⑩Evolvin' Storm

「シロ……!」

 無意識に名前を呼ぶと、タニアの身体はどうしようもなく前に乗り出していく。バイクの後ろから頭が出ると、手頃な凶器を探していた手が足下のコンクリ片を掴み取った。

 鈍く尖ったそれを頭上にかかげ、憎たらしいコガネムシを睨み付ける。バイクと言う城壁から一歩離れると、すかさず聡明な理性がタニアを問いただした。何をしている!? 勝てると思っているのか!?


 ご指摘は正しい。

 コガネムシはモグラに快勝するシロが、ボールにされる難敵だ。甲冑のごとき外骨格がいこっかくは、赤熱したハサミさえ難なくへし折る。

 懸垂けんすいも満足に出来ないタニアが、手の平サイズのコンクリ片を振り下ろしたところで、事態が好転するはずもない。殴り込むなら殴り込むで、せめて一㌫は勝算のある手段を探すべきだろう。


 だが現実問題、バイクなんてUFOどう動かせばいいのかさっぱりだ。近くには漬け物石のようなコンクリ片も転がっているが、あれほど巨大な代物を満足に振り下ろす自信はない。


 ではシロがやられるまで傍観している?


 例えその他のあらゆる行動が無意味だったとしても、それだけは絶対に出来ない。


 シロはあれほど逃げ回っていた星に立ち向かい、タニアの窮地に駆け付けてくれた。駆け付けてくれたのだ。ちょっとデカいコガネムシごときに二の足を踏んでいたら、女がすたる。ダメージは与えられなくても、気を逸らすことくらいは出来るはずだ。


 腹をくくったタニアは蟷螂とうろうの斧に等しいコンクリ片を握り締め、スタンディングスタートを切る。だがその瞬間、今の今まで大人しく座っていたメーちゃんが、突然タニアのふくらはぎに飛び付いた。「タニアを守れ」と言うシロの命令を四角しかく四面しめんに遂行し、無謀な突撃を阻止したらしい。


「わわ!? うわぁ!?」

 バランスを崩したタニアは、盛大につんのめり、ヘッドスライディングっぽくすっ転ぶ。砂煙が視界を覆った矢先、擦った膝から粗い摩擦熱が走り、タニアの顔を歪ませた。


「いってて、急に引っ張るなよ……!」

 砂を吐きながらボヤき、タニアは強打した鼻骨をさする。派手に擦った膝は、案の定、ズルけで、そこかしこから血を滲ませていた。

「砂地だって転ぶと痛いんだぞ! 摩擦で砂が紙ヤスリみたいになるんだ!」


 砂がヤスリになる……?


 何気なく放った一言がそう古くない記憶と結び付き、タニアの頭の中で光輝く。


 そう、膝小僧に付着した砂はパウダースノーのようにきめ細かい。普通に吹き付けただけでは、垢を落とすことさえ出来ないだろう。

 だがそんな細かい砂でも、ヘッドスライディングほどのスピードで擦り付ければ、易々と皮を肉を引き裂く。集中砲火を受けたガラスが、磨りガラスになってしまうのも納得だ。


「シロ! サンドブラスト、サンドブラストだよ!」

 手で口を囲い、タニアが叫ぶと、コガネムシに猪突猛進していたシロが足を止める。ピカーン! と「乱れ雪月花せつげっか」あたりを閃いたような音が鳴り、シロの頭上に電球の幻影が浮かび上がった。

 シロの全身を巡る流動路が、少しずつ点滅の間隔を短くしていく。流動路に絶えることのない光が戻ると、桜色の輝きが不敵に髑髏の仮面を照らした。


「……忘れてました」

 反省するあまり苦笑し、シロは身体ごと右足を突き出す。腰を入れた前蹴りはコガネムシの腹に炸裂し、倉庫の中央にそびえていた巨体を壁際まで突き放した。

 用心深いシロはリズミカルにバックステップを踏み、長い前脚が届かない距離まで下がる。コガネムシに攻撃の気配がないことを確かめると、シロはタニアの意図した通りMIZHIKIみずひきを引っ張った。

 赤かった提灯ちょうちんが緑に染まり、シロの全身に広がる死斑しはんが渦巻き模様に変わる。程なく提灯ちょうちんが上下に割れ、シロの前方に竜巻が投影された。


 自分から暴風圏に飛び込み、シロは砂嵐をまとう。

 DO―KYOどきょうと共に砂塵の螺旋らせん霧散むさんすると、シロの背中には大きな風車が装備されていた。代わりに折れたハサミや爪は消え去り、壁に刺さっていた刃も枯れた花のように崩れ落ちる。

