②STAND PROUD

 特訓の名を借りた虐待は、早朝四時に火蓋を切った。

言獣局げんじゅうきょく〉に問い合わせた結果、メーちゃんの飼い主はタクラマカン砂漠西部の超空間、〈ホータン〉に住んでいることが判明した。相手が近くにいることを知ったマーシャは、担当者を通じて飼い主に連絡を取り、二日後に〈ホータン〉で会う約束を交わした。


〈ロプノール〉から〈ホータン〉へ向かうには、一度、超空間の外に出る必要がある。砂漠の道路を使って北方の〈トルファン〉へ行き、ボロ船ごと超空間と超空間を結ぶ〈列船れっせん〉に乗るのだ。


 砂の大海を貫く道は、通行しやすいように鋪装されている。また地下に併設された〈偽装ぎそう〉には、嘘で発生させた気流によって空気のトンネルを作る機能があり、砂嵐や流砂が道路を埋めてしまうのを防いでいる。


 分厚く道を包み込むトンネルは、強い日差しをやわらげると共に冷暖房の役割も担っている。とは言え、天井もない野外での空調は、オープンシップでクーラーを付けるのと一緒だ。完全に暑さを排除することは出来ない。ロクに準備もせずに砂漠を横断しようとすれば、半日もたずに熱射病の餌食だ。


 事実、ビニール袋のほっかむりで砂漠を踏破とうはしようとしたシロは、日射と空腹の波状攻撃に屈し、生死の狭間を彷徨さまようハメになった。親切な地元の方に回収されなければ、今頃はカルシウムだけになっていただろう。大袈裟でも何でもなく、砂漠には落命らくめいしたラクダの骨が無数に転がっている。


「砂漠の中の舗道」などと言ったら、目立ちレベル(?)は唐草からくさ模様もようの風呂敷を背負った泥棒に匹敵する。対策を講じなければ、たちまち人間に発見されてしまうだろう。


 そこで砂漠の道路には、〈ILSイルス〉が施されている。

ILSイルス〉はカミサマである〈黄金律おうごんりつ〉に、「いない」と言う主張を押し付ける〈詐術さじゅつ〉だ。

「カミサマの信じた嘘は現実になる」と言う定石じょうせきのっとり、「いない」と認識された物体は透明人間以上に存在感が希薄になる。仮に〈ILSイルス〉を働かせたアルハンブラが、駅前で裸踊りを披露していたとしても、お巡りさんは来ないはずだ。ただ本当に「いない」わけではないので、声を出したり触ったりすれば簡単に気付かれてしまう。


 もっとも人間が相手なら、道路を発見されたとしても問題はない。

 何しろ信号機さえ見たことのない連中だ。陸上を走る船を目撃したとしても、暑さに頭がやられたとしか思わない。万が一吹聴ふいちょうするやからが現れたとしても、取り合うのは頭の医者くらいだろう。


 用心深い〈詐術師さじゅつし〉は、〈ILSイルス〉の他にも幾つか手を打っている。

 代表例が五㍍程度の間隔で設置された、〈KKCカカシ〉と呼ばれる〈偽装ぎそう〉だ。外観は大目玉の描かれた風船で、一定の距離に入った人間を追い払う機能を持つ。


 ガラスを爪で引っ掻く音、ビルの屋上から地面を見下ろす、台所で黒い悪魔と遭遇etcetc――〈KKCカカシ〉は一度ひとたび発動すると、古今東西数多あまたの不快感をブレンドした感覚を対象の脳内に送り込む。結果、極度の吐き気と不安に駆られた招かれざる客は、自発的にその場を離れることになる。

 余談だが、人間が心霊スポット扱いしている場所には、十中八九〈KKCカカシ〉が備えられている。そりゃ黒い悪魔をガン見したら、肩の一つも重くなるはずだ。



 メーちゃんの飼い主と約束した時間は午後一時――。

 七時くらいまでは寝ていても大丈夫――。


 綿密に計算し、枕とベロチューしていたタニアは、明け方も明け方、まだ新聞配達員も爆睡している時間に容赦なく叩き起こされた。記憶をさかのぼると、布団を引っぺがされた直後に命じられた「走りますよ」が、「三二番、執行の時間だ」に聞こえる。


砂盗さとう〉に気を付けなよ――。


 出発前、マーシャは夢うつつのタニアを掴まえ、繰り返し言い聞かせた。はな提灯ちょうちん菜箸さいばしで突き破られたタニアは、仕方なく顎を沈めてきた。

 だが本音を言わせてもらえば、警戒すべきは噂でしか遭わない悪党などではない。そもそも近頃は度重なる事件を受け、砂上さじょう保安庁ほあんちょうNIMOニモ〉がパトロールを強化している。万が一何かあったとしても、すぐに助けが来るはずだ。


 そう、真に警戒すべきは、何の疑いもなく一一歳の少女の腰に砂嚢さのうくくり付けるSさんのほうだ。本人の名誉に配慮して、実名は伏せておく。

 Sさんのトレーニング観は、タイツとマフラーが全盛だった頃の特撮で止まっている。

 両手両足に一〇㌔のおもりを装着して川を渡れ――などと、藻屑もくずの三分クッキングを命じるのはまだまだ序の口。重機の並んだ広場に身柄を移され、鉄球とのぶつかり稽古を要求された時は、自分の耳とSさんの正気を疑った。


 加えてSさんが厄介なのは、実力を兼ね備えている点だ。

 タニアは何度か、Sさんの無茶ぶりにこう反撃したことがある。


 お前がやってみせろ!


