第11話

「お願いします」紺絣の男が言う。「おっかあを助けてくれ」

 金次郎は盥の水を頭からかぶる。

「お頭」梯子持ちが言う。「何やるんですか」

「おれがあの家に飛び込む」

「無茶ですよ」

「人がいるんだ」

 だがそのとき、裸に茶色の着物を一枚だけ羽織り、三度笠をかぶった奇妙な男が走って来る。

 三度笠の男は燃え盛る玉村屋に近づく。

「おまえ」金次郎が言う。「そっちへ行くな」

 だが命令を訊かず、三度笠の男は火の中に突入する。

 ややあって玉村屋の壁が破裂し、中から黒焦げになった人影が出てくる。

 黒焦げの男は老婆を抱えている。

 下人足たちが竜吐水で黒焦げの男と老婆に水をかける。

「よし今だ」金次郎が言う。「家を倒せ」

 鳶人足たちがいっせいに刺又で玉村屋の柱を突く。

 玉村屋は音をたてて倒壊し、材木から白い煙が立ち込める。

 火はほとんど消える。

 下人足たちは竜吐水の水を燃え残った小さな火にかける。

 すべての火が消えると、茶屋の屋根に登っていた纏持ちが地面に飛び降りる。

 老婆は軽い火傷は負ったものの無事だった。

「ありごとうございました」

 紺絣の男はべそをかきながら、老婆といっしょに金次郎たちに頭を下げる。

 黒焦げの男は、当初、ひどい火傷を負ったはずだったが、どういうわけか火傷が癒えている。

 頭にかぶった三度笠は燃えてなくなっている。茶色の着物も半分は燃えて、男はほとんど全裸だった。

 金次郎は自分の半纏はんてんを脱いで、全裸の男に着せてやる。

「よくやった」金次郎が言う。「おまえ、何て名だ?」

「......魔左衛門......」

「おれたちの仲間に入らねえか?」

「......」



 例幣使街道を歩く三人―魔左衛門、お菊、喜平―の姿があった。

 途中の茶屋とも万屋ともつかない店で魔左衛門は新しい三度笠を買った。

 そこで食べた饅頭が今日の食事のすべてだった。

 もうすぐ五料宿だ。

 夕日を浴びて街道沿いの麦畑が黄金色に輝く。それはこの世のものと思えない美しさだった。

 お菊は涙が頬を伝っているのに気づく。

 涙を流したわけは、麦畑が美しかったからか、生まれ育った上州の地を離れる寂しさからか、それとも魔左衛門と喜平の三人でこれから旅をすることへの心もとなさからか、お菊自身にもわからない。

 麦畑からトキが飛び立ち、「クゥー」と鳴きながら五料宿のある東の空へ飛んでいった。


(了)

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魔左衛門 カキヒト・シラズ @koshigaya

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