 からから……と独りでに風車が回りだし、強烈な砂嵐がシロを包み込む。はぁぁ……と力のこもった息を吐き、シロは両手を正面のコガネムシに向けた。


 風車の力で発生させた砂嵐には、常識的な法則が適用されないのだろうか。

 天に向かって伸びていたそれが、焼いたスルメのようにひん曲がり、前に倒れていく。地面と水平になった大渦は、のたうつ龍のように地表を削り、えぐり取り、コガネムシを呑み込んだ。強烈な風圧がコガネムシのつま先を浮かせ、長い前脚をススキのようにそよがせる。


「こんなそよ風で!」

 裏返った声で咆哮したコガネムシは、前脚のかぎ爪を地面へ突き刺す。しっかりと腰を沈め、吹き付ける風に対して低く頭を突き出した体勢は、台風の日に往来を埋め尽くすポーズに他ならない。


 コガネムシの動きを封じたシロは、前脚をうかがいながら慎重に間合いを詰めていく。

 ぷしゃぁぁ!

 二人の距離が縮まるに従って響き始めたのは、クジラの潮吹き。

 潮吹き?

 いやコガネムシに衝突した拍子に噴き上がった砂が、四方八方の壁に吹き付ける音だ。「横殴り」を体現した砂の豪雨は、強靱なコンクリの壁を茅葺かやぶき屋根のように震わせている。


 きめ細かなそれが、実は無数の刃だったとでも言うのか。

 砂を浴びているだけのコガネムシから激しく火花が上がりだし、間断のない閃光がタニアの目をくらませる。億千、億万、いや兆を超える粒子の生む摩擦熱によって、コガネムシの外殻が次第に橙色を滲ませていく。熱した鉄のような光が広がるにつれて、壁に吹き付ける飛沫しぶきがキラキラと輝き始めた。


 ババ臭い象牙色にリンぷんのようなきらびやかさを与えたのは、赤銅色しゃくどういろの金属粉。


 そしてその正体は、粉末状に削り出されたコガネムシの甲殻に他ならない。


「砂!? たかが砂だぞ!? 砂ごときでアタイの甲殻が!?」

 事態を悟ったコガネムシは、激流に巻き込まれたように手を足をバタ付かせ、何とか砂嵐の外に逃れようとする。

 だが砂を無量大数のヤスリに変えるほどの風圧は、獲物を逃がさない。

 ピッケルのごとく地面に突き立てた前脚を抜き、移動しようとした途端、コガネムシの足下を強風がすくう。空気を踏み、体勢を崩した巨体は、危なっかしくケンケンを始めた。

 ガネェー!?

 激しく揉まれるコガネムシが、再び砂嵐の中央に引き戻されていく。なすすべもなく回転する姿は、洗面台の水が中央の排水口に呑まれていくかのようだ。


「砂嵐だって何千年、何万年も掛ければ大地を削れる。そう、ヤルダンみたいにね。サンドブラストって技術に聞き覚えがなくっても、『風化』くらいは知ってるでしょう?」

 シロの講義が終わると共に、背中の風車が回転を停める。

 砂の大渦が嵐の目に向けて収縮し、ふっと消え去る。

 途端、視界に入ったのは、ぶすぶすと黒煙をくゆらせるコガネムシ。

 全身を隈無くまなく包んでいた外殻はすっかり研磨し尽くされ、飴色の肉をあらわにしている。カブトムシのサナギに似た質感を見る限り、「鉄壁」や「頑丈」と言う単語と無縁であることは疑いようもない。


「さあ、そろそろ消灯の時間です」

 丸裸になったコガネムシに宣告すると、シロはSOTOBAそとばのタイピンを「R」から「I」の目盛りに一段上げた。


遺無怖牢挫震インプローザブル


 チーン!

 おごそかなDO―KYOどきょうを追い、鈴棒りんぼうそっくりのタイピンから澄んだ音が鳴り響く。同時に背中の風車が茶色く変色し、枯れた花のように崩れ落ちた。


 提灯ちょうちんの光がすうっと落ち、MIZHIKIみずひきを生やした髑髏から緑の隈取くまどりが消える。いで全身の渦巻き模様が薄れだし、蒼白の装甲を無地に戻した。


 ガ、ガネェ……。

 ご愁傷しゅうしょうさまを告げられたコガネムシは、紅蓮に光っていた瞳を闇に染めていく。対照的にシロの首輪に備わった走馬燈が輝きを増すと、太陽を直視したような痛みがタニアの目を襲った。

 またたく間に走馬燈の回転速度が上がり、薔薇の影絵が花を散らす間隔を短くしていく。絶え間なく降り注ぐ花吹雪は、まるで春真っ盛りの桜並木だ。

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