⑭DEEP BREATH
「タニアさん、本当に大きくなりましたね」
胸元まで達していた
「あの頃はおねしょする度に泣きべそかいてたのに」
「で、デタラメだ! おねしょなんかしたことないもん!」
裏返った絶叫が夜空を貫き、顔がかあっと熱くなる。意味もなく四肢を振り回すと、
めっめっめっ……。
噛み殺した
タニアはう~っと
ヘルメットを
「しましたよ。私、毎日、お布団干してあげたじゃないですか」
整然と言い返すと、シロはタニアに背を向け、バイクのハンドルに手を掛ける。大切な出前は三歩で忘れるクセに、人の汚点は脳に刻み込んでいるらしい。避難所での生活をこと細かに憶えてくれているのは嬉しいが、親戚にはいて欲しくないタイプだ。
確かにシロの言う通り、毎夜、布団にメルカトル的な図を描いたのは間違いない。だが事実関係を認めてしまったら、一生、毛玉に嘲笑されることになる。
霊長類の尊厳を守るためなら、多少の嘘は許されるはずだ。拳や包丁を駆使し、証言を撤回させることくらいオッケーなはずだ。
「わ、私じゃない! 他の子とカン違いしてんだ!
威圧するように声を張り上げ、タニアはシロの背中にしがみつく。
金属質の遠吠えが響いた。
鋭利な衝撃がタニアを突き飛ばし、強く弾かれた身体が一歩、二歩とよろめく。口一杯に鉄の味が広がると、
「……え?」
タニアはなぜか重い頭に力を込め、音が体当たりしてきたほうへ動かしてみる。
クレーターの中央に
ダメージによって震える手には、巻き貝型の〈
「……ち、畜生、急に割り込みやがって」
憎々しげな呟きを最後に、ギモンの顔が地面に着く。後を追うようにギモンの腕が落ちると、手の平から巻き貝が転がり落ち、砂埃に沈んだ。
「ぐぁ……ぁ……」
喉の奥から胃液が沸騰したような圧力が
壁、床、目の前のシロ――。
視界を形成する線がふうっとぼやけ、砂埃が晴れたはずの空に薄い闇が掛かる。意思とは無関係に膝が曲がり、顔面に地面が迫る。砂に刻印された足跡が頬擦りしてくると、口中に満ちた鉄の味にじゃりじゃりとした食感が加わった。
感覚の揮発になった手が腰の脇に落ち、砂漠には不釣り合いな水音を鳴らす。その矢先、胸から広がる血に顎が浸かって、音の原因を教えてくれた。
「タニアさん!」
麻痺しかけた鼓膜に
「タニアさん、ねえ、タニアさん! しっかり! しっかりして!」
霧吹きのように唾を吹き散らし、シロはタニアの頭を膝に乗せる。
一丁前に見下ろしていたクセして、五分も経たない内に膝枕とは、我ながら情けなくなってしまう。どうやら六年前から成長したのは、図体だけだったらしい。
自分に呆れるやら、腿の柔らかさが懐かしいやらで、不細工に顔が
だらしなく開いた唇に続いて全身の筋肉が
「閉じないで! 目を開けて、開けて下さい!」
大きく腰を浮かせ、シロはタニアの胸に両手を押し付ける。たちまち
眼球を直撃する
「タニアさん、ずっと一緒にいるんでしょ……? 私と約束したじゃないですか……!」
シロは顔中を震わせ、膝の上のタニアに訴え掛ける。
肩を揺さ振る咳に、鼻水を吸い上げる音に
「……もう遺されるのはやだよ」
胸の中に薔薇の香りが行き渡り、荒く乱れていた息を落ち着かせていく。麻痺していた手に〈
最期に巡り逢う景色がこれなら、いちゃもんの付けようがない。
す……はー、すぅ……はー……。
口が吸うのも吐くのも忘れがちになり、
やがて最後まで残った温もりが溶けだし、温かくも冷たくもない感触に置き換えられていく。ハリボテになった意識が崩れた瞬間、無はタニアの一部に、タニアは無の一部になった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます