⑧Roots of the king

 ドリュ!

 シロの右からモグラが飛び出し、槍のように伸ばしたオールが体側たいそくに迫る。すかさずシロは前に跳び、避けると同時に正面の竜巻を潜り抜けた。ハサミの時同様、はっきり映し出されていた竜巻が消え去り、シロの全身を砂嵐が包み込む。


カラカラカラカラ 渇々腐乱カラカラブラン


 一瞬にして砂嵐が掻き消え、シロの姿がタニアの視界に舞い戻る。うっすらと細い煙を棚引かせる骸骨は、ハサミも爪も装備していない。その代わり、骨の板で出来た風車を背負っている。


 マンホールより一回り以上も大きいそれは、シロの背面から盛大にはみ出している。支柱などがないところを見ると、超電導ちょうでんどう磁石じしゃくのように浮いているのかも知れない。

 ハサミや爪同様、古生物の骨を模しているとするなら、パクり元はステゴサウルスだろう。さすがに円状ではなかったが、花びらにも似た骨の板は博物館で見た記憶がある。


 ひゅう……。

 もたもたと風車が回りだし、か細い風がタニアの前髪を浮かせる。きめ細かな砂漠の砂が、月光を反射しながら舞い上がると、無数のきらめきがシロの足下を覆った。


 一回転、二回転、三回転――。


 周回に比例して風車のスピードが上がり、風車のスピードに比例して砂煙が勢力を増していく。四回転目を迎えると、辛うじて個々を判別出来ていた羽根が、円形の残像に変わった。


 向こう側が見えなくなるほど濃くなった砂煙――いや、砂嵐がついにシロの背丈を追い越す。何とか風らしかった回転音は、今や完全に旧型の芝刈り機。ばりばりと硬く低い轟きをまき散らし、タニアの鼓膜に削られるような痛みをもたらす。


 強風にさらされたうねが見る見るならされ、更には周囲の地表よりえぐれ、地中に隠れていた四匹が地上に出る。四つん這いで手足をバタ付かせ、砂嵐の逆方向に逃れようとする姿は、一心不乱にタイヤを回すハムスターそのものだ。


 螺旋らせんを描く暴風がシロの足下をすり鉢状にえぐり取り、一枚、二枚とトタン屋根が宙を舞う。丸裸になったはりが夜空をあおぐと、焚き火を入れたドラム缶が星々の海に飛び出した。

 尚も吸引力を増していく砂嵐が、じわり、じわりとモグラの四肢を引っこ抜いていく。くさびのように突き刺していたオールが浮き上がると、地表にしがみついていた巨体が高々と宙を舞った。


 ドリューッ!?

 渾身の悲鳴を風音に掻き消されながら、モグラたちが黒く濁った砂嵐に呑まれていく。助けを求めるように見え隠れするオールが、屋根のあった高さを越え、月に近付いていく。

 三〇秒ほどモグラを攪拌かくはんした砂嵐は、クシャミしたように一回大きく跳ねる。途端、砂嵐の「目」が砂埃の塊を打ち上げ、四つの逆光と化したモグラを勢いよく夜空に吹き飛ばした。


 フリーフォールを始めるモグラたちを見上げ、シロは再びMIZHIKIみずひきを引っ張る。緑から赤に提灯ちょうちんの色が変わると、全身の死斑しはんが渦巻きからファイヤーパターンに変わった。


 正面に投影された化石を潜り抜け、シロは両腕に業火をまとう。炎はシロの背中にも飛び火し、巨大な風車を跡形もなく焼き尽くした。やはり風車の力で発生させていたのか、シロの背中が空っぽになると、嘘のように砂嵐がしぼんでいく。


 程なく炎が消え、左手のハサミが右手の爪が姿を現す。古代の凶器は見る間に赤熱し、髑髏の仮面に朱を差した。

 左手のハサミを右に振りかぶり、シロはテニスで言うバックハンドに近い構えを取る。いで力を込めるように腰を沈めると、モグラたちが面前を横切る瞬間を見計らい、一気呵成にハサミを薙ぎ払った。


 扇形せんけいの残像が四匹のモグラを横断し、立て続けに四つのしりがすっぽ抜ける。モグラの全身が消しカスに変わると、背中からヒトの姿に戻った〈砂盗さとう〉たちが飛び出した。

