第2話
「隠れ里を」坊主が言う。「よう生きて通り抜けたのう」
茶屋は峠の中腹にあった。
「地元じゃあ、山賊村って呼んでるんじゃ。追剥の野武士たちがおって、一度村に入ったら二度と生きて出られんのじゃ。だからみんな、麓からわざわざ峠を遠回りして、ここまで来る」
坊主は橙の袈裟を着ていた。
魔左衛門は話を無視して茶をすする。坊主は勝手に隣に座り、勝手に話しかけてきた。どれだけ無視しても坊主は話を止めない。
どうやら魔左衛門が山賊村の方角からこの茶屋まで歩いてきたのが、坊主の関心を誘ったらしい。
「あんた、
「......」
「隠さんでもええ」
「......シ・ビ・ト・ツ・キ?」
「ようやく口を聞いたのう」
「......」
坊主は勝負に勝ったようなしたり顔になる。よほど死人憑の声を聞いてみたかったのか。
「そうじゃ。死人憑じゃ。あんた、もしかして死人憑も知らんのか?」
「......知らん」
坊主は長々と
死人憑とは、人間の死体に霊が憑りついて、あたかも生きているように動く異形を指す。普通、死人憑は数日もすると霊が去って元の動かない死体に戻るが、まれに死んだ人間の霊が自分自身の死体に憑りつくこともある。この場合、霊としてはもともと宿っていた体だけに、居心地がいいのか、何年も憑りついたままになる。
魔左衛門は、この類の死人憑だと坊主は説明した。
見た目は普通の人間とさして変わりないが、死人憑の腕っぷしは十人力、身のこなしは獣のように素早い。
「あんた、よほど怨念を抱いて死んだんじゃろう。あんたを斬った相手がよほど憎かったんじゃろう。そうじゃないと、あんたみたいにはならんて」
「......」
坊主は若い時分、高野山の金剛峰寺で修業した。座禅、滝行、千日回峰と荒業を積むうちに、いつしか神通力が備わった。
神通力のおかげで生霊も死霊も見える。人間と死人憑の区別もつく。
坊主の自慢話は終わりそうにない。
「神通力は結構、重宝するもんじゃ。この前なんか・・」
不意に坊主は口を大きく開けたまま無言になる。
ほどなくして坊主は椅子から転げ落ちて腹這いに倒れる。背中には矢が刺さっている。
茶屋の女将が坊主の死体を見つけて悲鳴を上げるまで、やや間があった。
矢の飛んで来た先を見ると、弓を持った人影が走り去っていく。山賊村の方角だ。
魔左衛門は人影を追いかける。
少年だった。先ほど大人たちに混じって魔左衛門を襲った少年の野武士だ。
魔左衛門の足は獣のように速かった。魔左衛門は少年を追い越し、回り込んで通せんぼをするように向き直る。
少年は立ちどまり、弓を構える。
「来るな」少年が叫ぶ。「こっちへ来るな」
魔左衛門はしばらく不動のまま少年を睨みつけた後、ゆっくりと少年の方へ歩み寄る。
最初の矢は魔左衛門の額に命中した。だが魔左衛門は倒れない。矢の先から青緑色の血が地面に滴り落ちる。
少年は背中の弓筒から次々と矢を取り出しては魔左衛門に射る。矢は魔左衛門の胸や腹を埋め尽くす。だが魔左衛門は歩みを止めない。
弓筒の矢がなくなる前に、魔左衛門は少年を捕まえる。胸蔵を掴み、懲罰のように体ごと宙に持ち上げる。
「殺せ」少年が言う。「殺すなら早く殺せ」
「なぜ坊主を殺した?」
「あいつじゃない。最初からお前を狙ったんだ」
魔左衛門は手を放す。少年の体は地面に落ちる。少年が起き上がると魔左衛門は少年の頬を二回張る。少年はまたしても地面に崩れ落ち、体を丸めて嗚咽する。
「無駄な殺生はするな」
魔左衛門は体から矢を引き抜きながら、元来た道を戻る。
無駄な殺生はするな。魔左衛門は胸の内でそう唱えた。無駄な殺生ばかりしていると、自分のようになってしまう。
殺生は大人になってからでいい。子供のうちから、殺生なんてするものじゃない。
いや、大人になっても生きているうちは、殺生はしない方がいい。
死んで死人憑でもなってから、それから殺生を覚えても遅くない。
茶屋まで戻ると、坊主の死体の周囲に人だかりができている。
生霊や死霊が見えても、己の死期を悟ることも避けることもできない坊主の神通力。どれほど役に立つものか。
魔左衛門は懐から寛永通宝を数枚取り出し、女将を見つけると机の上に置く。
「これで足りるか?」
女将は魔左衛門に気づくと悲鳴を上げる。茶屋の客たちの視線が魔左衛門に集まる。
魔左衛門は自分がこの場に長居すべきでないと悟り、足早に茶屋を後にした。
額に刺さった矢を抜き忘れていたのに魔左衛門が気づいたのは、それからだいぶ経ってからだった。
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