③愛をとりもどせ!!

「……あれ、何だろ?」

 まばらな緑で気を紛らわせながら、五分くらい進んだだろうか。シロとボロ船、そして走馬燈しか見えなかった道路上に、第四、第五の物体が姿を現す。


 手の平で隠せるくらいの場所に停まっているのは、二台の船。


 二人乗りのオープンシップに、ド紫のヤンせんが横付けされている。ちり取りのように低い船高せんこうに、竹槍そっくりな謎の突起。シュモクザメさながらT字型に突き出た船首には、勇ましいライオンのイラストが描かれている。


「あれは……」

 にわかに表情を険しくしたシロは、足を止め、そろそろと手を上げる。普通ではない雰囲気を感じ取ったのか、先行していたボロ船がヤルダンのかげに停まった。

 タニアは小走りでシロに駆け寄り、二台の船に目を凝らしていく。

「……事故かな?」

 タニアの推察が正しいことを物語るように、動力炉のあるオープンシップの尻が細く黒煙を棚引かせている。船底に広がる水面は、眩暈めまいを誘うかのように短い間隔で点滅していた。波の発生源である〈発言力はつげんりょく〉の供給に、異常が生じたのかも知れない。


 操舵席そうだせきには若いカップル。

 エアバッグを枕にした男性の横で、頭を抱えた女性が肩を震わせている。ひび割れたスピードメーターの横では、救難信号の発信を伝えるランプが赤い光を放っていた。


「へっへっへ……」

 ヤンせんから下卑た笑い声が漏れ出し、何者かが立ったように船体が揺れる。

 ぎぎ……っと耳障みみざわりな金属音を放ちながら、ヤンせんのスライドドアが開いていく。何度か硬質の足音が聞こえると、金網のはまった船窓せんそうを肩幅の広い影が横切った。


 身体を低くして!


 慌ただしいジェスチャーで訴え掛け、シロはタニアをヤルダンのかげに引きずり込む。巨大な影に浸かったシロは、張り詰めた表情で息を殺していた。


 一体、何を警戒しているのか?


 自問している内にヤンせんから六人の男が降り、オープンシップを囲んでいく。

 リベットだらけの革ジャンに、破れたジーパン――ガラがいいとは言えない服装もさることながら、金属バットにスコップ、鉄パイプと思い思いの凶器をもてあそぶ姿は、とても救助を行うようには思えない。


「ま、まさか、あれって……」

「……〈砂盗さとう〉」

 男たちを凝視し、シロは小さく呟く。タニアに答えたと言うより、反射的に頭の中身を漏らしてしまったのかも知れない。

「ど、どうしよう!? ねえ、どうしよう!?」

 タニアは闇雲に唾を吹き散らし、視線を右隣のシロ、ヤンせん、空と迷走させる。何をすればいいのかはおろか、どこを見ればいいのかさえ判らない。我が身に火の粉が降り掛かるのを恐れているのか、今後起こるだろう惨劇を見たくないのか、それも判らない。ただひたすらこの場にいるのが怖くて、止めどなく膝が震える。

「シロっ! ねぇ、どうすればいいの!?」

 一心不乱にシロの袖を引っ張っても、打開策は落ちない。ただただシロの肩が激しく揺れ、袖口がラッパのように広がっていく。


「よぉ、ねぇちゃん」

 薄ら笑いを浮かべたモヒカンが、オープンシップの操舵席そうだせきへ手を伸ばす。

 乱暴に肩を掴まれた女性は、獅子舞ししまいのように頭を振り回して抵抗する――が、男の力にはかなわない。たちまち棍棒のように太い腕に吊り上げられ、船外へ引きずり出されてしまった。

 女性が尻餅を着いた拍子にミニスカートの裾が乱れ、白い太ももをさらす。目を血走らせたモヒカンが舌なめずりすると、傍らのスキンヘッドが甲高かんだかく口笛を吹いた。


「少し遊ぼうぜぇ……!」

 女性を包囲した暴漢たちが、じわじわと獲物に迫っていく。獰猛な六つの影が女性を呑み込むと、シロの口から苦しげな息が漏れ始めた。呼吸音に混じって小さく聞こえるのは、押し殺したうなり声だろうか。


 早く、早く何とかしないと……!


