力が違っていた。


「純血種は全学年合わせて10人もおらへんよ。純血種にはちと入学試験が難しすぎるんやろなぁ。まさかトウジ君。これこそ入学するためにコネを使ったとかあらへんよね?」


 先ほどと同じような冗談を口にしたミツルに対してトウジは黙ってしまう。

 そして引きつった笑みを浮かべたままトウジは、ははは、と乾いた笑いを発した。


「あの…… その、ほら。横州高校の校長先生って、案内人組織のお偉いさんじゃないですか。だから、その」


「トウジ君。君、まさか?」


 気まずそうにトウジは言葉を続けた。


「ええ、その。案内人のツテで、推薦入学しました、です」


 ミツルはそれを聞いてニタァと意地悪そうな笑みを浮かべると脅すような声色でこう言った。


「大変やでぇ~。あそこで純血種が生活するのは。それはもう色々な意味で」


 その言葉はトウジがまだ始まってもいない高校生活に不安を抱くには十分すぎる脅しだった。

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