⑧ウィーアー!

 守らなきゃ!

 突発的にこみ上げてきた使命感が、タニアの身体を押し出す。素早く目の前の毛玉を抱えると、タニアはカメのように伏せ、メーちゃんをお腹の下に隠した。

 フン! と鼻息を噴き出し、三段腹は勢いよく足を振り下ろす。踏み潰す相手が小動物でもヒトの頭でも、彼にとっては同じことらしい。

 三段腹の足裏がタニアの頭上を埋め尽くし、靴底からふるい落とされた砂利が小雨のように降り注ぐ。瞬間、硬いかかとに先んじて、重々しい風圧が後頭部を踏み付けた。


 殺される!


 死の恐怖は勿論もちろん、想像を絶するだろう苦痛にえられずにタニアは目を閉じる。

 まともに考えるなら、タニアが次に聞くのは頭蓋骨の砕ける音だったのだろう。だが二〇〇㌫くつがえるはずのない予想とは裏腹、頭上のブーツが風を切る音に続いたのは、切羽詰まった声だった。


「おい、アレ……」

 ヘルメットが呟いた直後、頭上の気配が、頭蓋骨陥没まで後一歩まで迫っていた靴底が止まる。どうやら三段腹はいつでも始末出来る小娘より、指摘された内容を確かめることを優先したらしい。


 一体何があった……!?


 タニアは勇気を振り絞り、隙あらばカメの体勢に戻ろうとする顔を上げていく。物騒に青筋を浮かべていたはずの三段腹が、怯えた表情で地平線を眺めていた。


 凶悪な〈砂盗さとう〉を威圧するのは、火を吐く怪獣か?


 天をく巨人か?


 いや、三段腹が凝視するのは、盛大に噴き上がる砂煙。

 そして、砂漠の奥から道路に突っ込んでくる船影だ。


 オレンジのボディに白いストライプの入った警備船が、爆炎のように白煙を噴き出している。左舷さげんにはサンゴをモチーフにしたロゴマーク。真っ暗なタニアの視界を照らすためか、金色で記された文字が燦然さんぜんと輝いている。そう、〈NIMOニモ〉の四文字が。


「ヤベぇ! サツだ!」

 よほど慌てたのか、三段腹とヘルメットは声をハモらせ、そそくさとタニアの前から走り去る。頻繁に警備船の現在位置をうかがいながら、二人は一直線にヤンせんへ向かう。

「畜生! いつもいつも邪魔しやがって!」

 思い思いに捨て台詞を吐き、腰の引けた〈砂盗さとう〉たちがヤンせんに駆け込んでいく。五人目が船内に消えた瞬間、ナイター照明似の改造ノズルがいななき、船底に広がったばかりの水面を震わせた。


「今さらサツが何だってんだ! 俺たちにはこの力があるじゃねぇか!」

 逃げ腰の仲間を叱咤し、唯一路上に残ったモグラが警備船を睨む。両腕を振り上げた戦闘態勢は、バタフライに瓜二つだ。

「バカ野郎! サツなんかってみろ! 〈アルカディア〉の連中が動くぞ!」

 ヤンせんのドアからスキンヘッドが顔を突き出し、苛烈に怒鳴る。

 警告を受けたモグラは苦々しげに舌を打ち、道路の外に飛び込んだ。高々と描かれた曲線が砂の海に潜り込み、象牙色の飛沫しぶきが宙を舞う。

 巨体が地中を掘り進んでいるのか、うねのように地表が隆起し、警備船とは反対の方向に伸びていく。膝の高さほどもあるそれは、モグラに相応ふさわしいスピードで視界の最奥さいおうに消えていった。


 うねを前にした警備船は、逃がしてなるものかと一層スピードを上げる。爆裂せんばかりに船尾のノズルが咆哮し、派手に横滑りした船体が道路に乗り込む。

 ヤンせんを正面に捉えた瞬間、警備船の甲板で炸裂する火花。間髪入れずイソギンチャク似の砲台がワイヤーを噴き出し、ヤンせん投網とあみを掛ける。

 小癪こしゃくにも網の底を潜り抜け、ヤンせんは道路の外に飛び出す。途端、船尾から圧縮空気が膨らみ、船体を地平線の近くまで吹っ飛ばした。

 激しく巻き上げられた砂塵が白煙と絡み合い、周囲一帯を煙幕のように曇らせていく。元通り視界が晴れると、ヤン船の姿はすっかり消え去っていた。


 標的を失った警備船は道路の中央に急停止し、船底の水面から飛沫しぶきを吹き散らす。いで慌ただしくドアが開き、オレンジのつなぎに青いキャップをかぶった男性が飛び出した。〈NIMOニモ〉の隊員だ。


「大丈夫ですか!?」

 けたたましく呼び掛け、隊員たちはタニアとオープンシップに駆け寄る。

「わ、私はいい! いいですから、あっちを……!」

 指差しながら懸命に訴え掛け、タニアはモグラに打ちのめされたシロを見る。

 直後、タニアは叫んだ時以上に口を開き、声と共に出た舌をしまうのを忘れた。細かく震える手を顔に運び、自然と見開いた目を何度も擦る。恐怖のせいで狂ったとしか思えない。


 肘鉄を雨霰あめあられのように食らったら?


 入院どころか集中治療室に直行してもおかしくない。


 そのはずなのに、シロは倒れるどころかふらつくこともなく、しっかりと自分の足で立っている。まっすぐに空をあおぎ見る瞳は、意識にも何ら異常がないことを物語っていた。


 座り込む女性や大の字のアルハンブラには、〈NIMOニモ〉の隊員が寄り添っている。にもかかわらず、モグラのサンドバッグにされたシロは、ティッシュ配りのようにスルーされていた。

 後回しにされて当然だ。

 こと表情だけに焦点を絞るなら、今のシロより秒殺劇を披露したボクサーのほうがまだ消耗して見える。他に目立つ被害者がいたせいで、胸や口元の血も見逃されてしまったのだろう。


 見た目通りさして痛みを感じていないのか、シロは傷の手当てを訴えるでもなく、路肩に向かう。ゆっくりしゃがむと、シロは砂まみれになったSOTOBAそとばを拾い上げ、汚れを払う。

 シロの手元から薄い砂煙が流れ去り、軽蔑と悲しみを同居させた眼差しが髑髏の装飾と見つめ合う。夏にしては肌寒い風が吹くと、薄く砂をまとった空気が金髪をいた。

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