②17歳教
「おじゃまします!」
許可を得ながら靴を脱ぎ、タニアはお茶の間に上がり込む。
「どうぞ」
平然と答え、トメさんはのんびりとお茶を
タニアはズン! ズン! と足音を轟かせ、逆さのちゃぶ台におねんねするシロに詰め寄る。すかさず奴の後ろ髪を鷲掴みにし、金魚が遊泳中の池を
「ゆ、許して下さひぃ……」
水責めを予見したのか、シロは弱々しく哀願し、タニアの腰にすがりつく。豪快に
「お前は天ぷらそば一つ出前すんのに、三時間も必要なのか?」
腕を組みながら詰問し、タニアは
なると模様の描かれたおかもちが、心なしいじけた顔でシロを見つめていた。
「て、天ぷらそば!?」
甲高い声を発すると、シロは畳の目を掻きむしるように這い、おかもちに飛び付いた。
処刑用の電話帳を拾い上げ、タニアは奴の後を追う。三時間ぶりにおかもちが開くと、フタの裏側には
汁を吸い、
「……どうしよう、どうしよう、またやっちゃった」
シロはあわあわと口を震わせ、三時間前まで天ぷらそばだったサルガッソーと見つめ合う。対照的にトメさんはあっけらかんと笑い、愉快そうに手を打つ。
「ああ、そうだった、そうだった。何か忘れてると思ってたんだ」
「ちゃっちゃと渡してさっさと帰ってくりゃいいの! ウチは『定・食・屋』! 電器屋は三軒隣のツネさん!」
自主的に正座を始めたシロを見下ろし、タニアはガミガミと正論を語る。どんどん小さくなっていくシロを見ていられなかったのか、トメさんはタニアの袖を引っ張り、泣きそうな顔で懇願する。
「マニアちゃん、ゲロちゃんを責めないでおくれ」
「トメさん、補聴器って知ってる?」
「私がいけないんだよ。なかなかツネの奴が来ないって
「もぉ~」
ウシ以上に間延びした声を漏らし、タニアはがくんと肩を下げる。年寄りに涙ぐまれたら、これ以上シロを叱るわけにもいかないではないか。
「トメさん、シロに不用意な発言しないでよ。コイツ、ウチを便利屋か何かとカン違いしてんだから。こないだもマツさんちの雑草
「……だって、腰が痛いってゆったんだもん」
シロはふてくされたように呟き、指の先で畳に丸を描く。
「供述があるなら聞こうか?」
寛容に申し出ると、タニアは静かに微笑み、指の骨をポキポキする。カルシウムの軽快な音色を自らの肋骨と重ねたのか、シロは忙しく首を振り、
「まあまあ、天ぷらそばのことは諦めるよ。新製品のカタログ置いていくだけのツネに、出張料払うよりはマシさ。お昼はパンに納豆でも乗っけて食べるよ」
「玄人好みなトッピングだなあ……」
脱力するタニアを
「ありがとうございました」
声を揃え、タニアとシロはしっかり頭を下げる。
「それはこっちのセリフだよ」
好意的に言われるのが少しおかしなセリフを口にすると、トメさんは穏やかに目を細めていく。
心底感謝する姿を見ていると、タニアの
右手でおかもちを持ったタニアは、左手で名残惜しそうなシロを引っ張り、トメさんの家を出る。二つの背中を見送るトメさんは、少し寂しげだった。帰省していた孫が都会に戻る時には、ああいう顔をするのかも知れない。
めぇ~。めぇ~。
玄関を出た途端、行きから頭上を遊覧飛行していた影が、タニアを出迎える。ハゲグリフォンにしては随分とセーターを連想させる声だ。
自宅を出た頃は空の真ん中に居座っていた太陽が、大分地平線に近付いている。サウナで
〈
「……急ぎましょうか。もうすぐ陽も沈みそうですし」
ぼそっと呟き、シロは〈
たちまち船体に〈
青みがかった光に触発されたのか、自宅の冷蔵庫に眠るラムネが脳裏を
「シロってほ~んとおひとよしだよね」
タニアは大袈裟に
「……おひとよし、か」
返事をすることなく独り言を漏らし、シロは地平線を盗み見る。出来たての闇が瞳に映ると、シロは痛みを
「私はおひとよしなんかじゃない。ただの出来損ないですよ」
「出来損ない、って……」
何とかオウム返ししても、後には無言しか続けられない。
元々、責めるつもりで切り出したわけではない。しかし自分を全否定するほどへこまれてしまうと、さすがにピュアなハートがズキンとする。少し言い過ぎてしまっただろうか。
「そりゃ天ぷらそばはもったいなかったよ? けどトメさん喜んでたじゃん」
「……私は聞いただけですよ」
苦笑しながら呟き、シロは〈
「私はトメさんを喜ばせたかったんじゃない。テレビの映りが悪いって聞いた瞬間、私が私に耳打ちしたんです。『見過ごしたら嫌な思いをするぞ』って」
嫌気が差したように首を振り、シロは〈
「いつだってそう。誰かを思いやって手を伸ばしたことなんて一度もない。ただ後になって、私に私の人でなしっぷりを責められたくないだけ。だから罵声より対価のほうが深刻だって判断したら、手を伸ばしたことで見過ごした時以上に嫌な思いをするのが判ったら、平然と他人を見捨てる」
「ぐちぐち後悔するのがヤだから、世話焼いてやったってこと?」
タニアは注意を散漫にする目を閉じ、思考に意識を集めてみる。
自責の念に責められたくない――。
動機が親切心や同情だった場合に比べて、拍手を送りにくいのは事実だ。世間様に意見を求めれば、シロが言い返さないのをいいことに不純さを糾弾する声も
でもシロがシロを守ろうとしなければ、テレビの映りは悪いままだった。
「……何がいけないの?」
目を開くと同時に問い掛け、タニアはシロを見つめる。
何回、何十回と考えてみても、タニアにはシロが自分を罵る理由が判らない。
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