 Sさんのお返事は、チャラ男のようにかる~い「は~い」。三〇〇回の腕立てを要求された際も、彼女はひるむどころか黙々と床に手を着いた。

 無論、強がっているわけではない。実際に彼女は、軍隊も真っ青な超スピードで自らのげんを実行してみせた。一七〇〇回のオマケ付きで。

 屁理屈しか取り柄のない現代っ子は、唯一の希望を、「自分に出来ないことを他人にさせるな!」を涙ながらに呑み込む。続いて八割方完成していたドヤ顔を引っ込め、泣く泣く両手を床に着いた。


 やりきる以外、Sさんの拷問から逃れるすべはない。

 悲しいことにSさんは、他人の苦しみや痛みが判らない人だ。

 実際、限度を超えた腕立て伏せにタニアの二の腕が痙攣けいれんし、涙と鼻水が水溜まりになっても、彼女は竹刀しないを振り下ろし続けた。最近、タニアは目指しているのが〈ひめ〉なのか、闘いのワンダーランドなのか判らなくなってきた。


 卒倒したところでマラソン大会が中止にならないのは、お花畑を見た時に証明済みだ。

 タニアが一〇〇回倒れたなら、Sさんは一〇〇回水をぶっかける。そして現代社会的無関心を体現したアルハンブラが、特訓の名を借りた暴行を止めることはない。哀れなタニアは〈列船れっせん〉の駅がある〈ホータン〉に辿り着くまで、鎌を持った黒マントの骸骨に追われ続けるのだ。


 一頻ひとしきり自らの運命を呪うと、タニアは憎たらしい砂漠を蹴り飛ばした。半ばやけっぱちに大きく腕を振り、骸骨との鬼ごっこを再開する。

 せめて喉元に掛かった鎌がこれ以上喉に食い込まないように、うつむきがちな顔を上げる。足下に向いていた目が水平になると、果てしなく続く一本道が視界に入った。ゴールまで逃げ切れると断言するには、あまりに長い。


「砂漠」と耳にしたら、余所よその住民はペンペン草一本生えない不毛の大地を想像するだろう。だが意外かも知れないが、三時間もジョギングしていれば、ぽつぽつ草木と出くわす。

 ピンクの小花こばなを鈴なりにしているのがタマリスク、緑の葉を茂らせた大樹が胡楊こよう、どちらもタクラマカン砂漠を代表する植物だ。


 タマリスクはギョリュウ科の低木ていぼくで、茎のように細長い枝を針状の葉で覆っている。砂漠に生える以上、乾燥に強いのは当然だが、タマリスクはまた塩分にも耐性を持っている。事実、塩湖えんこであるロプ周辺でも、他の場所と同じように夏秋の二回花を咲かせる。

 後漢ごかんの時代に記された歴史書「西域伝さいいきでん」にも、「楼蘭ろうらんにはタマリスクが多い」との一文がある。後漢ごかんは西暦二五年から二二〇年まで続いた中国の王朝で、西域伝さいいきでんの他にも「漢書かんしょ」と呼ばれる歴史書を幾つも残している。


 一方、最大二〇㍍近くまで成長する胡楊こようは、ポプラの仲間だ。ソフトクリームのようにねじれた幹は、あら樹皮じゅひに覆われている。不思議なことにその葉は細長かったり、ふちがノコギリのようにギザギザしていたりと、一本の中でも様々な形があり、秋には黄色く紅葉する。


 胡楊こようにもタマリスクと同じく、乾燥や塩分に強いと言う特徴がある。その上、柔らかく加工しやすいそれは、古くから薪や建材、家具の材料と幅広く利用されてきた。砂漠の遺跡に残るひつぎや柱も胡楊こよう製だ。

 また胡楊こようには水と一緒に吸い上げた塩分を、うろに排出する性質がある。こうして溜め込まれた塩の塊は、食用は勿論もちろん、シャンプー代わりにも使われている。


 灼熱地獄のトルファンは、一方でブドウの名産地としても知られている。年間降雨量が二〇㍉にも満たない風土が、乾燥を好むそれに適しているそうだ。

 地表から棚引く陽炎かげろう火焔山かえんざんを揺らめかせる八月は、ブドウの収穫期でもある。この時期にはトルファンの通りと言う通りが、瑞々しい果実で埋め尽くされる。トルファンでは他にも、ハミウリや綿花めんかが栽培されている。


 降雨に恵まれない土地へ水を引くのに使われているのが、「カレーズ」と呼ばれる地下水路だ。そしてトルファンのそれには、天山てんざん山脈さんみゃくからの雪解け水が流されている。

 そもそもトルファンはロプいしずえとする楼蘭ろうらんのような、自然のオアシスではない。カレーズで水を引き、人工的に作られたオアシスだ。

 地下にあるカレーズで運べば、強烈な日差しに水を蒸発させられる心配がない。難点と言えば、何かと手間が掛かることだろうか。地下に水路を掘るのに時間を要するのは勿論もちろん、完成後もこまめに補修しなければならない。

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