 中の人を失った消しカスが火花をまたたかせ、風船のようにぜる。一瞬、閃光がタニアの視界を塗り、四本の火柱が星々をあぶった。


「……もう一度訊きます。自首する気はありませんか?」

 ススまみれの顔でギモンを見つめたシロは、開戦前より強い口調で問い掛ける。

 ショックを受けているのか、ギモンは砂嵐が収まって以降も鉄骨製の柱にしがみつき、肩を大きく上下させている。

 おかっぱだった髪は強風にセットし直され、山姥やまんば状態。顔どころか前歯にまで砂を塗りたくり、荒い息と一緒に象牙色の煙を吹いている。


「調子に乗りやがって……!」

 凶暴に歯軋はぎしりし、ギモンは力任せに胸元を引きちぎる。ボンテージ風の下着共々あらわになったのは、心臓の直上に刺さったしおりだった。

「あなたも〈筆鬼ヒッキー〉……」

「か弱いだけじゃ荒くれ共の世話は務まらないんでねぇ……!」

 顔の砂埃を拭いながらほくそ笑み、ギモンは胸のしおりを引き抜く。


〝エントリイ くろがねまとい コガネムシ 背負う両手は 輝く後光〟


 黒ずみに塗り潰されたギモンが本のように開き、背中でじる。その瞬間、スレンダーだった影が大海のように膨らみ、爆炎に照らされていたシロを黒く塗り潰した。


 仔犬のようにシロを見下ろしたのは、三㍍近いコガネムシ。


 赤銅色しゃくどういろの外殻に包まれた巨躯はまさに筋骨隆々で、剣闘士――いや人間の作る仁王におうぞうを彷彿とさせる。発達した骨だろうか、左右の肩胛骨けんこうこつからは太くごつごつした突起が生え、後光を形作っていた。

 ガネェ……!

 ブラシ状の口を蠢かせながら漏らす声は、カバのように重く低い。どれほど再生速度を上げたとしても、先ほどまでのように甲高くはならないだろう。


「さあ、稽古を付けてやるよ!」

 メロンほどもある瞳でシロを見据えたコガネムシは、力士のように股を割っていく。そうして左右の拳を地面に着けると、巨大な尻を突き上げ、極端な前傾姿勢を取った。


 ガネェ!

「のこった!」っぽい掛け声と共に巨体が飛び出し、砲声にも似た足音が一瞬聴覚を奪う。高波のような砂煙は、仰向あおむけの〈砂盗さとう〉たちを部屋の隅まで押し流した。

 巨体に先んじて風圧が押し寄せ、シロのコートを激しくあおる。仮面のススが軒並のきなみ吹っ飛ぶと、三角形のバイザーが細かく大きく震え始めた。


 勇敢で無謀なシロは、すり足で迫るコガネムシを引き寄せる。

 赤銅色しゃくどういろの外殻に髑髏の仮面が映るまで、コガネムシを引き寄せる。

 闘牛士をチキン呼ばわりしても許される距離まで、コガネムシを引き寄せる。

 耳打ちが可能な距離までコガネムシを引き寄せ、右に一歩動く。刹那、いきり立ったゾウのようにコガネムシが駆け抜け、シロの小脇に立った残像を打ち砕く。

 すぐにブレーキの掛けられなかったコガネムシは、一歩二歩とつんのめる。サイと見紛みまごう足が地響きを呼ぶと、先の砂嵐によってはりの上に盛られた砂山から、世界一粉っぽい雨が降った。


「ハッ!」

 コガネムシと背中を向け合う形になったシロは、上体だけをひねるように振り返る。加えて斜め上からハサミを振り下ろし、遠心力を乗せた一撃をコガネムシに叩き込んだ。

 紅蓮の刃がコガネムシの背中に切り付け、タニアの脳裏に「勝利」の二文字が浮かぶ。

 と言うか、それ以外の言葉が思い浮かぶはずがない。

 戦いが始まって以来、タニアは無抵抗に断たれるモグラを飽きるほど見て来た。そもそも、振り下ろされたのは融けた鉄のように発光する刃だ。生物の身体はおろか、鉄骨でも防ぐことが出来るかどうか怪しい。


 そう、常識的に考えるなら、ガッツポーズ以外に選択肢はなかった。


 だが残念なことに、シロが星の下に現れ、当たり前のように〈返信型へんしんがた〉が現れた今日、常識は非常識だった。


 つまり昨日や明日なら、太刀風たちかぜの次に聞くのはコガネムシの悲鳴だったのだろう。だが今日、刃が空気を裂く音に続いたのは、歯の根を震わせるような金属音だった。

 無慈悲な火花をきっかけに、必殺であるはずのハサミがコガネムシの背中に弾かれる。同時にシロの肩が大きく後ろに回り、前に出したはずのハサミを背後に着けた。

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