 焦りに駆られたタニアは、一層激しくシロを揺さ振る。

 瞬間、シロの額から垂れたのは、大粒の汗。

 砂漠を走っている最中には、うっすらとも浮かべていなかった代物だ。


砂盗さとう〉の毒牙に掛かろうとしている女性を放ってはおけないのか、勇敢なシロの左足が鋪装のうわつらを擦るように踏み出していく。だがヤルダンのかげから出ようとした瞬間、慎重な右足が踏ん張る。かかとが地面に貼り付き、つま先が丸まり、〈砂盗さとう〉の目に止まらないそこにシロを引き留める。


「ぅ……うぅ……!」

 シロは杭のように動かなくなった両足を睨み付け、懸命に膝を揺する。

 だが安全地帯に根を張った靴に、進み出す気配はない。

「ぅ……っ……!」

 シロは右手を左手にかぶせ、必死に指を折り畳もうとする。

 だが何度繰り返しても、目的の形は作れない。

 拳の型枠かたわくである右手が離れた途端、しっかり固めたはずの左手から五本の指が垂れ下がる。握り締めたせいで白く染まった爪は、激しく痙攣けいれんし、隣のそれとぶつかり合っていた。


 顔面を蒼白にしたシロをの当たりにし、タニアはようやく気付く。


 確かに荷下ろし中のシロは、軽々と米袋を持ち上げる。


 ランニング中のシロは、翼の生えたような足取りで重い砂嚢さのう牽引けんいんする。


 でもシロは女の子で、〈砂盗さとう〉は大男だ。


 一番小柄なスキンヘッドでも、背伸びしたシロを見下ろす体格。大胸筋だいきょうきんり出した上半身は岩壁がんぺきのようにいかめしく、頭を砕くのに充分な凶器も備えている。正義感の強いシロでも、腰が引けて当然だ。


 私が、私がしっかりしなきゃ!


 自分を鼓舞し、タニアは情けなく歪む顔をはたく。

 両頬に苛烈な熱さが広がり、ぐちゃぐちゃだった頭が少しだけ晴れていく。


「〈NIMOニモ〉! 〈NIMOニモ〉呼ぼ!」

 考える限り最善の策を口にし、タニアはボロ船に走る。

 操舵席そうだせきの携帯を使えば、砂上さじょう保安庁ほあんちょうの本部に連絡が入れられる。運よくオープンシップの救難信号をキャッチしていたら、もう近くまで来ているかも知れない。


 一息にステップの三段目に跳び乗り、砂に磨かれたノブを握る。途端、塗装の剥げたドアが内側に開き、今まで様子をうかがっていたアルハンブラが船外に出た。

 無言でタニアの横を通り過ぎたアルハンブラは、甲板に常備しているスコップを握り締め、〈砂盗さとう〉を睨み付ける。深いシワを刻んだ眉間には、勇敢で悲壮な影が溜まっていた。


「な、何してんだよ、おっちゃん!?」

「……あの娘っこを助ける」

 甲高かんだかわめくタニアとは正反対に、アルハンブラの声は首を絞められたように潰れていた。

 今聞いたのは、本当に六年間一緒に生活してきた人の声だったのか? 自分に問い掛けると、現在進行形の――そう、加工など不可能な現実に、第三者のアフレコを疑ってしまう。


「無茶だよ! 相手は犯罪者なんだよ!? 〈NIMOニモ〉の人呼ぼうよ!」

「〈NIMOニモ〉の連中が来るまで、あの娘っこが無事な保証はねぇよお」

 緊張からかかすれた声で返すと、アルハンブラは汗を滲ませた手でスコップを握り締める。

「ターニャたちはこっから離れてえ、〈NIMOニモ〉に連絡入れとけえ」

「何で!? 何で見ず知らずの奴のために、おっちゃんが危ない目に遭わなきゃいけないの!? ここに隠れてようよお!」

 せきを切ったように、とはこういうことを言うのだろうか。金切り声で感情をまき散らした瞬間をさかいに、タニアの視界は止めどなく滲んでいく。


 オープンシップの二人が何をされたところで、ミューラー家に被害はない。でも食卓の箸が一膳減れば、空席にえられなくなった瞳から涙が溢れる。大盛りの会話に弾んでいたテーブルが、沈黙に支配されてしまう。泥だらけの避難所と同じように。我が物顔で食器の音が木霊こだまするなら、わんこそばのようにお小言を食らったほうがマシだ。


 相手は〈NIMOニモ〉も手を焼く凶悪犯。オープンシップの二人に恩があるわけでもない。仮に落とし物を届けてもらったり、道案内をしてもらったことがあったとしても、親切と献身では釣り合わない。


 ここで〈砂盗さとう〉たちの暴挙を見過ごしたとしても、世間に罵声を浴びせられる余地はない。身内のマーシャは勿論もちろん、トメさんだってクマさんだって「災難だったね」と慰めてくれる。もし助けを求める人を見捨てたことを責め立てる正義漢が現れたなら、アルハンブラに代わってタニアが言い返してやる。棺桶に誉め言葉を聞かせたかったのか。

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